ハチのムサシは死んだのさ

 1972年に平田隆夫とセルスターズによって歌われた「ハチのムサシは死んだのさ」 という異彩を放った曲がヒットした。
♪ ハチのムサシは 死んだのさ
♪ 夢を見ながら 死んだのさ
♪ 遠い昔の 恋の夢
♪ ひとりぼっちで 死んだのさ
 この曲の原詩は、多くの悪役を演じた俳優であり、小さないきものや自然を紡ぐ詩人でもある内田良平さん(1924-1984年)が、1974年に上梓した第一詩集『おれは石川五右衛門が好きなんだ』に収められた「ハチのムサシ」という詩だ。

「ハチのムサシ」 内田良平
ハチの
ミヤモトムサシは死んだんだ
とおい
山の奥の畑で
お日様と果し合いをあいをして
死んだんだ
彼の死骸は
真っ赤な夕日に照らされて
麦の穂から
ポトリと落ちて
やっぱり 確かに死んだんだ
勝てなかったお日様や
やさしく抱いてくれた土の上で
真っ直ぐな顔で
静かに
空を
むいていた

 内田さんは詩作について『おれは石川五右衛門が好きなんだ』のあとがきで語っている。
 「わたしは多少、やけっぱちで書いた。子供が叱られて、カベ板に落書でもするように、詩なんてものはどうせ役に立たないシロモノであるから、自分で楽しけりゃそれでいい、と思って書いた。
 だいたい、昔から文学者が政治家や官僚よりもえらい勲章を貰ったためしはない。少なくとも生きてるうちは、である。だからわたしもその点、勲章つまりこの国の政治から与えられる名誉への情熱ははじめから持たないことにした。
 だから必然的に、その反動として勲章をくれない階層を相手にするべく努力しなければならないと思ったのである。わたしに勲章をくれない相手は子供である。わたしが童謡をそれも、もっとメチャクチャに書こうと思ったのは、そのためである。
 子供はメチャクチャだし、わたしの性格も多少その傾向を帯びている。
(略)
 わたしが虫の詩を書くのは、彼らの方が、ずっとはっきりした顔付をしているからである。ゴキブリなんかは四億年も、たった一つの顔で生きている。日本刀が、斬るという一つの機能をどこまでも追求することによって、あのような美しさを保ちつづけているように、数億年を生きのびてきやヤツの顔をつくづく眺めると、まるで精密機械のように無駄がない。わたしたち人間の顔付ほどアイマイではないのである。
 わたしの想いを託すには、人間たちの行為や姿態よりも、彼らのほうが、ずっと、たしかであろう。それに虫たちは、子供のころからの仲間で気心が知れている。虫たちは、人間よりも、もっとぜい肉を削りとった人間の姿をして、わたしの前に現われてくれる。虫を前にして、またしても私はメチャクチャになることができたのである」

 「ハチのムサシは死んだのさ」 がヒットした理由として、当時の学生運動を示唆した楽曲で、〈ハチのムサシ〉という一人の青年が国を変えようと国家という〈太陽〉に挑戦して焼かれて死んで落ちたという内容が大衆の共感を呼んだことだという。現在は学生運動の時代も過ぎ去り〈ハチのムサシ〉は、革命的マルキストではなく、戦闘的エコロジストとしてこの曲を聴くことができる。
 資本主義社会の欲望は、自然環境を取り返しのつかない事態にまで破壊し続けている。
 世界食料の90%を受給する100種の作物のうち70種以上がミツバチによって受粉しており、昆虫や他の動物による花粉交配は世界の食料生産にとって必要不可欠なものである。しかし、ネオニコチノイド系の農薬のために多くのミツバチが殺されている。2017年にヨーロッパ連合では「フィプロニル」が全面禁止されたが、日本では今でもあちこちの田畑でネオニコチノイド系の農薬が使われている。
 2018年5月15日の農林水産委員会で、農水省の消費・安全局長は、野党議員から、ネオニコチノイド農薬とミツバチ大量死の関係や、世界で規制が進んでいるのに日本が逆行する理由を聞かれ、こう答えている。
 「大丈夫です。日本ではミツバチの大量死は、まだ年間50件程度しか出ておりません」
 農水省農薬対策室は、「国内で使用できる農薬は安全性が確認されたもので使用基準を守っていれば問題ない」という見解だ。ネオニコチノイド生産メーカーである住友化学も同様に、科学的根拠はないとして、その危険性を否定した。
 因果関係が証明されてからでは問い返しがつかないと、食と環境と国民の命を守ることを優先して予防的措置を取っているのが世界の国々であり、50軒もの農家でミツバチが大量死しても、農家のために農薬は必要だと言い続けているのが日本政府である。
 農薬使用大国ニッポンに生まれた「農薬ムラ」の主要な構成員は、農薬にお墨つきを与える農水省と、農薬を製造するメーカー、それを販売する農協などであり、これを農林族議員が支えている。
 農協は、農水省にとって行政の窓口となり、政治家にとっては集票マシーンとなる。見返りとして農水省と農林族議員は農協や農薬メーカーに有利な行政をし補助金を流す。農協とメーカーは天下り官僚を受け入れる。ムラの住人たちはこのような関係で結びついている。
 2021年5月12日に農林水産省は、持続可能な日本の農林水産業を目指して「みどりの食料システム戦略」を策定した。2050年までに化学農薬を半減するなど「低農薬への転換」を掲げたが、2050年ではあまりにも遅い対応である。
 ミツバチがいなくなれば農業そのものができなくなることを、農薬ムラの人間たちは気づいているのだろうか?
 この先、どれだけの〈ハチのムサシ〉が殺されるのだろうか?

