未分類」カテゴリーアーカイブ

町へ行けば人が死ぬ

コロナ禍のなか、再開園した新宿御苑に桜を見に行った。
桜を想えば聴きたくのなるのが井上陽水の「桜三月散歩道」だ。
初めて聴いたいたのは14歳の春、その時も桜の花が咲いていた。
町へ行けば人が死ぬ。
町へ行けば人が死ぬ。
今は、居場所を失ったウイルスが暴れている・・・。
「桜三月散歩道」は、赤塚不二夫さんの長年のブレーンであリ、パロディ漫画におけるパイオニアである長谷邦夫さんが『まんがNo.1』という雑誌(責任編集は赤塚不二夫名義)の編集を担当していたとき、付録にフォノシートを付けることになり、その収録曲の1つをデビューまもない陽水に依頼し、詞を自ら書いて提供したものだ。「桜三月散歩道」の詞は、かつて長谷さんが私家版で出した第一詩集『叫びのかたち』の初期詩篇から題材をとったもので、のちに陽水は詞と語りの内容を変えて自らのアルバム『氷の世界』(1973年)に収録した。

「桜三月散歩道」(『まんがNo.1』ヴァージョン)
作詞:長谷邦夫 作曲・歌:井上陽水 語り:大野進

ねえ 君、二人でどこへ行こうと勝手なんだが
川のある土地へ行きたいと思っていたのさ
町へ行けば花がない
町へ行けば花がない
今は君だけ見つめて歩こう
だって人が狂い始めるのは
だって狂った桜が散るのは三月

(語り)
夏の日の夕方 水泳から帰った僕たちは
みんな真っ白なシャツを着ると
色の剥げた貨物船のような倉庫のある
細い道に集まるんだ
僕らがキャッチボールを始めると
道路は瞳の中の涙のように急に広がって
白シャツも影の中に沈んでしまい
白く光るのは たった一つの健康ボールだけになっちゃうんだな

ねえ 君、二人でどこへ行こうと勝手なんだが
川のある土地へ行きたいと思っていたのさ
町へ行けば人が死ぬ
町へ行けば人が死ぬ
今は君だけ追いかけて走ろう
だって僕が狂い始めるのは
だって狂った恋が咲くのは三月

(語り)
秋 やっぱり夕方近くになると
僕たち子供は家の窓を開け
涼しくなった空を見上げてから
江戸川の堤に駆け登るんだ
みんなで影を連れてね
帝釈天の向こうの夕日が
太い煙突に吸い込まれるまで
影踏みをして遊ぶんだ
影を踏もうとすると
影は驚いた魚のように逃げたっけ

ねえ 君、二人でどこへ行こうと勝手なんだが
川のある土地へ行きたいと思っていたのさ
町へ行けば革命だ
町へ行けば革命だ
今は君だけ想って風になろう
だって君が花びらになるのは
だって狂った風が吹くのは三月


長谷さんが陽水に歌を依頼する際に「ぼくはあなたの『断絶の歌声の美しさが忘れられない。悪ふざけや悪ノリではない、ちょっと上品な味わいを持った歌で、ユーモアを表現できないか、と考え始めてしましました」「ぼくの故郷を舞台にしたラブソングを構想中です」「作詞は朗読付きのものを長谷作詞で書かせていただきます。まず、それを呼んでいただいて、気に入ったら歌っていただきたいんです。いかがでしょうか?」とお願いしたと言う。
「桜」は長谷さんの原風景である。長谷さんが生まれ育った東京都都葛飾区の江戸川に沿った桜並木越しに見た空が東京大空襲(1945年3月10日)の炎により赤く染まった。赤い空がだんだん色を濃くしていき、真紅に近くなると桜並木は影絵の切り絵のような黒さになり、見つめるその世界は、戦争といことが嘘のように美しく見えたという。
「桜三月散歩道」を制作した頃の時代背景は、政治の季節から経済の季節への時代の結節点であり、革命の花が散り、生きていくことのはかなさや虚無感を感じざるをえない時代だった。だからこそ、社会的な大きな問題よりも、自分の小さな世界の問題の方がよほど大事だったのだ。そんな「氷の世界」のような時代の中から「桜三月散歩道」は生まれた。
災害や危機的状況では本当に大事がことが思い知らされる。
今は君だけ見つめて歩こう。
今は君だけ見つめて歩こう。
居場所を失ったウイルスが暴れているから・・・。

長谷さんはもともと現代詩を書く文学青年でもあった。
詩を発表した『現代詩手帖』(思潮社)から。

「試合」 長谷邦夫

向かいあった二人はお互いの瞳のふちにあふれてきている夜の景色をみつけると、ふと抜刀する事をためらい、一層近く寄ってみた。
傷ついたと遠眼鏡の向こうに横たわった戦場のようにその乾きかけた地面かあは静脈が怒りを含んで盛り上り、草は寒い夜明け方のぼくらの皮膚の如くひりひりと音を立てている。
すべて破られた花びらは空からしたたる灰色の血を繰り返し浴びて茎にまでその色をにじませ、葉の揺れる間から幾本かの刀が光った腹をみせてそり返った。

こうも近くに寄ってしまうとさらに刀は抜き難い。二人がもう一歩ずつ近ずくと景色の中の夜空では星座がみにくい型に置き換えられているのがみえた。
低空をうなって機羽もの巨きな鳥が飛び、それをぬって電波を発しながらコウモリが狂う。銀河は消えかかり、夜は確かにその高度を下げつつあった。
地平の森はうなじをゆっくりと下げて、旗は色あせた白い肌を風にこすられて痛そうに地をはっていく。

いつも芽を吹き出している地面。
軽く腕を組み合っている森や林。
つぼみの中に明りを灯している花。
旗がよじれない風。
君の素足が走っていく草原。
がある景色を瞳の奥に深してみた二人。
だがその視線はちぎられた山彦のように
二人の間の谷間へずり落ちていく。

二人の眼は何かを叫びそうになりながら、きみと僕の眼のように近ずいていった。共に剣を抜くのは今だと思ったが、重ねられるネガのように二人のからだはそのまま互いのからだの中に入っていってしまった。しかし夜の景色は重なろうとしない。
二人は初めて互いの内側で抜刀し、ずれた部分をそぐように切り落とし夜の裏側へと、その切っ先を向けた。

「鷹匠」 長谷邦夫

おまえは一羽の鶏と
おまえの腸ほどの古ぼけた綱で
野生を罠にかけ
それを、しっかりと瞳の中に
閉じこめておき
残酷な子供のように長い間
愛撫したのち
すこしずつ手の平に取り出す。

おまえは、その野生に
疲れて果て、たるんだ肉を与え
小さな空へ放ってみた。
気だるいブーメラングや
ぼくらがいつも乗っている大きなブランコに似て
それは放ったびに
おまえの腕に帰つてくる。
鷹は空の狭さに驚いているのだ。

