最後の放浪(されく)詩人 高木護

子どものころ森に入ると、風にも、川にも、木にも、草にも、魚にも、声があった。
自然こそが最高の教師だった。

「童謡」  高木護

海を買いにゆく
がったんごっとん
むかしの少年は
むかしの唄を
口笛にのせて
いそいそ
青い海を買いにゆく
ここらには
涙を溜めた貝がいて
ここらには
法螺吹き魚がいたそうな
恋をして
あの、あの
そっと指切りして
たったそれだけ
忘れられない人は
海の瞳

「こんな詩は、いまの時代になかなか生まれなくなった。それほそ人間は知らず知らず詩を生み出せぬような、乾いた世界にとりかこまれて、心の荒廃限りもないということだろうか。それを排除して、高木さんは生きている」と評したのは永畑道子だ。
 高木さんは昭和二年に熊本県山鹿市に生まれたが、生まれつき体が弱く、戦時中は軍属としてシンガポールへ送られときにマラリアに罹ってしまった。奇跡的に一命を取り留めたものの、復員してからマラリアの後遺症に悩まされながら、残された五人の兄弟姉妹を食べさせるために仕事を探した。しかし、どこの会社の面接を受けても採用されなかった。それならばせめて自分尾食い扶持くらいは減らそうと、自然の山道を孤独に歩きだした。脳裏には自然の中での「野垂れ死」という言葉を描き、宗不早のような行く着く先での自然死を心のどこかでは願っていた。高木さんのいう「野垂れ死」とは、人が何かに失敗して死んでいくのではなく、生きていくうえで垢のように身につけてしまってきた物を捨てて生まれたままになって死んでゆくことであり、いかにして裸の自分になるかという努力することだという。

「返す」  高木護

むずかしいことは判らない
この世にうまれてきた理由も
判らない
なぜ、といわれても判らない
すみません
あなたに骨を返します。

 辛いことばかりが続くと、「なんのためにこの世に生まれてきたのか」「何故生きているのか」「これからどうすればいいのかわからない」と、人生を深く考えやすくなる。
 高木さんは、逃げているわけでもなく、居直っているわけでもなく、まるで子どものように「判らない」という。そして、「人間は自然の一部であり自然に生かされているといる」、「ここまで生かしてもらったことにともて感謝している」ともいう。
 高木さんの心の中には今でも森があり、川が流れ、雲が流れ、緑の木が揺れていて自然と一体なのだ。欲望を捨てて「無」になれるから自然の声が聞こえるのだろう。歩いて「無」になることが大切である。「無」とは生と死が同じであり、等価である。生は死へつらなり、死があるからこそ生が生まれる。その無限に巨大な「無」、あるいは自然を高木さんは表現しつづけてきた。
 だから、高木さんは急がない。求めない。ぶらぶらとただ歩く。自分をたのしませることによって、人をたのしくさせるのだ。

「夕御飯です」  高木護

灯りがゆれると 私の胸に想いがいる
想いを 箸でつゝくと
お前らの瞳の中に
遠い湖があり
青い魚が跳ねている

呼ぼうよ 遠い日を
こゝには 父が坐っていたね
そこには 母が坐っていたね
いまその暗い影に
私が 坐り
お前らが 坐っているね
時に流れ
それは 哀しみのぎつしり
敷詰められた小径だった

「足こそは私の思想であり、私の哲学である」と語る高木さんは、「足は、歩くだけにあるのではなく、歩くおれらの心の道をみつけるにもある」、「人間は他の生き者たちの心と比べたら、使い方によっては大きくもなるし、小さくもなるし、豊かにもなるし、乏しくにもなるし、広くもなるし、狭くもなるし、善くもなるし、悪くもなるし、楽にもなるし、苦しくもなるし、明るくもなるし、暗くもなるし、しあわせにもなるし、ふしあわせにもなる」という。
 「歩く」とは自分の心の道を探すことである。ただ、足で歩くだけではせいぜい歩いたというだけの自己満足しか得られないが、自分の心の道を探し出して歩いたら、よい人間になる修業になるのである。

 高木さんの「足の思想」は、老子の思想と通じるものがある。老子のいう「道」とは普段歩くために使う道路のことではなく、人間社会からはるか宇宙に至るまでの根本的な原理であり、人間が生きる上で手本とするべき最高の理想、すなわち道徳のことだ。その「道」からあらゆるものが生まれてくると老子はいう。また「道」とは本来、言葉にできるものではなく「名無し」の状態を指し、なにもない天地の始まりのようなものであるそうだ。そこから万物が生まれることで、はじめて「名有り」の状態になり、無から有が生まれるという構図ができるという。その後に、「道」に内在している「徳」の働きが、万物を養い育てるという。

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