十七才の風景 高岡和子の詩  

 一九六四年二月の夜、一人の天才的な少女詩人が、湘南海岸で短い命を絶った。
 多くの創作者が、自らの才能によって押しつぶされ、真理を求めて心を破壊していったように……。
 幼ないころより詩を書くことに喜びを覚えた彼女は、詩人として生きていくことを決心した。誰にも明かすことなく、中学一年から高校まで詩作を続け、自分の苦しみや悲しみ、孤独感、そして喜びや感動を、心象詩としてノートに書き続けていた。
 そのことは家族すらも知らなかったという。
 彼女は、心の叫びを書き残して、寒い冬の海に帰った。浜辺に置かれたノートは、見つかるまで、三日三晩、波風にさらされていたが、その内容は友人や兄妹らの手によって、遺稿集『雨の音』として発表された。
 雨の音とは、中学三年のとき彼女が書いた詩だった。

「雨の音」 高岡和子

ポトンとおちた瞬間に
心もいっしょにふるえるような
雨の音
孤独を音にしたら
こんなふうになるだろう   (中三・六月)

 そして、いま再び、彼女の鮮烈な詩が甦るときがやってきた。
 傷口で風を感じるような鋭敏な彼女が、いまを生きる小さな詩人たちの胸に……。
(『さようなら十七才 海と心の詩』 高岡和子 2012年/リーダーズノート出版 より) 

 海の聲が聞こえる街で育ち、海の聲が聞こえる街で彼女の詩と出会った。遠いむかしのことだ。
 高岡さんの「死」は海と溶け合い「風景」として、僕の「生」の断片に臥せる「現象」になっている。
 思春期に達した人間は「死」そのものに強い関心を示す。それは自意識が芽生え、自らの「生」が「永遠」でないことを自覚するようになるからだ。思春期の「生」というのは、喪失感を内面化することであり、孤独感を胸の奥に抱え込み息苦しさを感じながら生きることだ。

「祈り」 高岡和子

かみさま
わたくしは
どこから来て
どこへ行くのでしょう
  
かみさま
わたくしは
どうして生まれ
どうして死ぬのでしょう

かみさま
わたくしは
しあわせですか……   (中二・九月)

「空」 高岡和子

口でいえる深さとは
    人間の深さだ
空は そんなものではない
空は 人間と同じではない
空は 空だけしか知らない   (中三・二月)

「無題」 高岡和子

波の音だけが耳をおおい
風だけが私の手をとり
砂だけが意識し
空だけが見ている

けれど
波の音ははかなく
風は見えない
砂は無言で冷たく
空は遠い
空は遠い……   (中三・二月)

 高岡さんは十七才で逝った。
 十七才という季節は、子どもでもなく大人でもない季節であり、子どもでもあり大人でもある季節だ。大人の都合によって、ある時は「子どものくせに」と言われ、ある時は「もう大人なんだから」と言われる。この両義性の矛盾を内包させられて生きていたことを今でも覚えている。自分自身の存在を確認することも困難で、暗闇の中で色々なものにぶつかって全身が傷だらけになりながら自分自身を確認し、自分自身にしか見えない「風景」を手探りで探していた。
 思春期の季節は遠く過ぎ去ったが、「漠然とした不安感」や「現実に対する嫌悪感」は現在に至っても続いている。おそらく自分は世の中と折り合いことなどできず、生きづらさを抱えたまま一生を終えるだろうと思う。

 限りある「生」の中で、「永遠」なる「風景」を見つけることが生きる意味だと思う。
 ランボーは、
 ……また見つかった! 何が? 永遠が。 それは、海。 溶け合うのは、 太陽。
 ブレイクは、
  ……一粒の砂に世界を見/一輪の野の花に天国を見/掌に無限を乗せ/一時のうちに永遠を感じる
 と語る。
 高岡さんの詩は、波光のように「永遠」に煌めき続けている。
 「永遠」とは、人間を超えた存在を感じ真実の世界に近づくことである。言葉をかえると、自分が自然の中に融けこんで、見えない存在となり、自然と一つにつながっていると感じることだ。
 高岡さんの詩を想いだす。

「無題」 高岡和子

あの汽車に乗れば
どこか
どこかへ行けるのだ

そうしたら
海を
山を
空を見よう

そうしたら
砂の上に
草の上に
雲の下にねそべって

歌をうたおうか

地面や空に
とけこうもうか   (中二・九月)

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