高野悦子と南条あやの青春日記

 青春期という季節の希望と絶望のはざまで読んだ本は、殺しきれなかったキズとして今でもヒリヒリと痛みが蘇ってくる。高野悦子の『二十歳の原点』はその一冊だ。『卒業まで死にません』の編集者は『二十歳の原点』を読んで、『高野の日記が与えた感動を今の若者にも再現したい」との熱意から、南条あやの日記の出版を企画したという。

 高野悦子の『二十歳の原点』(新潮社)は、1971年に出版された彼女の青春日記である。当時、全共闘世代と呼ばれた若者たちの共感を呼び、翌年にはベストセラー第二位になっている。いまだに大学の書店などではお薦めの一冊として取り上げられることも多く、今でもずっと若者に読みつがれてきた青春文学の古典の一つである。
 南条あやの『卒業まで死にません』(新潮社)は、2000年に出版された彼女の日記集である。高野ほどのベストセラーにはならなかったものの、『二十歳の原点』と同じく後に文庫され、現在も読まれつづけている。日記のオリジナルがインターネット上にウェブ日記として公開されていたのは1990年代の後半だが、当時は彼女自身も若者雑誌から取材を受けるほどの人気ぶりで、一部の若者たちからはネット・アイドルとして熱烈にもてはやされる存在であった。
 高野悦子は、1969年6月24日未明の貨物列車に飛びこみ、即死している。20歳だった。『二十歳の原点』は、彼女の遺した膨大な日記を父親が編集して出版したものである。一方の南条あやは、1990年3月30日、向精神薬を大量服用して中毒死している。18歳だった。『卒業まで死にません』も、彼女の死後にウェブ日記の存在を知った父親が編集して出版したものである。

永遠にこの時間が続けばよい
人々の中に入れば また
自分の卑小さと醜さと寂しさを感じるのだから
雲にのりたい
雲にのって遠くのしらない街にゆきたい
名も知らぬどこか遠くの小さな街に
(高野、1969年6月18日)

私が消えて
私のことを思い出す人は
何人いるのだろうか
数えてみた
・・・
問題は人数じゃなくて
思い出す深さ
そんなことも分からない
私は莫迦
鈍い痛みが
身体中を駆け巡る
(南条、1999年3月29日)

 高野も南条も、自らの死の直前に、辞世の句とでもいうべき死を遺した。
 束縛的な人間関係から開放されて浮遊することを夢みた高野悦子と、それとは逆に、浮遊常態から開放されて濃密な人間関係に包み込まれることを夢みた南条あや。どちらも孤独の悲哀にみちた詩でありながら、その感受性の向きは逆である。周囲の人びとから「自律したい」という焦燥感がもたらす高野の生きづらさは、30年という歳月を経て、周囲の人びとから「承認されたい」という焦燥感がもたらす南条の生きづらさへと変転している。
 高野の日記集の出版タイトルである『二十歳の原点』は、「「独りであること」、「未熟であること」、これが私の二十歳の原点である」(高野、1969年1月15日)という彼女の日記中の言葉に由来している。この言葉は、自己に取りこまれた他者のまなざしを経由して、自分自身へと向けられた彼女の宣言である。その背景には、だから自己変革に励んで、つねに自分を成長させていきたいという熱っぽい意気込みが潜んでいる。
 それに対して、南条の日記集の出版タイトルである『卒業まで死にません』は、彼女が友人と約束を交わしていたという言葉に由来している。これと同じような言葉は、彼女の日記中にも何度か顔を出している。この言葉は、ウェブ日記の読者や友人へと向けられた彼女の宣言である。その背景には、だから私をずっと見つめてほしいという切ないまでの彼女の承認欲求が潜んでいる。
 高野にせよ、南条にせよ、日記をつけることは。生きづらさにもがく自分とって、大いなる救いとなっていたにちがいない。
 高野は、「より望ましい自分」に対して愚直なまでに誠実であろうとし、それがもたらす生きづらさと格闘する日々を日記に綴っていった。「生きることは苦しい。ほんの一瞬でも立ちどまり、自らの思考を怠情の中へおしやられば、たちまちあらゆる混沌がどっと押しよせてくる。思考を停止させぬこと。つねに自己の矛盾を論理化しながら進まねばならない。私のあらゆる感覚、感性、情念が一瞬の停止休憩をのぞめば、それは退歩になる」(高野、1969年6月1日)。
 南条も、「より望ましい自分」のすがたに対して貪欲ななまでに確証を得ようとし、それがもたらす生きづらさと格闘する日々を日記に綴っていった。「私はいつでも追いかけられている/この世の中の喧騒とか/義務なんてチンケなものじゃなくて/自分自身に/誰も助けてくれない/助けられない/私の現在は錯乱している/きっと未来も/ならば/終止符をうとう/解放という名の終止符を」(南条、1999年3月29日)。
 彼女たちの日記が等しく照らし出しているのは、「より望まし自分」へと駆り立てられ、いつも切羽つまった感じをどこかに抱いてしまうという青年期に共通の課題である。
 高野の生きづらさと南条の生きづらさのあいだには、30年という歳月を超えて、なお変わらない生きづらさの本質を見出すことができる。しかし、その生きづらさの根源は、「変わりゆく私」と「変わらない私」にそれぞれ対応して、限りなき自律欲求から絶えざる承認欲求へと大きく様変わりしてもいる。その意味で30年という歳月によって隔てられた大きな断絶をそこに見出すこともできる。(土井隆義『友達地獄』より)

 漠然とした社会で生きている限り、年齢に関係なく「生きづらさ」はなくなることはない。高野悦子と南条あやは「生きづらさ」の中で日記を書き、日記のなかに生きる自分自身に忠実であろうとして逝ってしまったが、「生きづらさ」がない人生が本当に幸せだとは思わない。自分が悩み苦しんだからこそ、他者の痛みが理解できるし優しくもできる。「生きづらさ」のなかにこそ本当に幸せがあり、それを少しづつ積み重ねていくしかない。

(2020年1月10日)

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