その若い漁師は年に3~4回、ホームレス支援のために、
千葉勝浦から東京上野まで自分でトラックを駆り、
毎回トロ箱30箱以上のサバやイワシをボランティアで届けていたそうだ。
「お金や米でなくて申し訳ないが、この魚を役立ててほしい」と言って。
苦しい暮らしを強いられているホームレスの人たちや、
ボランティアの人たちからは「哲」、「魚のあんちゃん」と慕われていた。
そして、「もっと大きな船を買うのが夢だ」と話していたという。
2008年2月19日、その若い漁師と父親が乗った漁船は、
イージス艦と衝突して夢とともに海の底に沈んだ。
同県の詩人、鈴木文子さんはこんな詩を綴っている。
(詩集『電車道』より)
【浦じまい】
朝はいつものようにやってきた
いつものように 家族が無事を
いつものように 父子は大漁を交し
玄関を出た
ピリッ。肌を刺す二月の寒気
午前一時 七艘の仲間と出港した
風もない 海はまだ夢の中だ
……。
船団はまぐろはえ縄の魚場八丈島の沖へ向う
エンジンは快調だった
うわっ!
衝突したのは未明
海上自衛隊イージス艦「あたご」
全長一六五m 重量七七五〇トン
撃沈された「清徳丸」
全長一二m 重量はあたごの千分の一
吉清治夫さん五八歳 長男哲大さん二三歳
海よ 風よ 二人は何処にいるのか
真っ二つに砕かれた父子船
うつ伏せで ぷかぷか ぷかぷか
親潮と黒潮のぶつかる房総沖
世界でも貴重な魚場(りょうば)にイージス
〈おまえ等 通してやるから邪魔するな〉
〈……。〉
危ないっ! 取り舵(左折)
何時ものように直感で巨大怪物から逃れる漁船
川津港に響く祈りの太鼓(たいこ)
帰ってこい帰ってこい かえってこーい
吠えているのか 狂ったのか 海
漁師は時化(しけ)に立ち向かい
二日 三日 四日 手ががかりなし
雨 みぞれ 雪 めちゃくちゃに降る
七日 これ以上皆に迷惑は……。
親族の願いで打ち切られた捜索
「浦じまい」
波間に散らした酒は父子の身体を温めたか
投げ込んだリンゴやバナナで
二人の腹は満たされたと思ったか
いいや「浦じまい」は漁村の習わし
漁師仲間の血の通った捜索はこれからだ
海底一八〇〇メートルに赤旗が立った
「清徳丸」の文字が深海に泡立つ
テレビ画面を突き抜け呼吸している
父子は生きているのだ
(海底に赤旗が立った二〇〇八年三月二日にーー)
【川津漁港にて】
新勝浦漁業協同組合川津支部
漁協前でタクシーを降りると
玄関先に取材中のカメラがあった
父子は行方不明のまま一箇月
漁協の左手 生コンを流しただけの階段
港への近道らしい
地元民の専用なのだろう両脇は不燃ごみ
痛いっ!
むきだしの砂利(カケラ)が土踏まずに当った
厳冬のあの朝一時
父子はなじんだこの石段を降り
清徳丸に向ったに違いない
小さな漁港だ 人の気配はない
防波堤が温もっているのだろう
ウミネコたちが無防備な格好で羽繕いだ
波まかせの停泊船がずらっと並んでいる
一瞬
TVの映像が生き返った
金平丸
目の前でひらめく 三角の赤旗は
あの朝 吉清父子と一緒出漁した僚船だ
船長が自衛隊に怒りをぶっつけていた漁港は
この港 岸壁なのだ
午後三時
店らしいガラス戸を覗き
〈パンはありますか?〉
〈パンは売ってません!〉
〈この辺りに食堂はありませんよ!〉
棚にはインスタントラーメン ポテトチップ
……一食くらい抜いても死にはしないか
「海は生産の場であり 生活の基ばんです」
看板をメモしていると軽トラックは止まった
老人が〈国から 金で出たんか?〉
さぁ……。
イージス艦「あたご」建造費約一四〇〇億円
命 親子の命はいくらに換算されるのか
あちこちで額を寄せ合う漁民たち
ひそひそが小さな漁村を駆け巡っているのだろう
イージス艦一四〇〇億円
太平洋から吹き上げてくる
逃げ すりかえ 隠ぺい 開き直り
そんな国の言い訳は二の次でいい
不漁続きの漁村にとって今日のおまんまが先なのだ
水深一〇m毎に一kの水圧がかかると聞く
吉清父子は未だ海底一八〇〇mなのか
親子にのしかかっている一八〇kは
イージス艦 国の水圧
2011年5月11日、この衝突事故でイージス艦側に無罪の判決が出たが、
海に投げだされた二人を捜索もせずに、見殺しにした責任は重いだろう。
「日刊ゲンダイ」によると、事故当時イージス艦の乗員たちは酒盛りをしていたという。
酒盛りの痕跡を消すために、怪我をした隊員を運ぶという理由でヘリを飛ばし、
缶ビールなどのゴミを運んでいたという。
鈴木文子
1941年 千葉県野田市に生まれる。
1977年 『鈴木文子詩集』(オリジン出版センター)
1983年 『おんなの本』(オリジン出版センター)
1991年 『女にさよなら』(オリジン出版センター)
第20回壷井繁治賞受賞
1998年 『鳳仙花』(詩人会議出版)
2005年 『夢』(詩人会議出版)
2008年 『電車道』(詩人会議出版)
(2017年8月3日)