おまえは鷹の為に、すこしずつ
空を拡げてやる。
だが、それはプラネリウムの空
星は見えぬ糸に引かれ、流れるばかりだ

おまえはうねり続ける空へ
漁師の如く鷹の糸を拡げる。
すると鷹はもはや
音を消したグラマン。
失速したように見せかけながら
一瞬、歪んだ野生を
甦えらせようと羽ばたき
獲物の上へ舞い降りる。

しかし、おまえは素早く
それを一片のクラゲの死肉とすりかえていた
鷹は冷え切った肉ととまどい、震え
再び羽ばたこことしながら
気がついた。
すりかえられていた行く手の空
すりかえられていた森や林
地平。

もはや、おまえは安心して
鷹を放つことがで出来る。
おまえの築いた一つの景色の中へ
全て根の枯れている草原
地くずれの絶えぬ斜面
鳥肌を立てている気流の中へ
放つことが出来る。

だが、年老いていくおまえよ
知っているか
おまえが眠りについている頃
巣箱の中では、ずっと
鷹は目覚めているのを。
ある寒い朝
おまえが生涯を閉じる朝
鷹は再び自分の空へ
自分の地平へ
還っていくことを
おまえは知っているか。

「羅生門」 長谷邦夫

門よ
おまえはいつからそこに立っていたか。
巨大な足を、大地に深く突き刺したまま
夜の夜景を、瞳から拒絶し
門よ
おまえの扉はいつから
風に揺がなくなったか。

おれは大地に立っていたのではない。
これはまぎれもない夜の地肌だ。
大地をめくりあげる肉色の風を伴った
一瞬の真昼が
おれの持っていた景色を
全て吹き飛ばしたあと
夜が襲い
おれの内側を満たしてしまった。
その時から、おれの足は、夜の底の方へ
そよいだままだ。
おれの扉は、夜を吐こうとして
苦しく、精一杯ひらき続ける。

きみたちの果しない草原を
とっぷりと暮らす夜。
夜明け方や朝の光を
限りなく疎外する夜。
旗を重い滴で、犬の舌のようにあえがせる夜。
群島を暗い絵の中に所有したがる夜。
その夜に、おれは激しい鳥肌を立て
犯されるのを防ぐ。

しかし門よ
おまえは立ち続ける。
夜の中から一歩も動こうとはせずに。
おまえの骨格は
きしみながら、夜の重さに耐えるのか。

おれは朽ち果てているのだ。
おまえが今みるのは
真昼の光が、空へ焼きつけた幻影の門だ。
おれの骨格は、夜の景色の中で
醜い塔を築き
それをよじらせる。

さあ、今こそ、おれを焼け。
夜をどっと地平へ押し返す炎となって
おれを燃えよう。
さあ、今こそ、放火しろ。
おれは、扉を、ふいごのように激しく息づかせ
夜を燃え移り
朝を地平から呼び戻す。

(2021年4月7日)

がんばれアッキー!

 防波堤建設を進める政府を批判、LGBTの人たちへの共感、脱原発、反TPP・・・。「神様に動かされている」と語り「家庭内野党」と言われながも日本中をひた走るのが安倍晋三夫人のアッキー(昭恵さん)だ。『週刊現代』(2016年11月12日号)での小池百合子さんとの対談で、アッキーは「「日本を取り戻す」ことは「大麻を取り戻すこと」」と語る。大麻というものは神様とつながっているもので、霊力の高い、波動の高い植物だと言う。大麻の栽培はGHQによって禁止され、その状況が現在も続いている。だから、大麻を栽培することで本当の日本を取り戻さなければならないというのがアッキーの主張であり「私」を生きるのが、スピリチュアルなナチュラリズムとしてのアッキーのアイデンティティである。

 現在のナチュラリズム文化の基礎を創ったのは、1960年代のアメリカ西海岸で、既成の社会体制や価値観を否定し、脱社会化や精神の開放を目指したヒッピー(自由人)の若者たちだ。
 ヒッピーは合理主義よりも精神世界や自然との融合などが志向される。ロックやドラッグ、東洋の神秘思想、日本の禅、ネイティブアメリカンの世界観など、人間が本来持つ自然な関係に回帰し、精神の開放をうながすものが称揚されていく。そして、近代産業社会に対する否定的な態度を取るコミューン運動のようなものが世界中に拡大していった。
 これが新宿を中心に起こっていたビートニクス運動などと呼応して、1967年には長野県の富士見高原に「カミナリ赤鴉族」、鹿児島県トラカ列島に「ガジュマルの夢族」、東京・国分寺に「部族」によるコミューンが誕生した。国分寺のロック喫茶「ほら貝」ができたのが1968年。ナナオ・サカキ、山尾三省、長沢哲夫、山田塊也といった人たちが主導したが、それはドラッグ文化やスピリチュアルな精神世界と密着していった。

「いつか」 ななお さかき

真冬の太陽 沈むころ
日本海の磯づたい
福井県美浜原子力発電所
つづいて 拘束増殖炉 もんじゅ 訪ねた次の日
荒れ模様の空 明けて
1月13日正午 原発銀座
敦賀駅のホームに 列車を待っている

雲みだれ 雪しぐれ 風はためき
鳥たちとまどい・・・ ふいに
グワーン バリ バリ
まなこ くらます 閃光
耳つんざく 轟音

オオ カミサマ ホトケサマ
ショック どっと
冷汗 どっと

ありがたや あれは カミ カミ
雪さまの ゴロゴロ

ありがたや あれは
原子力発電所の爆発鳴らず

だが いつか ・・・

「ひとつの事実 ―スワミ・アーナンド・ヴィラーゴに―」 山尾三省

ヨーギ・バジャンは言う
人間よ あなたは自分自身のなかに内在する神である
行ってそれを悟りなさい
これはひとつの事実である

夕闇の山の上に
新月と金星が並んで 静かに光を放っている
僕の心は濁りに濁っていたので
こんな光景を見るのは久し振りのことである
これも ひとつの事実である

僕は 弱いもの 悲しいもの 侮辱されているものの側にある
それ以外のものではなく
それを光とし 希望ともしている
だから究極には 涙がある
これも ひとつの事実である

僕たち 弱いもの 悲しいもの 侮辱されているものは
心を合わせて
核兵器でも 原子力発電所でもない
静かな小さな幸福の時を 迎えたいと願う
これも ひとつの事実である

