「電車と霙の雑木林」 辻征夫
霙の雑木林のはずれを
電車が通過して行きました
いくたりかの乗客がいましたが
窓に顔をおしつけて
霙の雑木林を眺めていたのは
子供のときのわたくしです
子供は
冬枯れの景色を覚えていて
作文を書きました―
霙の
雑木林に
背の高いひとがいて
ぼくを見ていた
くぬぎ
けやき
いぬしで
うつぎ
こぶし
やまざくら
霙の雑木林で
そのひとは
電車の中のぼくを見ていた
傘をさして
黒いコートで
霙の雑木林のはずれを
電車がガタビシ通過して行きましたが
あの小さな乗客が
ここに来るまで
およそ四十年かかるというのは
気のとおくなるはなしです
いくつかの都市と
学校と
いくつかのこころの地獄を
なんとか通過してくるのですが
静かな夜だ。
小さな灯りに映った自分の影を視ていると、時空を超えて古い時間の自分と出会えるようだ。
私たちは、私ちのまわりの世界と対話することはできない。
すべての物の存在には意味はないからだ。
そもそも、私ちがそれぞれ「この私」であることにすら何の意味もないのである。
だからこそ、日常を超えて時空も超えて、古い時間の自分と対話するのである。
それでも生きていけるのは、くぬぎ、けやきの繁る暗い森に、こぼれ日が射す明日があるからだ。
自分の中の何かだけが時空を超えて、ただここに存在している。
静かな夜だ。
(2018年9月25日)