詩集『母の碑』とは、きむらとおる、きむらあさろう兄弟が母に捧げた詩集だ。
「きむらとおる」とはペンネームで、詩のイメージに即した書体の創造、「書詩一体」をの境地を目指した反骨の書家・木村三山のことだ。
【十字架】
からっかぜのもと
かかあ天下で 働きつづけ
力尽き 挫けた 脚の
膝頭をかすめて突っ走る装甲車
尻を小突く 銃身
頭蓋にめりこむ爆音
灰かぐらの渦巻
おっかあ!
曲がれる限り曲がってしまった背に
頣はしゃんとのっていようはなく
白々と
破れたかたびら 砂塵に舞う
はるかな荒野
かぎりない砲列という線のなかを
ゆきくれている!
―おっかあ!
おっかあ!
頑なな前かがみは
六十四年の苦闘への袂別?
やむことのない爆音に遮られてか
松葉杖ももたぬ隻脚で
何処へ行こうというのです
―おっかあ
右も左も
立入禁止です
胸板を風にぶちあててここまできた
不肖の倅をもう一度だけふりかえって下さい!
ああ
目の前にいるおっかあなのに
この手はいくらさしのべても とどかない
この咽喉のさけるような叫びもきこえない
ふるさとの「妙義」に
喜びのむしろ旗 真紅の旗が
ひるがえったのに
おっかあ―
ささくれ筋くれ立った十指を垂れ
踵にざくろのようなひびをのこし
落ち凹んだ眼窟に交錯した悲しみの溢れるまま
いくらぐちってもぐちりすぎることのない糞働きの一生を
いまはだれに訴えるすべもない真一文字の唇
萎え貼りついてしまったその乳房にすがって生長したおれを
もう一度も叱ってはくれない
安らかに眠りようのないおっかあは
おれの 十字架
働く人間を田づくり細つくりを蔑みつづけ
砲身に またこめようという
世に生きるおれに
動脈血のにじんだ
その荒縄で
おらがおっかあを
十文字に背負わせてくれ!
きむらとおるの母は木村センという。
農民の子に生まれたセンさんは、働いて、働いて、ただひたすら無言で働いた。18歳で、同じ村の農家に嫁いでからも、「借金で傾きかけていた木村の家を立て直すべく、一心不乱に働く日が続くいた。
六十歳を過ぎたある日、センさんは凍った地面に足を滑らせて、腰を打ち、動けぬようになった。大腿骨を骨折してしまったのだ。
その後のことだ。
「いかにも、不本意な表情で天井を眺め続けていた彼女は、ある日、手数をかけて体を起こしてコタツに向い、丸めた布団で体を支え……」
「…小学校入学を四月に控えた孫の相手をしながら文字の手習いを始めた。生涯、働きづめで、文章など書いたことがなかったセンさんはが生涯にたった一度だけ「文章」を書くためだった。
四十五ねんのあいだわがままお
ゆてすミませんでした
みんなにだいじにしてもらて
きのどくになりました
じぶんのあしがすこしも いご
かないので よくやく やに
なりました ゆるして下さい
おはかのあおきが やだ
大きくなれば はたけの
コサになり あたまにかぶサて
うるさくてヤたから きてくれ
一人できて
一人でかいる
しでのたび
ハナのじょどに/
まいる
うれしさ
ミナサン あとわ
よロしくたのみます
二月二日 二ジ
「足が動かなくなって働けなくなったので、もう自分の役割はない。」と自宅で縊死した。享年64歳。
この遺書は障子紙の切れっ端の両面に色鉛筆で綴られ、空の財布に小さく折りたたんで入れられていた。財布がなぜ空っぽだったかというと、少し前に、有り金をはいて末の息子の背広を新調したからだった。
家族たちは、センさんを深く愛していた。四十五年もの長い間、センさんは働き続け、家族を養った。センさんの子どもたちは「もう、十分に働いたんだ。あとはゆっくり休みなさい」といっていた。誰も、センさんを邪魔者扱いはしなかった。それなのに、センさんは、ひとりで行ってしまったのだ。 センさんは遺書を書き残しておく事で家族が自戒しないようにと。
センさんは、働けなくない自分を許せなかった。家族が、働かなくてもいいと考えても、センさんはそう考えなかった。センさんにとって、「家族」とは、そのために死ぬことのできる、至上の共同体だったからだ。もちろん、豊かではなかったが、働けぬセンひとりを養うことは難しいことではなかった。 センさんは働き続けた。「労働」を家族に捧げたのである。
だが、やがて働けなくなると、彼女が持っていた最後の財産、「愛」を捧げた。
老婆心(ろうばしん)という仏教用語がある。
自分のことは一切考えにいれず只、相手をおもいやる心、これを老婆心といいます。姥捨て山の話をご存知でしょうか?ある地方では年老いた老婆を山に捨てるという話です。ある日村の一人の男が年老いた母を背負って山に捨てに行く途中のこと、背中に背負われた老婆が木の枝を時々捨てているではありませんか、「さては母は捨てられたあと一人で山を降りられるよう目印をつくっているんだな!」男はそう思いました。さて母をおいて帰る段になってお母さんはこういったのです「今、山を登ってくるとき、お前が帰り道を間違えないように枝をおって目印をつけておいたよ。それをたよりに気をつけて里へ帰りなさい!」自分が捨てられようとしながら、なお我が子の為に道しるべを残してやろうとする親心に男はいたく感動し、親不孝を詫びるとともに再び母を背負って山を降りたのでした。
(2017年7月28日)