永瀬清子さんは1906年2月17日に生まれ、1995年のちょうど誕生日と同じ日の朝に亡くなった。
4人の子どもの母であり、体の弱かった夫を助け、戦後は農業もし、岡山家庭裁判所調停委員の仕事を持ち、いわば主婦、詩人、仕事の3つをやりぬいた人生であった。
「多くの女性をやっていることを詩人の名でやらずにすませ得る事はなく、それをのけて女性詩人があるものではありません」と語るように、このようなまともな考え方のできる人だったからこそ、1度読んだら忘れられない詩を残せたのである。
永瀬さんの残した作品は、詩集18冊(アンソロジーを含めて)とエッセー集5冊、短章集5、6冊であり、ほとんどが絶版であることを考えると、現代詩の先駆的な存在である永瀬さんの作品が広く読まれるべきだと思う。
「あけがたにくる人よ」 永瀬清子
あけがたにくる人よ
ててっぽっぽうの声のする方から
私の所へしずかにしずかにくる人よ
一生の山坂は蒼くたとえようもなくきびしく
わたしはいま老いてしまって
ほかの年よりと同じに
若かった日のことを千万遍恋うている
その時私は家出しようとして
小さなバスケット一つをさげて
足は宙にふるえていた
どこへいくとも自分でわからず
恋している自分の心だけがたよりで
若さ、それは苦しさだった
その時あなたが来てくれればよかったのに
その時あなたは来てくれなかった
どんなに待っているか
道べりの柳の木に云えばよかったのか
吹く風の小さな渦に頼めばよかったのか
あなたの耳はあまりに遠く
茜色の向うで汽車が汽笛をあげるように
通りすぎていってしまった
もう過ぎてしまった
いま来てもつぐなえぬ
一生は過ぎてしまったのに
あけがたにくる人よ
ててっぽっぽうの声のする方から
私の方へしずかにしずかにくる人よ
足音もなくて何しにくる人よ
涙流させにだけくる人よ
「あけがたにくるひとよ」は、詩人永瀬清子が81歳にして第12回地球賞を受賞した詩集の中に収められた同じタイトルの作品である。
“てってぽっぽう”という語感に残るの印象的な言葉は、山鳩の鳴き声の事であるという。たまたま上京して従姉の家に泊まったその明け方早く目がさめ、ててっぽっぽうの声を聞いて郷愁を感じ在りし日を思いこの詩を書いたという。
あけがたに来る人とはどんな人なのか。
永瀬さん自身の言葉によると、「あけがたに誰かがくると云えばこの「詩」が来てくれた事が一番あたっていると云えよう。何の誰それと云ってももうそれは何十年も年月がすぎて昔の事情とはちがっている。でもこの『詩』が来たのは嘘いつわりではないのだ。それは本当に「来た」のだ。(『女人随筆』(1991年1月号))」ということらしい。
清水哲生氏によれば「若い頃に、ひそやかな恋心を抱いた人——。あるいは、すなおにそう読むべきかもしれないが、この読み方どうも通俗に流れすぎるようでおもしろくない。あくまでもこの人物はひとりなのではあるけれど、未知の人物も加えて、若き日の詩人の「こころ」に何らかの影響を与えた人々の総体なのだと、私は読んでおきたい。だからこそ作者は、「もう過ぎてしまった」というのであり、「一生は過ぎてしまったのに」と断言できるのである。昔の想い人に託した形式はとっているけれども、もっとうがった見方をしておけば、「あけがたくる人」とは、実は詩人自身にことでもあると読めないだろうか」という。
永瀬さんの詩の根底を貫いている主題とは、「遠い日々に思いに馳せながら「人の世の生業」への情愛に自ら縛られて老いていく女たち」であり、「憧れや幻想を捨てて選びとった地上」を生きることである。
この「あけがたにくるひとよ」という恋物語は寓意の世界である。一日のうちで夜と朝の狭間に置かれた「あけがた」という神秘な時間がごく短いように、「恋人」は一瞬のの至福として彼女の前に現れ去ってゆく。だが、この律儀な娘には生きる真実を捨ててまで夢を老い続けることはできなかった。——「恋人」とは「夢や希望」の象徴表現であり、今や晩年を迎えようとしているかつての少女は、捨てられたかに見えた若き日の「夢や希望」を、こころの奥深くにつつましく抱きしめて涙するのである。
永瀬さんにとって詩とは基本的に己の「自我」と向き合い、それを確認するための場、そして主張してやまない自我の抑制から、より普遍的なはれやかな場所へと自己を解放するための鍛錬の場であった。したがってこの自我は芸術家らしい野放図な拡大を求めるものではなく、つねによき「女性」として在るための内省の場を求めたのである。
『短章集』を読んだ谷川周太郎氏はこう語っている。「永瀬清子という人がひとりの日本の女でるということ、妻でもあり母であり農夫であり勤めの人であり、それらのすべてでありつづけることによって詩人でるということが、私にも分かってきたのだ。彼女は他の多くの、特に男の詩人たちのように、たつきはたつき、文学は文学と和割り切って、昼の仕事を終えたあとに書斎にこもって詩を書いたのではない。『ほしいもの』というという本集に収められた一文を読むだけでも分かる。永瀬さんは女の戦場の只中で書きつづけてきた。」(「ひとりの日本の女」より)
永瀬さんは、女性が何かを表現するというのが許されない封建的な時代を、「女性」であることの詩と真実を求め続けてきたからこそ、現代の女性の詩人たちの存在があるのだろう。
〈参考文献〉
『近代女性詩を読む』新井豊美(思潮社)
『永瀬清子』井坂洋子(五柳書院)
『現代詩つれずれ草』清水哲生(思潮社)
(2018年12月25日)
永瀬清子さんの詩を知ったのは、私が大学生の頃。静かなる一人の女性の清らかなる愛を感じました。生きて老いていくことの心をこんなにも美しくとらえ言葉にできる永瀬さんのファンになりました。あれから40年たち、あの頃の永瀬さんの年齢近くになる自分を思い、ふと明け方に来る人を思い出しました。
高坂さん、ありがとうございます。
谷川俊太郎さんが「現代詩の母」と呼ぶ永瀬清子さん。
女性が分筆活動をするのが困難な時代に詩を書き続けたからこそ、
現代詩の子どもや孫がたくさん生まれました。
これからも永く読みつがれる詩人だと思います。