質より量で勝負している貧乏なGデザイナーは徹夜で仕事をヤッつける。
「腹が減った・・・」
いつものように徹夜メシを食べに吉野屋へ行く。いつものように中島みゆきの「狼になりたい」を口ずさみながら。
「狼になりたい」 中島みゆき
夜明け間際の吉野屋では
化粧のはげかけたシティ・ガールと
ベイビィ・フェイスの狼たち 肘をついて眠る
なんとかしようと思ってたのに
こんな日に限って朝が早い
兄ィ、俺の分はやく作れよ
そいつよりこっちのが先だぜ
買ったばかりのアロハは
どしゃ降り雨で よれよれ
まