詩は毒である 山本陽子の宇宙

 以前、平田俊子さんにサインをしてもらった際に、「詩は毒である」と書き添えてあった。
 「薬」と「毒」は表裏一体なら、猛毒で癒されたいものだ。
 山本陽子は、58年女子美術大学付属高校に首席で入学、学校側の大学に残ってくれという依頼を断わって卒業後、日大芸術学部映画科に入学した。63年「私の知っていることしか教えないのでつまらない」と中退。66年、思想・文学の同人雑誌「あぽりあ」創刊に参加。評論「神の孔は深淵の穴」を発表する。67年「あぽりあ」第2号に「よき・の・し」を発表。70年、頂点となる「遥るかする、するするながら3」を発表し、独自の語体を確立する。76年パートとしてビルの掃除婦をし、午後は読書、その後は一人住まいの目白の公団自室で酒にくれるという日々を9年間続け、その中から意味を拒絶する言葉の連なりをつむぎ出していた。84年死去。おびただしいメモ類が残されていたが、すべて家族の手で焼却された。
 彼女は社会を拒絶し、ひたすら自分の内面とむきあった。そこには強固な意思があり、切実な思いがあった。
 彼女の詩は、意味を拒絶する詩ではない。「不明」を意味し、不明を体現しているかのようだ。要するにつねにそれは意味の不明性こそが存在証明であったかのようだ。
 「未来にどんな代償も求めず、過去をそのまま受け入れること。今ただちに、時間を停止させること。それはまた、死を受け入れることでもある。この世から脱して、むなしくなること。しもべ(奴隷)の本性を身にまとうこと。時間と空間の中で自分の占めている一点にまで小さくなること。無になること。この世の架空の王権を脱ぎ捨てること。絶対の孤独。そのとき、人はこの世の真実に触れる」、「自分が無であることをいったん理解したならば、あらゆる努力の目標は、無となることである。この目的をめざしてすべてを耐え忍び、この目的をめざして働き、この目的をめざして祈るのである。神よ、どうか私を無とならせてください。私が無となるにつれて、神は私を通して自分自身を愛する」と、シモーヌ・ヴェイユは言っている。
 詩は混沌であり、詩自体には意味は無い。ルイス・ブニュエルを好んだという彼女は、自室にこもって身体を使い「無」になる実験を重ねた。そこからこぼれ落ちた言葉を拾い集めた。一冊の詩集だけしか残さなかった彼女は、詩集をつくることも意味が無かった。そして、山本陽子自体が詩となった。(参考文献:『現代詩手帖』萩原健次郎)

詩人山本陽子の世界(音・映像:井野朋也)  https://www.youtube.com/watch?v=ndDzyAep8PU

(2017年7月18日)

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