ヨーギ・バジャンは言う
人間よ あなたは自分自身のなかに内在する神である
行ってそれを悟りなさい
これはひとつの事実である

 アメリカにおけるコミューンは、1987年のカルト的リーダーが率いる「人民寺院」の集団自殺事件以来下火になるが、1990年代から再び増加、カルト的なものに代わって、ツイン・オークスのような合議制で運営される組織が再び増えている。
 ツイン・オークスは、心理学社B・F・スキナーが書いた小説『ウォールデ2』の影響を受けて、1967年に8人のメンバーによって設立された。ツイン・オークスが長い間存続できている理由は、共通する宗教や政治理念もなく、リーダーもいないからだ。ツイン・オークスを動かしているのはメンバーたちの話し合いで、ツイン・オークスのメンバーが共通して遵守しているルールは「平等、分け合うこと、非暴力」の3点のみだ。
 彼らはまったく新しい価値観を打ち立て、新しい社会を作ろうと行動を起こした。物質的な豊かさが幸せという考えを放棄し、年金付きの老後生活といったエサを目の前にぶら下げられ、わき目もふらず走りつづけされる人生を放棄し、人と人とのふれあいのある人間らしい暮らし作りに自らの人生を賭けた。その思想には共感するか否かはさておき、彼らの断固とした行動力は経済の高度成長時代も終焉し、格差社会を生きる日本人にとっても示唆するところが多くある。

参考文献:『ツイン・オークス・コミュニティ建設記』キャスリーン・キンケイド(明鏡舎)

(2021年2月10日)

「イフンケ」母なる大地の声

 ウイルスは生態系の一部であり、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は環境問題である。
 経済が発達し人口が増えて本来は野生動物の棲息地であった奥地に人が入り込むようになり、野生動物と接触する機会が増えると、野生動物に固有のウイルスが人類に飛び移ってくる確率が増える。COVID-19、SARSや、MEAS、狂犬病のオリジナル・ホスト(本来の宿主)はコウモリであり、インフルエンザはブタである。
 人類が奥地を開発した結果、野生動物の個体数が減り絶滅に瀕すると、野生動物をホストとするウイルスも絶滅の危機に瀕する。新しいホストを開拓しなければ存続できない。だから、ヒトに飛び移ってきたのだ。これがエマージングウイルスである。この観点からもエマージングウイルスは環境問題なのだ。
 パンデミックは周期的に起こっているので、次のパンデミックを起こさない最も根源的な方途は、これ以上、野生動物の住処を奪わないことである。しかし、現在、世界を支配しているグローバル資本主義は人口増をシステム存続の前提としているため、人口増とそれに伴う奥地の開発を止めることは難しい。
 新たなパンデミックは温暖化の影響により永久凍土が融けている北極や南極なのかもしれない。
 COVID-19パンデミックから学んだ教訓は、どれだけ技術的・医学的に進歩しようと、人類は依然として未知の病原体に対し、とてつもなく脆弱だということだ。

 アイヌ民族の宇梶静江さんはアイヌの世界観を語る。「コロナは、ウエンカムイ(悪い神)だ。でも、人間がいかに大地に残酷なことをしてきたのかを知らせるために来たのだろう」と・・・。
アイヌは自然を敬う民族だ。全てに宿るカムイは崇拝の対象というより、対話を続ける存在といえる。宇梶さんは「自然と矛盾して生きてきた現代人は多い。今、生き方や考え方を変えなければ、ウイルスはもっと知恵を付けて人類を襲うだろう」と警告する。
 コロナ禍の中で「密」を避ける生活を強いられている。「真の孤独」を突きつけられてきたアイヌ民族の宇梶さんは訴える。「人間とは何か、人間らしい生き方とは何かが問われている。自然と向き合うアイヌ民族は、地球が抱える困難に光を投げかけることができる。その光は、世界三億人の先住民の光でもある。お互いの立場を理解し、認め合う。そんな未来の始まりにはできないか」と・・・。

「イフンケ」 宇梶静江

アルラッサー オホホオ
母はいつも ここにいて
子守唄を唄っているよ
元気で暮らしているかい
どこへ行って何をしていても
身体は大切にしておくれ
もしも道に迷ったら
苦しいことにあっても
あなたに渡した
絆という名のあの縄を
けっして離さないでおくれ

アルラッサー オホホオ
地上を歩くものたちも
地下に生きるものたちも
空を舞うものたちも
共につなぐ生命の縄を
思い出しておくれ
いとしい子らよ

アルラッサー オホホオ
共につなげる生命の縄を
もしもどこかで
傷つくことがあっても
痛みは共に伝わるよ
いとしい子らよ

アルラッサー オホホオ
忘れるなよ
あなたが悲しみに遭ったとき
絆という名のその道を
きっと心でにぎりしめ
共に絆をとりあって
けっしてけっして忘れるなよ
すべてのものに
地球という名の母さんが
あなたに手渡した
絆という名の生命の縄

アルラッサー オホホオ
忘れるなよ
離すなよ
いつも母さんはここにいて
唄っているよ
子守唄を
唄っているよ

・・・「イフンケ」というアイヌ語は「母」または「地球」という意味。「母なる大地」という言葉も外国にがあるよね。つまり、母というものは大地のように、子どもたちにたっつぷりと養分を吸収さえて、青々と葉を茂らせる樹に成長するよう、いのちをつなぐ存在、ということだよね。両腕に囲い込んで、よその子と競わせ、大人になっても副木(そえぎ)はなくちゃ生きていけない人間に育てることじゃあないんだ。大地にすっくと立つ一本の樹になってほしい。そんな我が子への思いを私は「イフンケ」という詩にしたよ。ばばよしろうさんがそれに曲をつけてくれて、講演のときなどに皆さんの前で歌うこともある。アイヌ語で歌ったあとに、日本語を紹介しているけれど、子育て真っ最中の若いお母さんからもうとっくに子育てを終えた年配のお母さんまで、いつも割れんばかりの拍手を送ってくれる。そのたびに思うのは、母心に今も昔も、民族も国も違いもないんだということ。子どもたちがどんなに大きくなっても、自分がどんなに年老いても、母心には変わりはない。心の中で、子守唄をそっと歌い続けているんだよ。(『すべてを明日の糧として
』宇梶静江)

 日本は東京五輪を優先したため初期の段階でのコロナ対策が失敗した。死者数は人口比でいえば中国や韓国よりも多い。アジアの中でコロナ対策が失敗した国だ。中国の統計がデタラメというが日本も同じこと。
 たくさんの人命が奪われた。アイヌ民族のように謙虚になって大地の声に耳を傾けなければいけない。そうまでして自然界が伝えたかったことを・・・。

参考文献:『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』内田樹他(晶文社)

(2021年1月26日)

辻征夫の「雪わりのラム」を読む

「雪わりのラム」 辻征夫

かつて跣で甲板を走り
帆柱のてっぺん 破れた旗のかげで終日
信天翁の行方を追っていたこともある
黒髭エドワード・ティーチの怒声に怯え
鱶が笑う海峡を泳ぎ切ったころもある
十と五人でよ 棺桶島にと歌いながら
それなのに だね
アレクサンドル・セルゲーヴィチ
ラム酒の飲み方だけが思い出せないのだよ
やっぱり水で割るのだったかね 氷を入れて

雪でもいいのじゃないのかい?
さんざめくあばら家の戸をうしろでにしめて
冷たいいくひらかをまぶたにうけると
酔いはおのずと醒めてくる
かつていずれのわたりであったか
歌の調べを案じて馬上に
行き暮られたこともあったが
あの折のわたくしは だれであったろう
この身であり この身でなかった幾人かの名を
蘇らせよ雪わりのラム!


