人間がが暮らしを営むには、水と火が不可欠だが、女の役目はいつもこの火と水の管理だった。前近代的な暮らしの中で、朝起きて重労働を担ってきたのは、いつも女たちだった。「かよわい女をたくましい男が守ってきた」と、いつの時代も男は思っていた。現実には、強い男が弱い女をいたわってきた例より、強い男が弱い女につけこんできたのである。
石垣りんさんはフェミニストだ。
しかし声高に叫ぶというのではなく、凛々しく立っている。「石垣りん」として生きてきた人だ。石垣りんさんは、14歳で日本興行銀行に就職し定年まで働き、亡くなるまで生涯独身だったのは、4歳でお母さんを亡くし、厳しい家庭環境で育った為だろう。
第一詩集『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』は1959年、39歳の時の詩集だ。詩の題材は「生活」と「労働」で、仕事と家族を背負った彼女の戦いであり、女性の解放である。
【私の前にある鍋とお釜と燃える火と】
それは長い間
私たち女のまえに
いつも置かれてあったもの、
自分の力にかなう
ほどよい大きさの鍋や
お米がぷつぷつとふくらんで
光り出すに都合のいい釜や
却初からうけつがれた火のほてりの前には
母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。
その人たちは
どれほどの愛や誠実の分量を
これらの器物にそそぎ入れたことだろう、
ある時はそれが赤いにんじんだったり
くろい昆布だったり
たたきつぶされた魚だったり
台所では
いつも正確に朝昼晩への用意がなされ
用意のまえにはいつも幾たりかの
あたたかい膝や手が並んでいた。
ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて
どうして女がいそいそと炊事など 繰り返せたろう?
それはたゆみないいつくしみ
無意識なまでに日常化した奉仕の姿。
炊事が奇しくも分けられた
女の役目であったのは
不幸なこととは思われない、
そのために知識や、世間での地位が
たちおくれたとしても おそくはない
私たちの前にあるものは
鍋とお釜と、燃える火と
それらなつかしい器物の前で
お芋や、肉を料理するように
深い思いをこめて
政治や経済や文学も勉強しよう、
それはおごりや栄達のためでなく、
全部が
人間のために供せられるように
全部が愛情の対象あって励むように。
第一詩集から9年後に、第二詩集『表札など』が世に出された。比喩のユーモアや、客観的に題材を見つめる余裕があり、世評も高く1969年度のH氏賞を受けた詩集で、詩人石垣りんが確率した瞬間だ。
【くらし】
食わずには生きてゆけない。
メシを
野菜を
肉を
空気を
光を
水を
親を
きょうだいを
師を
金もこころも
食わずには生きてこれなかつた。
ふくれた腹をかかえ
口をぬぐえば
台所に散らばつている
にんじんのしつぽ
鳥の骨
父のはらわた
四十の日暮れ
私の目にはじめてあるれる獣の涙。
第三詩集『略歴』、第四詩集『やさしい言葉』と、生涯にたったの4冊しか詩集を出していないが多くの人に読み継がれるのは、戦い続けた石垣りんさんが「人間の生活の本質」を見抜いたからだろう。そして読者は、石垣りんさんの詩に自分たちの生き方を重ねることができた証だ。石垣りんさんは言う「私の詩を書く姿勢は、私の暮らし方の姿勢であり、文学への理想も、詩への目標も単独にはありえない、つづり方練習生にすぎまん」と…。
石垣りんが立っている。
凛々しく。
(2017年7月29日)