谷川俊太郎の世界 ~二十億光年の孤独~

 杉並区中央図書館で開催している「谷川俊太郎の世界 ~二十億光年の孤独~」を観てきた。

 「どこに行っても谷川さんに会える」をコンセプトに、中央図書館全てをキャンバスとして谷川さんの詩や写真などを展示します。読書に疲れてふと見上げると谷川さんの詩や写真がある。図書館全てが谷川さんの「ことば」(メッセージ)で溢れています。
 また、谷川さんの詩に感動したら谷川さんへの「メッセージカード」にあなたの思いを書いてみよう!特別展示コーナー(1階CDコーナー横)にあるとのこと。(杉並中央図書館HPより)

 谷川さんが詩人としデビューするきっけとなった手書きの2冊の詩集ノートがあるという。
 谷川さんのお父さんが知人であった三好達治氏に、この2冊のノート見てもらい評価されたことによって、出版社に推薦され第1詩集『二十億光年の孤独』の出版に至ったものである。
三好達治氏は『二十億光年の孤独』の「序にかえて」で書いている。

 この若者は
 意外に遠くからやつてきた
 してその遠いどこやらから
 彼は昨日発つてきた 
 十年よりもさらにながい
 一日を彼は旅してきた
 千年の靴を借りもぜず
 彼の踵で踏んできた路のりを何ではかろう
 またその暦を何ではかろう
 (略)
 一九五一年
 穴ぼこだらけの東京に
 若者らしく哀切に
 悲哀に於て快活に
 ——げに快活に思ひあまつた嘆息に
 ときに嚔(くさめ)を放つのだこの若者は
 ああこの若者は
 冬のさなかに永らく待たれたものとして
 突忽とはるかな国からやつてきた
 (『二十億光年の孤独』 序にかえて 三好達治より)

 この2冊のノートが現代詩の出発点といっていいかもしれない。そして、穴ぼこだらけの心を解放と安心で満たされた人も多いことだろう。
 この展示でこの2冊のノートと、三好達治氏の「序にかえて」の生原稿が見ることができます。ガラスケースに入っているので実際に手にとることはできないが、「二十億光年の孤独」「新緑」と「雲」「ある世界」が載っているページがそれぞれ開かれている。
 平成30年11月3日(土曜日)から平成31年3月31日(日曜日)まで開催しています。無料ですので、お近くの方は観にいかれたらよいかと思います。

■2冊のノートとは
 ノートは全部で4冊(谷川さんは2冊だと思い込んでいた)あるという。1冊目のノートは「傲岸ナル略歴Ⅰ」には60篇(1949年10月12日〜1950年3月4日)、2冊目のノート「電車での素朴な演説Ⅱ」には56篇(1950年3月6日〜5月9日)、3冊目のノートには80篇(1950年5月10日〜1952年2月23日)の詩が収められている。3冊のノートの詩を合わせると、196篇となる。年度別に見ると、1949年8篇、1950年には、150篇1951年には、35篇、1952年には3篇と、詩の数は高校を卒業した年の1950年が圧倒的に多い。
 この時期の詩で活字になったものは、『二十億光年の孤独』(創元社、1952年)に50篇、「二十億光年の孤独 拾遺」(『日本の詩集17 谷川俊太郎詩集』(角川書店、1972年))21篇、「〈62のソネット〉以前」(『愛について』(東京創元社、1955年))に11篇、『十八歳』(東京書籍、1993年)に62篇、合わせて144篇の詩を私たちは目にすることができる。
 詩には、書いた日が添えられている。制作された日の順に詩を読んでいくと、作品が多い17歳後半から19歳半ばくらいまでの時期は、若い詩人の詩の変化がたどれるように思えるという。
 4冊目のノートはデビュー後の作品が大半で、詩の性格も『62のソネット』につながるもので、谷川さんの運命を変えたノートとして、3冊と考えるのが自然だろう。(『ぼくはこうやつて詩を書いてきた』山田馨より)

 つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるるかたなく、ただひとりあるのみこそよけれ。(『徒然草』)

 詩でなければ伝わらないことがある・・・。
 それを探し続ければたとえ孤独であっても豊かになれる・・・。

(2018年12月2日)

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