 
 若い頃は「現実をそのまま生きる」ということは難しかった。困難をそのままの形で受け入れがたいので、自分の心のかたちに会うように現実を物語化して妄想の世界を耽溺していた。
 心理学者の河合隼雄さんは、恐怖や悲しみを受け入れるために、物語が必要だという。
・・・死に続く生、無の中の有を思い描くこと、つまり物語ることによってようやく、死の存在と折り合いをつけられる。物語を持つことによって初めて人間は、身体と精神、外界と内界、意識と無意識を結びつけ、自分を一つに統合できる。人間は表層の悩みによって、深層世界に落ち込んでいる悩みを感じないようにして生きている。表面的な部分は理性によって強化できるが、内面の深いところにある混沌は論理的な言語では表現できない。それを表出させ、表層の意識とつなげて心を一つの全体として、更に他人ともつながってゆく、そのために必要なもの物語である。物語に託せば、言葉にできない混沌を言葉にする、といおう不条理が可能になる。生きるとは、自分にふさわしい、自分の物語を作り上げてゆくことに他ならない。
 大人になるとは、社会に適応する為に言葉を通してコミュニケーションを図り、集団の中の一人として常にスキルアップする事。しかし、他者の事を理解しようとすればするほど、自分の事がわからなくなる。いつまでたっても言葉をうまく使いこなせない。永遠のトム・ソーヤを生きている。

(2021年1月13日)

吉野弘の「夕焼け」を読む

「夕焼け」 吉野弘

いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に。
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をギュッと噛んで
身体をこわばらせて-。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。

娘は満員電車の中で、お年寄りに2回席を譲ったが3回目は席を譲らかった。娘はやさしいだけに、下唇をギュッと噛んで身体をこわばらせて受難者となった。敗戦後の不埒な時代を、下唇を噛んでつらい気持ちで生きてきた詩人も受難者であり、娘のこころの痛みを共有する。そして、夕焼けのような美して切ない詩が生まれた。
日本経済は効率だけを重視したあまり“やさしさ”という大事なものを切り捨てきたのかもしれない。本当の豊かさを考えるためにも、この詩はいまでも多くの人に読まれてる。

吉野弘さんは『くらしとことば 吉野弘エッセイ集 』で“やさしさ”について語っている。
・・・人間の内面というのは、エゴイズムに忠実であろうとする「自然のままの自然」とエゴイズムを制禦しようとする「人間的な自然」との二つに裂かれて、その間を絶えず、往ったり来たりしているものだと思う。だから、やさしさというのは、エゴイズムの持つ自己中心性を悲しげに見つめている人間の眼差しなんじゃないかという気がするんだ。自分のエゴイズムにつらい思いをしている人ほど、生命というものに対して寛大でやさしいんじゃないかなあ。
 電車の中で少年が老人に席を譲る。よく見る光景だけれど、そういうときの少年に好ましさを感じるのは、少年が自分のエゴイズムを裏切るという不自然なことをしたからなんだ。少年だって、席に座って楽をしたいのは当然で自然なのだ。その自然な欲望に忠実でない点、つまり不自然である点に、僕は人間を感じる。少年には他者が見えていると僕は思う。必ずしも自覚的ではないかもしれないけれども、自分の、楽をしたいという気持ちを、老人の、多分楽をしたいであろう気持の中に読んで、席を譲ったわけだ。
 それは、エゴイズムに目を開いたことによって促された人間的な想像力だともいえる。やさしさは想像力だといったほうがいいかもしれない。良くも悪しくも人間であることのために免れることのできないエゴを通す想像力、そこからみちびき出されてくる人間への配慮、それがやさしさなんじゃないか。
人間は完全でないから、人にやさしくしたり、人にやさしくされてなんとか生きていける。しかし、組織の論理、集団の論理の中では“やさしさ”が欠けてしまう。他者という存在が意識の中になくなり私欲を優先するからだ。吉野弘さんは「人間を一人という単位に捉え直して日常を生活することはできないものだろうか」と問いている。
・・・せまい歩道を、こちらから一人歩いてゆく。むこうから一人歩いてくる。すれちがうとき、どちらからともなく、道をゆずりあう(いつもとは限らないが)。これが二人対一人の関係になると、二人連れは、一人に対してなんとなく強気にふるまい、対等な歩行者同士として道をゆずるという構えを失いやすい。こういう人間関係は、考えてみると社会の万般にひそんでいて、その実なかなか気付かれぬことが多い。
“やさしさ”を育むにはどうしたらいいのか。
作家の高史明さんは“やさしさ”は心の中で生まれるものだから、心の中に平和のとりでを築く事だと語る。“自分”は“自分”だけで存在し得ていると考えるのは平和とは言わない。喜びは“自分”だけの喜びであり、苦しみも“自分”だけの苦しみということではなく、共感の中でこそやさしさが生まれる。人間は完全ではないから、“自分”が弱いところを認めきれたとき、逆に“わたし”が強くなれる。それが“やさしさ”といものである。“やさしさ”は、他人を苦しめてまで“自分”の幸福になるということをしないということから始まる。
コロナ禍の中でワクチンの開発が待たれている。しかし、本当に大事な事は“やさしさ”というくすりを贈る事だと思う。

(2021年1月6日)

ちいさい秋

♪ 誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
♪ ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

今年はコロナ禍で小さな秋を想える日々だった。
もずの声 秋の風 入日色・・・。
リュックの中にはいつも少し甘い紅茶と八木重吉の詩集を入れている。
八木重吉はその詩のように、寂しく、儚く29歳に生を終えた。第一詩集『秋の瞳』の序文に書いている。「私は友がなくて耐えられぬのです。しかし、私にはありません。この貧しい詩を読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください」と。
その詩集から。

「咲く心」
うれしきは
こころ咲きいずる日なり
秋 山にむかいて うれいあれば
わがこころ 花となり

「ひびくたましい」
ことさら
かつぜんとして 秋がゆうぐれをひろげるころ
たましいは 街をひたはしりにはしりぬいて
西へ 西へと うちひびいてゆく

「花と咲け」
鳴く 虫よ 花と 咲け
地 に おつる
この 秋陽 花と 咲け
ああ さやかにも
この こころ 咲けよ 花と 咲けよ

「秋の なかしみ」
わがこころ
そこの そこより
わらいたき
あきの かなしみ

あきくれば
かなしみの
みなも おかしく
かくも なやまし

みみと めと
はなと くち
いちめんに
くすぐる あきのかなしみ

「秋」
秋が くると いうのか
なにものとも しれぬけれど
すこしずつ そして わずかにいろづいてゆく
わたしのこころが
それよりも もっとひろいもののなかへ くずれてゆくのか

