岡崎里美とロックの時代

 “Happy birthday to rimi” の声が聞こえる。
 2020年3月31日、ウェブサイト「岡崎里美の世界」が更新された。岡崎里美さんとは、1971年7月30日に大好きなビートルズを聴きながら、たった一人で逝ってしまった17歳の少女の事だ。

 壊れた時計が古い時間を刻むように、1970年代を想い出す。
 1960年代半ばから1970年代に入った頃は若者の時代だった。「DON’T TRUST OVER THIRTY !(30歳を超えた人間は信じるな)」と若者は口にした。若者が創る世界が大きな力となって、世界が変わっていくと誰もが本気で思っていた。若者であることだけに意味があり、自分たちが大人になるなんて思ってもみなかった。そんな時代に、ジミ・ヘンドリックスが26歳、ジャニス・ジョップリンが27歳、ジム・モリソンが27歳で死んだ。ビートルズはジョン・レノン29歳、ポール・マッカートニー27歳、リンゴ・スターが29歳、ジョージ・ハリスンは27歳の時に解散した。そして、ロックは形遺化し、一つの若者の時代は刹那的に終わった。
 1970年代に入ると、大量生産、大量消費の時代に突入し、ロックは産業として飛躍的な成長を遂げることによってレコードが売れていった。娯楽性が強められ、テクノロジーを駆使した仕掛けが聴衆の目を奪い、華やかなコンサートが多くなっていった。そして、ミュージシャンとファンの関係から、マーケットと消費者の関係になっていった。社会の中では、男女間や家族間の関係にせよ、人間関係の在り方にせよ、様々な形で意識の変革を強いることになっていった。若者たちの誰もが「未来に対する希望」を抱く反面、「自分を消し去りたいという暗い欲望」を同時に抱えていた。地に足をつけようと思っている。でも見つめているのは遠景。遠く明るく空の彼方を純粋に見つめているばかりであった。それは、足元を見たとたんに、何も変わっていない土俗的な世界に強い絶望感を抱くからだ。美しく遠い希望と現実と自己への絶望、この落差が1970年代の空気の基調だった。里美さんは、そんな若者の一人であっただろう、あまりにも遠くの未来を見つめすぎてしまったのかもしれない。
 里美さんが最後に聴いていたのが、ビートルズが1969年にリリースした『Abbey Road』というアルバムだった。その中に「The End」という曲がある。

ビートルズ 「The End」(1969年)

Oh yeah! alright ! (ああ わかったよ )
Are you gonna be in my dreams tonight (今夜 僕の夢にやって来てくれ)
Love you, love you, love you… (君を愛してる…愛してる…愛してる… )
And in the end the love you take (結局はね 君が貰ってる愛は )
Is equal to the love you make (君がくれる愛と同じくらいなのさ)

 「人に「愛」を与えれば、人から同じだけ「愛」を貰う事が出来る」というビートルズが最後に残したメッセージだ。そして、ジミ・ヘンドリックスは「愛の力が権力愛に打ち勝ったとき、世界は平和を知る」と語り、ジャニス・ジョップリンは「あなたはあなたが妥協したものになる(自分を幸福にしないものを受け入れるべきでない)」と語った。『カッコーの巣の上で』の著者のケン・キージーは「ビートルズがいたから、僕たちは怪物になることなく、愛すること、そして、暴力に訴えない方法を学んだ」と語ったように、この時代の若者たちは、生き方をビートルズや若者の時代を創った旗手たちから学んだのだ。
 現在、世界中で猛威を振るう新型コロナウイルスの為に多くの人が亡くなっている。差別や偏見が起こり、誰もが争うようにマスクや食料品を奪い合っている。ネットでは、世代間対立を表すような暴力的な言葉があふれている。今、私たちは試されているのかもしれない。そして、その答えは自分自身の中にしかない。新型コロナウイルスが終息したとしても、世界はこれまでとは大きく変わっていくと思う。今がその変遷期なのかもしれない。
 1970年代始め、誰もが自分の生き方を模索しなければならなった時代、人々の傷口を癒し、時代の架け橋としての役割を果たしたいくつかの音楽が生まれた。

