石川啄木は「ココアのひと匙」で、大逆事件で処刑された幸徳秋水たちテロリストの悲しい心情を詠った。
「ココアのひと匙」 石川啄木
われは知る、テロリストの
かなしき心を──
言葉とおこなひとを分かちがたき
ただひとつの心を、
奪われたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らんとする心を、
われとわがからだを敵に擲(な)げつくる心を──
しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有(も)つかなしみなり。
はてしなき議論の後の
冷めたるココアのひと匙を啜(すす)りて、
そのうすにがき舌触りに、
われは知る、テロリストの
かなしき、かなしき心を。
大逆事件から12年後の大正12年に起きた関東大震災のどさくさに紛れて、社会主義者の虐殺が軍・警察の手で実行され、故意に流されたデマに踊らされて多数の朝鮮人・中国人が犠牲になった。
アナキストたちがもっとも激昂したのは、大杉栄・伊藤野枝夫妻の虐殺だけでなく、思想的には何も関係ない大杉の甥の橘宗一少年(6歳)が、一緒にいたというだけで締殺された事だ。しかも反抗がバレないように遺体は大杉夫妻とともに古井戸に投げ込まれた。これはおそるべき犯罪行為である。
その復讐に起ち上がったのがアナキスト中浜哲と古田大次郎が率いるギロチン社と、大杉直系の労働運動社の和田久太郎たちだった。
人は「この社会を変えよう」と思いつめた時、自分の肉体のみを武器としてテロリストを目指す。自分の目の前で人が苦しんでいて、政府や富豪やら、だれが悪いのかもはっきりしている時、どうしようもなく義憤に駆り立てられる。たいていは弾圧されて、ぶっ殺されるだけだろう。いまの自分の利益を考えたら損するだけだ。でも、それでもいい。ただ一撃でいいから、悪いやつらに鉄槌をくだしたい。そうやって、世のため人のため、身を捨てておのずから動くのだ。
「詩人であったテロリスト」 辺見吉三 (『墓標なきアナキスト像』より)
アナキズムが、今もなおダイナマイトやピストル、そして暗殺者の黒い恐怖として、人の胸裏に伝説となっているとしたら、それはただアナキストのみのゆえんであろうか。
明治43年夏、幸徳秋水らは明治天皇暗殺をはかったとしてつぎつぎに逮捕され、翌年1月12名は死刑、12名は無期となった。
そのとき幸徳らは誰をも殺さず、また傷つけたのではない。さかさまに彼らこそが、天皇制にくびり殺されたのにある。
大正12年から13年にかけて、違いわゆるアナキストのテロルとよばれる一連の事件が連続しておこった。
そのテロルとは、合計した結果でも、あやまって1人の老人をころし、わずかに2人にかすかな負傷をおわせただけのものにすぎない。しかも天皇制政府は、それへの見返りとして数十人をとらえ、数十人を獄死させ、あるいは死刑に処したのである。
そして政府はそれらの内容の漏洩をまず記事差し止めで防ぎ、ついで理不尽な処刑にふさわしくデッチあげ、全く一方的に潤色して発表したのにあった。
このようにして、アナキズムの歴史がテロルの血によって書かれている、と人々というならば、その血は、天皇制政府によって流されたアナキストのものであること、テロルの黒い伝説は、アナキストに対しての天皇制そのものにこそ、与えられねばならぬことが明らかだろう。
だが、それはもちろん、アナキストが、他の誰よりも目立って、天皇制への反逆者であったことを意味している。
しかしまた天皇制絶対状況のもとでの、ことに〈大逆〉は、それ自体として存在しえないもの、または〈死〉にほかならなかった。
それゆえにアナキストたちが——日々の〈生〉が〈生そのものとして死化している〉日常において、自己の〈生の死化〉を認めつつなお闘おうとするとき、おのれの内面を今まで支えた確たるもの——〈志〉あるいはアナキズムの喪失をしらなければならなかった。
またその〈志〉の喪失感の深さは、その深刻さに比例した自己処罰のニヒリズムとして、彼らをはげしく衝ききゆるがすものであった。
それゆえ彼らが、〈大逆人〉の位置にみずからを捉え、自己を律することでおのれの〈生〉を絶対化しようとしたとき、うかびあがってきた〈死〉は、〈生〉そのものとしての〈志〉の復活であった。
しかしそれは古田の手記にある「死と結婚した」人間の「死と握手している寂寥やる方なき心をば、深く胸中に蔵した時のみ得られる」という——〈生〉のアナキズムから転生した〈死〉テロリズムへの——〈志〉にほかならなかった。
このようにみるとき中浜鉄、古田大次郎、後藤廉太郎、和田久太郎、村木源次郎……と彼らのほとんどが詩人であったことは、また偶然ではない。
彼らにとって、〈死〉はまた〈詩〉の極致でもあった。
そしてテロルが〈詩〉とむすびつくのは、生の跳躍としての自己投企において、〈死〉を貫徹させること、その〈死〉的燃焼の完結性——完璧性としてである(その故に、中浜や和田は無期をでなく、裁判でも死刑をあのように望んだのでだった)。
このようにして彼らが、その最後の〈死〉において表現したものは、それそのものとしての〈志〉であり、また〈詩〉であった。
いいかえれば〈死〉によってしかあらわすことのできない、それは〈志〉であり、〈詩〉なのであった。
もはやそれそのものが目的となった〈詩〉あることによって〈志〉の、はげしくうつくしい〈死〉であった。
チェ・ゲバラが語ったなかで好きな言葉がある。
ラテンアメリカ革命のための山岳ゲリラ戦で、山の中を追われて逃げている時、撃たれてもう動けなくなってしまった仲間が「足手まといだから自分をここに置いていってくれ」と言ったら、ゲバラは「お前さんを釣連れて一緒に行くのが革命のポエムだ」と言ったという。ただ足でまといだからというのでどこかに収容するのではなく、それを一緒に背負っていくことが人間的な社会を象徴する、革命というのはそういうことだと思う。
大杉栄は喝破した。「国家がやっていることは、暴力をつかって人びとを生きのびさせることである。ただ生存のために生きさせること、それ以上の生きかたを認めないこと。キーワードは奴隷根性であり生の負債化だ。人びとは、負い目をせおわされることによって、特定の尺度をうけいれ、こうやって生きるべきだと思わされる。まわりの評価を気にして生きること。もっと評価されようとして、他人と競い合うこと。それは、奴隷が主人によろこんでもらおうと、四つんばいになってしまう」というようなものだと。
「むだ花」 大杉栄
生は永久の闘いである
自然との闘い、社会との闘い、
他の生との闘い、
永久に解決のない闘いである。
闘え。
闘いは生の花である。
みのり多き生の花である。
自然力に屈服した生のあきらめ、
社会力に屈服した生のあきらめ、
かくして生の闘いを回避した
みのりなき生の花は咲いた。
宗教がそれだ。
芸術がそれだ。
闘うとは「ポエム」なのだ。
生きるとは「ポエム」なのだ。
(2018年12月1日)