 内田さんの詩作において〈海〉も大事なテーマのひとつである。
 没後、友人たちの手で編まれた『朱いかもめ 内田良平遺稿詩集』から4遍の詩を・・・

「かもめ」 内田良平
何があるだろう、だが、
行かねばならぬ、なお、
おれもかもめも。
母と、あしたと望郷を
口にくわえて、
ひと目見知らぬ今日を
飛び交う。
空の向こうは空、
海の向こうも海……なのに。

「たった一つ……」 内田良平
たった一つしかない。
海はかけがえがない。
誰が何と言ってもたった一つだ。
おれは叫ぶ
だがそれも
誰にも届かないひとりごとだろう。
手をひろげて 海は切り刻まれてた体を
投げ出して笑っている。

「海」 内田良平
小さく生きよう
小さなことは恥ではない

渚や 海水の中の生きものたちのように

ただ自然を信じる
いっさい海に向かって
小さく生きて終わろう
無と同じもの か……
打ち続く この波や 風や雲
草や光と同じはるかに流れ行く
それなら同じ
魚たち
おれのゆくえも知ることはない

「傷ついて……」 内田良平
傷について、ひざつき 首をたれれば
死は近く。
海のとおく
さらに とおいものを 見ようとしよう。
いける場所はありはしない。
ねがうは 荒れ立つ波の向こうに
すべてを超えるもののあるを。
風強いふるさとにたどりついて、
波をみて、死近く、首はたれ、
海はおれを生んでまた
おれを むかえてくれる。

 内田さんにとって〈海〉とは、母であり、故郷であり、生命を生み出す根源的なものでもある。今の自分を生かしている存在が〈海〉ということばで表現されている。
 「海はいいよ……海は」「こいつだけは変わらない。こいつだけは変わっちゃいけないんだ」と日ごろ友人に語っていたという内田さんは、故郷の銚子の自然破壊を憂えて、銚子市長選へ出馬を考えたこともあるという。

 海はゴミや生活排水で汚染され海洋生物が死に、大気は車の排気ガスや工場から排出される有害物質で汚染され鳥が死に、大地は農薬や森林伐採で汚染され動植物が死んでいる。そして、福島第一原子力発電所事故により排出された放射性物質が、海・大気・大地の汚染をさらに加速させている。
 地球上の生物、海、大気、大地などは相互に連携し、密接に関係し合いながらそれぞれの地域で生態系を構成し、そのバランスを保っている。生態系の一員である人間にとっても同じことがいえる。生態系から独立しているかに錯覚しがちな現代の人間社会も、多様な生物の働きから成る生態系という地球の営みの中でしか生きられない。
 内田良平という詩人が殺される側の小さな生き物の視点に立って世界を見ていたように、私たちも少しだけ立ち止まって、小さな生き物を追いかけ回していた子どもの頃を想いだし、小さな生き物の声、海や大地の声に耳を傾けなければいけない。

(2021年12月13日)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です