「秋の日の こころ」
花が 咲いた
秋の日
こころのなかに 花が咲いた

「秋の壁」
白き
秋の 壁に
かれ枝もて
えがけば

かれ枝より
しずかなる
ひびき ながるるなり

病弱な八木重吉は限られた生だからこそ見える世界があった。
「人のきもちがわかりすぎる
だから 気がくじけてしまう
たとえそうであっても
つよければいいのだが
よわいから すすんでゆけない」(「ことば」より)
他人の気持ちがわかると、できるかぎり傷つけないようにするし、また、その醜いところもわかってしまう。そして、自分にしても、いけないところが多いと敏感にとらえてしまう。「いい人間になるのはむずかしい」(「赤つちの土手」より)と書いた八木重吉がもっていた感受性の鋭さは、孤独になるしかないところへ自分自身をもっていったのかもしれない。その苦しみのなかから、八木重吉にしか書けない純真で澄んだ詩が生まれた。
文壇から遠いところでたったひとりで詩を書いていた八木重吉は、文学的に決して評価が高かったわけではない。しかし、佐藤惣之助や草野心平と交遊し、愛する妻と子どもたちに囲まれて、神に祈りを捧げ、花と笑顔のある明るい生活を送った。八木重吉にとって本当に大切なものを手に入れたのだ。
1927年秋、八木重吉は妻の名を呼びながら29歳で昇天したが、死後3か月経って、生前編んでいた『貧しき信徒』が出版され少しずつ読者が増えた。戦争中に未定稿を入れた選詩集が出たことから、その本を見た小林秀雄により創元社より選集・文庫が出て爆発的な人気を得た。日本人のこころの中に詩があるかぎり、こころの友は生まれ、八木重吉は生き続ける。

コロナ禍の日々、多くのことに制約がある。今まで「出来ていたこと」が出来なくなって気付く。
本当に大事なことはなにげない日常だったと。
八木重吉に「雲」という詩がある。
「雨のおとがきこえる
雨がふっていたのだ
あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう
雨があがるとおうにしづかに死んでゆこう」
クリスチャンの八木重吉は信仰の人でもあった。
中世ヨーロッパでは、何度もペストやコレラなどの疫病のため、大都市の市民が大勢死亡した。このような疫病にいつ発症するかもしれないと覚悟したカトリックの神父や修道女たちは〈メメント・モリ(死を想え)〉という死を日常的に意識する言葉が挨拶のように使われた。
医学者でありカトリックの日野原重明先生はこの〈メメント・モリ〉を語り続けた。
「現代社会に生きる私たちも事故に遭ったり、がんになったり、何かの感染症にかかっていのちを失うかもしれない。そのようなとき、自分の人生の終末を静かに覚悟して備えることが大切なこと。今までに与えられたいのちに感謝することができれば、その人こそ本当に幸福な人です」
コロナ禍の中で〈メメント・モリ〉が求められているのかもしれない。「死」を見つめて「今」を大切に生きるということ。
雨のおとのようにそっと。
雨があがるようにしづかに。

(2020年12月31日)

落ち葉のころ

木枯らしが吹く空き地の日だまりで野良猫といっしょに暖まる。
谷郁雄さんは日だまりのような詩人だろうと密かに思っている。

「日だまり」 谷郁雄

人は空には
暮らせない
水の中にも
暮らせない

空を見上げ
水を恐れ
人はやっぱり
地上で生きてゆく

花にもなれず
木にもなれず
鳥にもなれず
歩き疲れてうずくまる

そこはガードの下の
小さな日だまり
人に生まれたことの喜びを
しみじみとかみしめる場所

「ゴーイング・ホーム」 谷郁雄

ぼくは多くを
望まない

持っていたいものは
ごくわずか

風に鳴る
電線や

小さな
日だまり

世界はそんな
細部から
作られてある
それさえも
ポケットに入れて
持ち帰れない

今日も
小さな家へと
帰ってゆく

小さな家の
小さなベッドの上で
楽しかった一日
思い出す

谷郁雄(たに・いくお)さんは1955年三重県生まれ。同志社大学文学部英文学科中退。大学在学中より詩作を始める。90年『死の色も少しだけ』(思潮社)で詩人デビュー。93年『マンハッタンの夕焼け』(思潮社)がBunkamuraドゥマゴ文学賞最終候補作に。ホンマタカシやリリー・フランキーなど、さまざまな写真家や表現者とのコラボで多数の詩集を刊行。著書は30冊を超える。
作家は「処女作に向かって成熟しながら永遠に回帰する」とは文芸評論家の亀井勝一郎さんの言葉。谷郁雄さんは年齢が増すにつれて純度が増している。作家に限らず誰でも初めて抱いた夢に回帰できるだろう。俗世に染まった自分でも黒い欲望をひとつずつ捨て純化していくのだ。

「真っ白な未来」 谷郁雄

子供たちには
何も残さなくてもいい
きれいな空気と水と緑
高い青空を残したい

子供たちには
何も残さなくてもいい
夢みる自由と
真っ白な未来を残したい

子供たちには
何も残さなくてもいい
大人たちと共に生きた
楽しい思いでを残したい

子供たちには
何も残さなくてもいい
人を信じる心と
自分を信じる力を残したい

年端を重ねて老境にさしかかると欲しいモノも無くなってくる。近代社会の大人たちは「子供たちには何も残さなくてもいい」どころか、未来人たちの空気と水と緑と夢を搾取して生きている。
かつて共同体で生きていた人間は有限な世界の中に自足していた。近代社会はこの有限を解体し欲望を無限に追及する病に憑かれた時代だ。
レオ・バスカーリ著の『葉っぱのフレディー』のように、古い葉っぱは風に乗って大地に帰り、若い葉っぱの栄養分にならなけらばならない。それが命のバトンを繋ぐことであり自然の法則である。
現実社会では、古い葉っぱは利権を使い屍のようになっても自ら落葉しないどころか、若い葉っぱを殺してまでしがみついている。そして、若い葉っぱたちは「私たちの未来を奪うな!」と叫び始めている。
16歳のグレタ・トゥーンベリさんはたったひとりで、気候変動に対する政府の無策に抗議するためにストライキを始めた。
2019年9月23日、ニューヨークで開かれた国連気候行動サミットに出席し、地球温暖化に本気で取り組んでいない大人たちを叱責した。

