風 吹いてゐる
木 立ってゐる
ああ こんなよる 立ってゐるのね 木
(【無題】)
雲が沈む
そばにゐてほしい
鳥が燃える
そばにゐてほしい
海が逃げる
そばにゐてほしい
(【日没】)
吉原幸子の詩は、鋭いナイフの様に、真っ直ぐに心の奥底に突き刺さる。
読者たちは、吉原幸子によって傷つけられ、救われるのだ。
他人にも傷がある そのことで
救われるときがある たしかにある
でも
わたしの傷が 誰を救ふだろうか
(【非力】)
吉原幸子を”純粋病”と呼ぶ。
詩作という行為によって自傷し、両腕いっぱいにことばでリストカットをして失神する。
血が出るわけではない。詩が湧き出てしまう。
そしてわざと、神を失いかける行為を繰り返す。
神から見放されることで、やっと自由になれるだろう透明な自分を求める。
傷のない愛などある筈はに だが
愛はないのだから 傷もある筈がない
ない空にない風船をとばした罪
ない恋人を抱いた罪
半分が終わった
さうして残る半分は
わたしがそこにゐないことを
証明するための時間だ
どどかなかったナイフは ない
傷はないのだから わたしは ない
(【独房】)
わたしの小さな光のために
まはりの闇が もっと濃くなる
わたしにはあなたがみえない
あなたのなかの闇がみえない
わたしの小さな光のために
わたしには わたしがみえない
わたしの流した白い血だけがみえる
(【蝋燭】)
人は愛に絶望した時に、肉体を求める。
吉原幸子は無償の愛をテーゼとし、
その極限に自らを追いつめるように生きた。
純粋病はどの病気よりも重く、美しいほどに残酷だ。
しかし、何かをひたむきに求め続ける「生」は光輝くだろう。
深い孤独とともに。
ハンスたちはあなたを抱きながら
いつもよそ見をする
ゆるさないのが あなたの純粋
もっとやさしくなって
ゆるさうとさへしたのが
あなたの墜落
あなたの愛
(【オンディーヌ】)
(参考文献/『現代詩手帖(吉原幸子の世界)』)
(2017年7月25日)