真実を生きる 千野敏子の魂

 教師をしていた二十二歳の千野敏子の死は「真実」を追求するあまり、戦後の食糧難の時代「闇買い」を拒否して栄養失調に陥ったことによるもので、自らにきびしいその生き方を身を以って示したものといえよう。彼女の日記にはこまごま毎日の食事量が記入され、「これで生命が保てるだろうか」と書かれていたろという。そして、ついに教壇で昏倒して病院に運ばれ、昭和二十一年八月二日、腸捻転のため死亡した。すでに回復がおぼつかないほど身体が弱っていたのであろう。
 千野敏子は栗生(長野県諏訪市)という農村部に下宿して自炊生活を営み、そこから三キロメートルほどの富士見小学校まで歩いて通っていたが、彼女がいまにも倒れそうによろよろ歩いている姿を見掛けた生徒があることからも、最後にはほとんど精神力だけで教壇に立っていたものと思われる。日記には主にその日の行動を記録するだけの役割を与え、それとは別に自分自身うぃ向き合った魂の記録とも呼ぶべき「真実ノート(全四冊)」を十七歳から書き始めた。
 死後、遺稿集として『葦折れぬ——一女学生の手記』が出版され、当時十版を重ねて広く読まれ、若い読者層に多大の感銘を与えた。諏訪高女時代の旧師が、この本に寄せた序文の中で「彼女の死期を早めたのは、そのひたむきな真実の生活であった」と述べているように、一切の虚飾と妥協を排し真実のみを追求する姿勢を最後まで崩さなかった若い魂は稀有といわねばならない。

「音」 (千野敏子が十七歳の時の詩)

音がする
遠い空のほうで。
何の音だろうか。
それは木枯しが吹きすさぶような音
山の木の葉のおののきふるうような音
しかし山の木の葉はそよとも動かない。
それは時雨の通りすぎてゆくような音
板屋根の水しぶきにけぶるような音
しかし屋根の板は乾いてそりかえっている。
夕ぐれの灰色の静けさの中に
山の木の葉は身じろぎもせず灰色に暮れてゆく。
屋根の板も一日のほこりを吸いこんだまま灰色に暮れてゆく。
しかし遠い空のほうでは音がする
空には木枯しが荒れくるっているのであろうか。
時雨が激しく降りそそいでいるのであろうか。
音がする
遠い空のほうで。
虚無の音――

 自我への執着を捨てて真実を追求すればするほど、人間の本質が見えて憂鬱になるし孤独になる。死の影にも不安になり、それを越えなければ自分自身がわからなくなるものだ。

私は此の頃自分と云ふものが一向にわからない。
あらゆる人間にとって『自分』は最も不可解なものだろうと思ふが、
それにしても私と云う人間は特別そんなやうな気がする。
私の内にはあらゆる矛盾があり、あらゆる反目がある。
不可解なるものよ。汝の名は我なり。
(「真実ノート」第四冊)

 結局、千野敏子は闇買いを拒否し、栄養失調が因で死ぬのだが、明らかに彼女は死を覚悟していた。いや、すでに彼女は学窓を巣立った日から半ば死んでいたとすら言えるのであって、事実、そのことは「私の生命はあの卒業式の翌日からもはや此の世に存在すべきでなかった」(「真実ノート」第四冊)と書きつけた告白からも明らかだ。真実を求めてその涯に見つけたものは、自我とともに自己の存在も消滅させる虚無だったのだろうか・・・・

(参考:『夭折の天才群像』 山下武)

(2017年8月28日)

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