結核に冒され死を間近に悟った村山槐多は、
雪まじりの雨が激しく降るある日、
房総の波打際の岩の上で喀血しながら酒をあおって死を待ったという。
「一生懸命生きて、一生懸命死んだ」これが槐多だ。
血染めのラッパ吹き鳴らせ
耽美の風は濃く薄く
われらが胸にせまるなり
五月末日は赤く
焦げてめぐれりなつかしく
ああされば
血染めのラッパ吹き鳴らせ
われらは武装を終へたれば。
(四月短章)
槐多は「血染めのラッパ」を吹き鳴らして、芸術創造の道を進軍した。
天からあたえられた才能の赴くままに、詩を書き、絵を描いた。
槐多の青春時代は、幸徳秋水、管野スガたちが国家権力に殺され、
自由が弾圧された時代潮流の渦の中にあって、
たった一人で、孤独感をいだき、えいえいとして、
自身における自我の確立を目指した。
槐多は「血」のような真赤な絵の具「ガランス」を愛した。
ためらふな、恥ぢるな
まつすぐにゆけ
汝のガランスのチューブをとつて
汝のパレツトに直角に突き出し
まつすぐに濡れ
生(き)のみに活々と塗れ
一本のガランスをつくせよ
空もガランスに塗れ
木もガランスに描け
草もガランスにかけ
魔羅をもガランスにて描き奉れ
神をもガランスにて描き奉れ
ためらふな、恥ぢるな
まつすぐにゆけ
汝の貧乏を
一本のガランスにて塗りかくせ
(一本のガランス)
槐多にとって「赤」は「血」そのものであり、情熱の喚諭であった。
それほどまでに若くして、生命と、情熱の発散にこだわりつづけた。
その裏がわには、つめたい孤独の深淵、
内的な抑制が限りなくはたらいていた。
「赤」は同時に生命を焼結させ焼き尽くす炎の「赤」でもある。
そして槐多は二十二年と五ヶ月の短い人生を、
ほうき星のように一天の空間を駆け抜けた。
木が風にふるへる
死神の眼の様にくらい葉が
ざわざわとゆらぐ
絶えまなく葉は光る
命がその度に輝く
幽な紫に
私の命が
もどかしさうに哀しさうに
空が木をみつめて居る
絶えまなくふるへる木を
それから私を
その空をふつと風が吹き消す
私はまばたきする
命は消えそうだ。
(木と空に)
(参考文献:「血染めのラッパ吹きならせ」長谷川龍生『ユリイカ』)
(2017年7月30日)