キャロル・キング 「君の友だち」(1971年)

君が落ち込んで
何ごともうまくいかず
手助けが必要だったら
すべてが ああ すべてがおかしな方向に進んでいたら
目を閉じて僕のことを考えてごらん
そしたらすぐにそこに現れるから
君の一番暗い夜さえも明るくするために

君はただ大声で僕の名前を言えばいいんだ
それに僕がどこにいるか知ってさえいれば
また君に会うために駆けつけるから
冬だって春だって、それに夏、秋にだって
ただ君は僕を呼べばいいんだ
そしたらそこに現れるから
君には友だちがいるじゃないか

君の頭上にある空がすべて雲に覆われて暗くなりそうになったら
あの昔ながらの北風が吹き始めそうになったら
慌てなくていいからね
僕の名前を大声で言うんだ
じきに僕が君の家の扉をノックするはずだから

君はただ大声で僕の名前を言えばいいんだ
それに僕がどこにいるか知ってさえいれば
また君に会うために駆けつけるから
冬だって春だって、それに夏、秋にだって
ただ君は僕を呼べばいいんだ
そしたらそこに現れるから

友だちがいるってのはいいことだろ?
人間は他人にとても冷たくなれるんだ
彼らは君を傷つけ 見捨てることもあるだろう
隙を見せれば君の魂も奪いかねない
隙を見せないで

君はただ大声で僕の名前を言えばいいんだ
それに僕がどこにいるか知ってさえいれば
また君に会うために駆けつけるから
冬だって春だって、それに夏、秋にだって
ただ君は僕を呼べばいいんだ
ああ すぐにでも現れるから
君には友だちがいるじゃないか
君には友だちがいるじゃないか

友だちがいるってのはいいことだろ?
友だちがいるってのはいいことだろ?
君には友だちがいるじゃないか

ジョン・レノン 「イマジン」(1971年)

想像してごらん 天国なんて無いんだと
ほら、簡単でしょう?
地面の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像してごらん みんなが
ただ今を生きているって…

想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって…

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ

想像してごらん 何も所有しないって
あなたなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い
人はみんな兄弟なんだって
想像してごらん みんなが
世界を分かち合うんだって…

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
そして世界はきっとひとつになるんだ

 時代の変遷期は誰もが不安に襲われるものだ。しかし、どんなに時代が変わっても「僕」が「君」を思う気持ちが変わってはいけない。私たちは同じ時代を生きる「仲間」であり「世界はひとつ」になれると思う。今回の新型コロナウイルスで「私たちはどう行動するか」と問われている。自分の身に危険を感じるから誰もが必死になる。しかし、日本には年間30000人くらいが自殺し、1700人くらいが餓死している国でもある。「僕」が「君」を思う気持ちがなければこの数も決して減ることはない。たとえ新型コロナウイルスが終息したとしても「僕」が「君」を思う気持ちを持ち続けなければ決して幸せな国と言えないし、自らも幸せにはなれない。
 1969年8月15日から17日までの3日間に行われたウッドストックは、40万人もの人数が集まったにも関わらず、大きな事件は無く、誰もが自由にロックを楽しみ、お互いが助け合という理想的な姿がそこにあった。ヒッピー・コミューンの「ホッグファーム」は、LSDの幻覚に苦しんでいる参加者に食事を無料で提供し介抱した。若者たちは少ない食べ物を分けあって飢えをしのいだ。そして、主催者のマイケル・ラングはイベント終了後に「すべてを分け与えるのがヒッピーの精神」と語り、機材のすべてを恵与した。それが実現できたのは、誰もが誰かを必要としていたし、誰もが誰かを信じていたからだ。
 「こんな出来事はもう二度と起こり得ないんだろうな」と思う。だから「僕」は時間を超えて「君」と対話する。「君」の声を「僕」が代わって発し、「君」の記憶は「僕」が代わって証言する。「僕」は「君」によって生きかされているのだから。
 壊れた時計は古い時間を刻み続けるだろう・・・。
 そして「岡崎里美の世界」も更新され続けるだろう・・・。

 参考文献:『1971年の悪霊』 堀井憲一郎

(『New Music Magazine』より)

(2020年4月13日)

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