〈スピーチ全文(和訳)〉
あなた方は、私たち若者に希望を見いだそうと集まっています。よく、そんなことが言えますね。あなた方は、その空虚なことばで私の子ども時代の夢を奪いました。
それでも、私は、とても幸運な1人です。人々は苦しんでいます。人々は死んでいます。生態系は崩壊しつつあります。私たちは、大量絶滅の始まりにいるのです。
なのに、あなた方が話すことは、お金のことや、永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかり。よく、そんなことが言えますね。
30年以上にわたり、科学が示す事実は極めて明確でした。なのに、あなた方は、事実から目を背け続け、必要な政策や解決策が見えてすらいないのに、この場所に来て「十分にやってきた」と言えるのでしょうか。
あなた方は、私たちの声を聞いている、緊急性は理解している、と言います。しかし、どんなに悲しく、怒りを感じるとしても、私はそれを信じたくありません。もし、この状況を本当に理解しているのに、行動を起こしていないのならば、あなた方は邪悪そのものです。
だから私は、信じることを拒むのです。今後10年間で(温室効果ガスの)排出量を半分にしようという、一般的な考え方があります。しかし、それによって世界の気温上昇を1.5度以内に抑えられる可能性は50%しかありません。
人間のコントロールを超えた、決して後戻りのできない連鎖反応が始まるリスクがあります。50%という数字は、あなた方にとっては受け入れられるものなのかもしれません。
しかし、この数字は、(気候変動が急激に進む転換点を意味する)「ティッピング・ポイント」や、変化が変化を呼ぶ相乗効果、有毒な大気汚染に隠されたさらなる温暖化、そして公平性や「気候正義」という側面が含まれていません。この数字は、私たちの世代が、何千億トンもの二酸化炭素を今は存在すらしない技術で吸収することをあてにしているのです。
私たちにとって、50%のリスクというのは決して受け入れられません。その結果と生きていかなくてはいけないのは私たちなのです。
IPCCが出した最もよい試算では、気温の上昇を1.5度以内に抑えられる可能性は67%とされています。
しかし、それを実現しようとした場合、2018年の1月1日にさかのぼって数えて、あと420ギガトンの二酸化炭素しか放出できないという計算になります。
今日、この数字は、すでにあと350ギガトン未満となっています。これまでと同じように取り組んでいれば問題は解決できるとか、何らかの技術が解決してくれるとか、よくそんなふりをすることができますね。今の放出のレベルのままでは、あと8年半たたないうちに許容できる二酸化炭素の放出量を超えてしまいます。
今日、これらの数値に沿った解決策や計画は全くありません。なぜなら、これらの数値はあなたたちにとってあまりにも受け入れがたく、そのことをありのままに伝えられるほど大人になっていないのです。
あなた方は私たちを裏切っています。しかし、若者たちはあなた方の裏切りに気付き始めています。未来の世代の目は、あなた方に向けられています。
もしあなた方が私たちを裏切ることを選ぶなら、私は言います。「あなたたちを絶対に許さない」と。
私たちは、この場で、この瞬間から、線を引きます。ここから逃れることは許しません。世界は目を覚ましており、変化はやってきています。あなた方が好むと好まざるとにかかわらず。ありがとうございました。

環境破壊が原因で毎年900万人が死んでいる。
何度も終わりが迫っていることを告げられてきた資本主義は、延命のために「人間」という概念を捨て地球の生態系の破壊し続けている。
現代社会は岐路に立っている。
人生は小説のようなもの。どんなエピローグは書くかは自分次第である。

(2020年12月31日)

岩田宏の「住所とギョウザ」を読む

 小池都知事は今年も朝鮮人犠牲者追悼式典に追悼文を送らなかった。思想や信念があるとも思えないし、何かよほどの利権に差し障ることがあるのだろう。
 9月1日の「防災の日」は、1923年に発生した関東大震災を教訓として防災への心構えを準備するという意味で創設された日である。
 関東大震災後の混乱の中で「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」「朝鮮人が強盗、強姦、殺人を犯している」といったデマが流れ、軍隊、警察だけでなく、在郷軍人会や、消防団、青年団が中心となって組織した民間人による自警団が各地で6000人以上の朝鮮人、700人以上の中国人を無差別に虐殺した。このようなことを二度と起こさないために、歴代の東京都知事は毎年9月1日に、朝鮮人犠牲者追悼式典に追悼文の送付を行なってきた。しかし、小池都知事は追悼文の送付を拒否し続けている。

「住所とギョウザ」  岩田宏

大森区馬込町東四ノ三〇
大森区馬込町東四ノ三〇
二度でも三度でも
腕章はめたおとなに答えた
迷子のおれ
ちっちゃなつぶ
夕日が消える少し前に
坂の下からななめに
リイ君がのぼってきた
おれは上から降りていった
ほそい目で
はずかしそうに笑うから
おれはリイ君が好きだった
リイ君おれが好きだったか
夕日が消えたたそがれのなかで
おれたちは風や紙風船や
雪のふらない南洋のはなしした
そしたらみんなが走ってきて
綿あめのように集まって
飛行機みたいにみんなが叫んだ くさい
くさい 朝鮮 くさい
おれすぐリイ君から離れて
口ぱくぱくさせて叫ぶふりした くさい
くさい 朝鮮 くさい
今それを思い出すたびに
おれは一皿五十円の
よなかのギョウザ屋に駆けこんで
なるたけいっぱいニンニク詰めてもらって
たべちまうんだ
二皿でも三皿でも
二皿でも三皿でも!

 この詩は岩田宏さんが自身の少年時代のエピソードをもとに書いたものだ。
 岩田さんの少年時代とは1930年代であり、日中戦争がすでに始まっていて朝鮮は日本の植民地だった時代である。日本の敵は中国であり、朝鮮半島は日中戦争のための日本軍の侵出拠点として、その統治は強化された。1940年代の戦争の時期になると、日本は朝鮮に対する皇民化政策を推進し、国内の労働力を補うための朝鮮人の強制連行や慰安婦の徴発が行われ、朝鮮から日本に強制徴用された労働者は推定72万に達していたとされている。
 当時の多くの日本人たちは彼らを支配者目線で見下していた。日本は東南アジアの国々に対して「アジア民族の独立を助けた」と言う人がいるが、言葉も宗教も押し付け、創氏改名を進めて植民化した事実は消すことができない。彼らに対する優等意識は日本人全体にぬぐいがたい偏見として伏流しており、現代にまで続いていると言わざるを得ない。
 集団の中で異質なものを排除しようとすることを「黒い羊効果」といい、人間の集団心理であり人間の本質である。大震災のような危機的状況に陥れば人間の本質があぶり出される。そして、排除がいったん動き出すと誰にもそれを制止することはできなくなってしまう。しかし、もっと厄介なのは、自分たちの行動に疑いを持ったとしても、集団がヒステリー的な行動をとっているときに、それに異を唱えれば自分が仲間の標的になりかねないという恐怖が伏流していたことだ。そうした二重の恐怖から、岩田さんの詩のように、仲間の背後から口をパクパクさせて犯罪的行為に加担してしまうということが日常的に繰り返えされるのだ。
 岩田さんの詩からは、自己の弱さゆえに、意図しない加担者になってしまったことに対する気持ちを持ち続けていた作者が、己を振り返って、自己処罰をしないではいられない切迫した気持ちが切々と伝わってくる。自分の中に内面化された複雑な感情に向き合うことでしか、他者と友好的で対等な関係を築くことはできない。
 小池都知事は、朝鮮人差別と自ら向き合おうとはせずに歴史修正主義に加担することで、自分たちの過去の犯罪的な行為を正当化しようとしているようにしか見えない。歴史を否定する事は排外主義へと繋がり、歴史に無関心になる事は無意識の加害者になる事である。日本にとってどんなに都合の悪いことでも事実として認め、反省するとこが同じことを二度と繰り返さないことである。

