岩田宏の「住所とギョウザ」を読む

 小池都知事は今年も朝鮮人犠牲者追悼式典に追悼文を送らなかった。思想や信念があるとも思えないし、何かよほどの利権に差し障ることがあるのだろう。
 9月1日の「防災の日」は、1923年に発生した関東大震災を教訓として防災への心構えを準備するという意味で創設された日である。
 関東大震災後の混乱の中で「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」「朝鮮人が強盗、強姦、殺人を犯している」といったデマが流れ、軍隊、警察だけでなく、在郷軍人会や、消防団、青年団が中心となって組織した民間人による自警団が各地で6000人以上の朝鮮人、700人以上の中国人を無差別に虐殺した。このようなことを二度と起こさないために、歴代の東京都知事は毎年9月1日に、朝鮮人犠牲者追悼式典に追悼文の送付を行なってきた。しかし、小池都知事は追悼文の送付を拒否し続けている。

「住所とギョウザ」  岩田宏

大森区馬込町東四ノ三〇
大森区馬込町東四ノ三〇
二度でも三度でも
腕章はめたおとなに答えた
迷子のおれ
ちっちゃなつぶ
夕日が消える少し前に
坂の下からななめに
リイ君がのぼってきた
おれは上から降りていった
ほそい目で
はずかしそうに笑うから
おれはリイ君が好きだった
リイ君おれが好きだったか
夕日が消えたたそがれのなかで
おれたちは風や紙風船や
雪のふらない南洋のはなしした
そしたらみんなが走ってきて
綿あめのように集まって
飛行機みたいにみんなが叫んだ くさい
くさい 朝鮮 くさい
おれすぐリイ君から離れて
口ぱくぱくさせて叫ぶふりした くさい
くさい 朝鮮 くさい
今それを思い出すたびに
おれは一皿五十円の
よなかのギョウザ屋に駆けこんで
なるたけいっぱいニンニク詰めてもらって
たべちまうんだ
二皿でも三皿でも
二皿でも三皿でも!

 この詩は岩田宏さんが自身の少年時代のエピソードをもとに書いたものだ。
 岩田さんの少年時代とは1930年代であり、日中戦争がすでに始まっていて朝鮮は日本の植民地だった時代である。日本の敵は中国であり、朝鮮半島は日中戦争のための日本軍の侵出拠点として、その統治は強化された。1940年代の戦争の時期になると、日本は朝鮮に対する皇民化政策を推進し、国内の労働力を補うための朝鮮人の強制連行や慰安婦の徴発が行われ、朝鮮から日本に強制徴用された労働者は推定72万に達していたとされている。
 当時の多くの日本人たちは彼らを支配者目線で見下していた。日本は東南アジアの国々に対して「アジア民族の独立を助けた」と言う人がいるが、言葉も宗教も押し付け、創氏改名を進めて植民化した事実は消すことができない。彼らに対する優等意識は日本人全体にぬぐいがたい偏見として伏流しており、現代にまで続いていると言わざるを得ない。
 集団の中で異質なものを排除しようとすることを「黒い羊効果」といい、人間の集団心理であり人間の本質である。大震災のような危機的状況に陥れば人間の本質があぶり出される。そして、排除がいったん動き出すと誰にもそれを制止することはできなくなってしまう。しかし、もっと厄介なのは、自分たちの行動に疑いを持ったとしても、集団がヒステリー的な行動をとっているときに、それに異を唱えれば自分が仲間の標的になりかねないという恐怖が伏流していたことだ。そうした二重の恐怖から、岩田さんの詩のように、仲間の背後から口をパクパクさせて犯罪的行為に加担してしまうということが日常的に繰り返えされるのだ。
 岩田さんの詩からは、自己の弱さゆえに、意図しない加担者になってしまったことに対する気持ちを持ち続けていた作者が、己を振り返って、自己処罰をしないではいられない切迫した気持ちが切々と伝わってくる。自分の中に内面化された複雑な感情に向き合うことでしか、他者と友好的で対等な関係を築くことはできない。
 小池都知事は、朝鮮人差別と自ら向き合おうとはせずに歴史修正主義に加担することで、自分たちの過去の犯罪的な行為を正当化しようとしているようにしか見えない。歴史を否定する事は排外主義へと繋がり、歴史に無関心になる事は無意識の加害者になる事である。日本にとってどんなに都合の悪いことでも事実として認め、反省するとこが同じことを二度と繰り返さないことである。

(2020年12月23日)

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