♪ほかの人にはわからない
あまりにも若すぎたと
ただ思うだけ けれどしあわせ
空に憧れて 空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲♪
これはユーミンの『ひこうき雲』の一節だ。
ユーミンが高校生の頃、近所で実際にあった高校生の飛び降り自殺と、小学校時代の友達の死をモチーフに作られた曲といわれている。
『ひこうき雲』がリリースされた1970年代とは、学生運動が活発化と終焉、大量生産大量消費での繁栄と交通戦争、公害問題の暗い影が混在し、学校では管理教育による校内暴力が多発し、教育諸問題が表面化した時代だ。そして、「あの子」たちの自殺が社会問題化した時代でもある。
『ひこうき雲』を聴くたびの思い出す少女がいる。井亀あおいは1977年11月17日に17歳で自らの命を絶った。
井亀あおいの死後に『アルゴノオト―あおいの日記』と『もと居た所』が小さな出版社から刊行された。
井亀あおいの青春とは、彼女は学校や社会での人とのふれあいの中で生じる悩みや迷い、反発、喜怒哀楽を日記として吐き出すかたわら、創作ノートとしてトーマス・マンやジイドやモーム、カミュ、ジェームス・ジョイス、ショーペン・ハウエル、リルケ、マラルメなどの文学を語り、シベリウス、マーラー、ベルリオーズなどの音楽を語り、キリコ、キスリング、ダリなどの絵画を語り、ヴィスコンティ、トリフォー、ゴダールなどの映画を語る。
そして、これらの過剰な思考と自己の内面の奥底に限りなく向かおうとする偏執が疎外感や孤独感を生み、現実の世界がニセモノで、自分が身を置くべき本当の世界がどこかほかにあるように思えてならなかった。現実の世界の拠りどころが何をもってしても得られない以上、空想の世界に求めるしかなかったのだろう。それを作品化したものが「もと居た所」と題したメルヘン風の短編小説である。
小説の中の主人公の「彼」は井亀あおい自身である。
「ものがあんまり多すぎる。多すぎて、ほんとうのものが隠れてしまっているよ、ものをすべて取り去ったら、ほんとうのものが見えるのに。ものがあんまり多すぎるんだ。人間はまたビルを建てる。またひとつ、ほんとうのものを隠すものがふえてしまった。とても、邪魔なんだ。分るね。邪魔に思えるんだ」
「ずっと以前、ここではない所に『真』があったのを。そこは、ほんとうに、今のここじゃなかった。でも確かにぼくはそこにいた。そこは、何もないよ。色彩、そうだね、夜があける時のように、向こうの方が明るくて、上の方は重々しくたれこめている。そんなところだ。まわりの人なんて居ない。ほんとうに何もないんだよ。そしてそこに『真』があっつたんだ。ぼくは覚えているよ。ぼくは確かにそこにいたことがある。すべての、多すぎるものをとり去ってしまえば、あの以前の、そうだね、『もと居た場所』があらわれるんだ。そしてそこにある真が見えるんだ。すべてのものを取り去ってしまえば、だよ」と、語る。これが「もと居た場所」の原風景だ。
人間は自分の意志で生まれてくるこはない。よって不安や恐怖や孤独からのがれる事はできない。
16歳の時、井亀あおいは日記に「私は時に、誰かの上衣のすそをしっかりと握っておきたい気になる。誰かにつかまっていないと、まるで時間の過ぎ去るように人間が去ってしまうような、あるいは自分が斜面をすべり落ちてしまうような思いにかられる。昔、まだものをよく見ていなかった頃、しきりと人間は孤独だと考えていたが、こうしていくらか知ったのちにも、私は人間が孤独だと思う。そかしそれはあの頃考えていたようなものではなくもっと根源的なものだ。」と、書いている。
根源的な孤独の中、人間が生きている意味は存在するのか。
人間は自分で作った鎧をつけて自己を騙して生きるしかないのか。
井亀あおいは意味を求めたのだ。「もと居た所」で自分の意思で生まれることを・・・
(2017年9月16日)