(2020年12月23日)

余秀華という詩人

 中国で2015年の冬、「穿过大半个中国去睡你」(中国のほとんどを横切ってあなたと寝にゆく)という詩が大変ブームになった。
 湖北省鐘祥市校外の農村で、細々と畑を耕しながら暮らしている余秀華(ユイシウホウ)さんがという女性が、中国版LINEの「微博」で発信した一篇の詩が瞬く間に大量転送され、余さんは一夜にして現代中国で最も有名な詩人のひとりとなった。初の詩集『月光落在左手上―余秀華詩選』(月光は左手の上に落ちる―余秀華詩集)は版を重ね10万部を売り上げて、この20年来の中国における詩集のベストセラーを記録している。
 余さんは分娩時の酸欠により脳性麻痺を発症し、四肢の麻痺と語音がはっきりしない構音の障害が残り、見合い結婚で一緒になった夫とその母と暮らしていた。
 この作品は、夫が妻と一夜を共にするために中国全土を通り抜けて行かざるを得ないような生活を送る「農民工」の悲しみや辛さを表している。
 かつては性生活は農民にとって日常生活の一部であり、特別なことではなかったが、都市と農村部の収入の格差がどんどん広がっている中国では、妻に会うために何千キロも移動しなければならない出稼ぎ労働者たちが何万人もいる。
 この詩は現代の中国の歪んだ社会を素直に描写したものとして大変衝撃を与えた。中国では政治的な抑圧を恐れて、多くの人はネットやメディアで自分の正直な気持ちを表現したり社会の歪みを批判することは避けるので、余さんの単刀直入かつ美しい表現は多くの人の心を動かした。それだけ今の中国では悲痛な現実を実感している人が多いということなのかもしれない。

「中国のほとんどを横切ってあなたと寝にゆく」 余秀華

ほんとうは、あなたと寝ることとあなたに寝られることはさして変わらない、それはふたつの肉体がぶつかり合う力というだけで、その力が急ぎたてて開かせた花というだけで、その花びらが仮想した春が私たちに命がふたたびよみがえりつつあると錯覚させているにすぎないだけ
ほとんどの中国では、どんなことだって起きている
火山が噴火し、川は枯れている
話のタネにもならないどこかの政治犯と流民たち
銃口にさらされているどこかの四不像と丹頂鶴
私は銃弾の雨を潜り抜けてあなたと寝にゆく
私は無数の暗い夜を一つの黎明に押し込めてあなたと寝にゆく
私はどこまでも駆けながら、無数にいる私を一人の私に変えてあなたと寝にゆく
もちろん、どこかの蝶に分かれ道へと誘われることだってあるだろう
だれかの褒め言葉を春と見なしてしまうこともあるだろう
横店とよく似た村を故郷と見なしてしまうこともあるだろう
でもされらはみな
私があなたと寝にゆくためになくてはならない理由のようなもの

 余さんは「中国のエミリー・ディキンソン」と呼ばれている。余さんの人気の火付け役となった米国在住の詩人沈睿さんが、自身のブログに掲載した文章がある。

 「このような強烈で美しさが極限に達した愛情の詩、情愛の詩を、女性の立場から誰も書くことができなかった。私は彼女は中国の中国のエミリー・ディキンソンだと感じた。奇抜な想像力、言葉のもつ衝撃の力強さがある。中国のほとんどの女性詩人の詩と比べて、余秀華の詩は純粋な詩であり、命の詩である。せいいっぱい飾りつけられた盛宴でもホームパーティでもんなく、それは言葉の流星雨であり、その輝きに思わずじっと見とれてしまう。感情の深さが人の心を打ち、胸を苦しくさせる。」 (沈睿)

 エミリー・ディキンソとは、1830年12月10日生まれの米国の詩人である。生前はわずか七編の詩を地方紙に発表しただけで、世間的にはまったく知られることが無く終わった。生前制作した詩の数は1700篇に上るが、それらが日の目を見るのは彼女の死後のことであった。56歳の生涯のほとんどを、自分の生まれた家で過ごし、国内を旅行することもなかった。自分を狭い世界に閉じ込めたわけであるが、そうした孤立の影は彼女の詩にも及んでいる。彼女の詩は、彼女だけの内密な世界を、内密なタッチで歌い上げたものが多い。
 世界中が格差社会だ。中間層が没落して、富める者はより富み貧しい者はより貧しく、この差は縮まることはなく更に拡がるばかりだ。クレディ・スイス(銀行)によると、世界の上位10%の富裕層が世界の富の82%を独占している。そして、世界のトップ10%の富裕層で最も多いのが中国人だという。
 中間層が分厚くて対人ネットワークが豊な社会では人々は仲間意識を抱くが、中間層が没落すると人々は疑心暗鬼に襲われ仲間意識が消えて人と人との関係をバラバラにする。格差社会の時代を豊かに生きるとは自らのアイデンティティを生きることであり、人種や性別や年齢も関係なく文化によってつながることである。日本ではアニメやゲームなどのサブカルチャーが世界中で人気であり、テクノロジー・コミュニケーンとしてネットがツールとなっている。それは、ただ単にアニメやゲームが好きというよりも誰もがコミュニケーンできる「仲間」求めているからだろう。
 余さんの言葉もバラバラに分断された人々をつなげているのかもしれない。

参考文献:「詩に浄化される身体」 小笠原淳

(2020年8月31日)

地球の寝床

 反差別、反偏見、反貧困、反戦争、反原発・・・。
 悪夢を喰いながら詩を書き続けたのが、山之口貘(1903~1963)という貧乏詩人のポエジーだ。

「座蒲団」  山之口貘
土の上には床(ゆか)がある
床の上には畳がある
畳の上にあるのが座蒲団でその上にあるのが楽という
楽の上にはなんにもないのであろうか
どうぞおしきなさいとすすめられて
楽に座ったさびしさよ
土の世界をはるかに見下ろしているように
住み馴れぬ世界がさびしいよ

 貘さんの詩法の最も優れた特徴は「反転」の鮮やかさにある。ユーモア、アイロニー、ペーソスといったような貘さんの詩について述べられる評価のすべてはこの「反転」によって生まれてきたものだと言っていい。この「反転」はどこから出てきたかというと、それは「ない」ことの認識をめぐって生まれてきたものだ。「ない」状態を際立たせるための最大の戦略としてそれはあったし、「ない」ことをめぐる「思辨」が生み出した方法であったのである。
 ペーソスやペシミスティックに「ない」ことを語るのは誰にでも出来るだろう。しかし、生き様が反映されていない言葉はウソっぽいものである。貘さんの言葉とは、すべて身体を通して出てきたものであり、生き様そのものである。
 19歳で沖縄から東京に出てきた貘さんは、定職を得られず、昼間は喫茶店に入りびたり、夜は土管にもぐって寝たり、公園や駅のベンチ、キャバレーのボイラー室等折り折りの仮住まいの生活で、初上京の日から16年間、畳の上に寝たことはなかった。こうした放浪生活の中で詩を書き続けたのだ。

「生活の柄」 山之口貘
歩き疲れては、
夜空と陸との隙間にもぐり込んで寝たのである
草に埋もれて寝たのである
ところ構わず寝たのである
寝たのであるが
ねむれたのでもあったのか!
このごろはねむれない
陸を敷いてもねむれない
夜空の下ではねむれない
揺り起されてはねむれない
この生活の柄が夏向きなのか!
寝たかとおもふと冷気にからかはれて
秋は、浮浪人のままではねれむれない

 貘さんは40年間の詩人生活で『思辨の苑』『山之口貘詩集』『定本 山之口貘詩集』のわずか3冊の詩集しか刊行していない。短い詩一篇を生み出すために、200枚、300枚の原稿用紙を書きつぶしてしまうほどの「推敲の鬼」と言われるほどだ。こんな逸話もあるという。苦労して書きためた詩も相当数になり、それらをまとめて処女詩集を刊行する運びになった。そこで貘さんは佐藤春夫氏に序文を書いてもらった。佐藤氏はその序文の末尾に「1933年12月28日夜」と日付を記した。ところが、実際に詩集が刊行されたのは1938年。序文をもらったあと、なお推敲に推敲を重ねるうち、5年の歳月が流れてしまったのである。
 獏さんを知っていた人たちは、みんな声をそろえて、獏さんのことを「精神の貴族」だといい、貧乏だったからこそ「よい詩」が書けたのだという。中野孝次氏は『清貧の思想』という著書で、金銭欲と所有欲が支配する現代社会に対して、芭蕉、良寛など日本の文化人たちが追求した文化の伝統を「清貧」を尊ぶ思想として論じた。その思想は、脱金銭、脱所有の生活態度に徹することによって、精神の自由を確保し、富裕や権勢や栄達以外に重要なものがあることを発見しようとするものであって、宇宙と自然の中に人間の魂や生命そのものの充足を図るというものであるという。獏さんは「地球市民」として「清貧」を生きたからこそ詩が生まれたのだ。
 「地球市民」とは、人種、国籍、思想、歴史、文化、宗教などの違いをのりこえ、誰もがその背景によらず、誰もが地球社会の一員であり、人として尊重される社会の実現を目指そうとする思想の事である。

「僕の詩」 山之口貘
僕の詩をみて
女が言つた

ずゐぶん地球がお好きとみえる

なるほど
僕の詩 ながめてゐると
五つも六つも地球がころんでくる

さうして女に
僕は言つた

世間はひとつの地球で間に合つても
ひとつばかりの地球では
僕の世界が広すぎる。

 「地球市民」である獏さんの詩には「地球」という言葉が多く使われている。
 見れば見るほどひろがるやう ひらたくなつて地球を抱いている 「襤褸は寝てゐる」、地球の頭にばかりすがつている 「思弁」、ほんの地球のあるその一寸の間 「数学」、地球を食つても足りなくなるなつたらそのときは 「食ひそこなつた僕」、地球の上でマンネリズムがもんどりうつている 「マンネリズムの原因」、死んだら最後だ地球が崩れても 「生きてゐる位置」、まるい地球をながめてゐるのである 「夜」、まるで地球に抱きついて ゐるかのやうだとおもつたら 僕の足首が痛み出した みると、地球がぶらさがつてゐる 「夜景」、次第に地球を傾けてゐるのをかんじるのである 「立ち往生」、青みかかつたまるい地球を 「頭をかかえる宇宙人」、地球の上を生きているのだ 「羊」、地球の上はみんな鮪なのだ 「鮪に鰯」、地球の上で生きるのとおなじみたいで 「告別式」、ぼくのうまれは地球なのだが 「がじまるの木」、地球をどこかへ さらって行きたいじゃないか 「船」、九月一日の 地球がゆれていた 「その日その時」、琉球よ 沖縄よ こんどはどこへ行くというのだ 「沖縄よどこへいく」、まっすぐに地球を踏みしめたのだ 「親子」
 一昨年の夏、東海道を180KM歩いたが都市空間に限らずローカルな空間にも自販機やコンビニは至る所にあるのに、ところ構わず寝られる場所など一つもなく「○○禁止」の標識だらけだった。公園や空き地は徹底的に管理され、寝ればすぐに警察に通報された事だろう。むしろ人間は管理されたがっているようも感じた。近代化は何を豊かにしたのだろう。ところ構わず寝られる場所を奪い、人間の寛容さを奪い、多くの動植物が絶滅させ、山之口貘的詩人も絶滅危惧種である。ホーキング博士は、人類がこのまま二酸化炭素を排出し続けるならば温暖化により、あと100年で地球は終了すると警告したが、もうすぐ人間も絶滅危惧種の仲間入りするかもしれない。

「雲の上」 山之口貘
たった一つの地球なのに
いろんな文明がひしめき合い
寄ってたかって血染めにしては
つまらぬ灰などをふりまいているのだが
自然の意志に逆らってまでも
自滅を企てるのが文明なのか
なにしろ数ある国なので
もしも一つの地球に異議があるならば
国の数でもなくする仕組みの
はだかみたいな普遍の思想を発明し
あめりかでもなければ
それんでもない
にっぽんでもなければどこでもなくて
どこの国もが互に肌をすり寄せて
地球を抱いて生きるのだ
なにしろ地球がたった一つなのだ
もしも生きるには邪魔なほど
数ある国に異議があるならば
生きる道を拓くのが文明で
地球に替るそれぞれの自然を発明し
夜ともなれば月や星みたいに
あれがにっぽん
それがそれん
こっちがあめりかという風にだ
宇宙のどこからでも指さされては
まばたきしたり
照ったりするのだ
いかにも宇宙の主みたいなことを云い
かれはそこで腰をあげたのだが
もういちど下をのぞいてから
かぶった灰をはたきながら
雲を踏んで行ったのだ

(2020年6月24日)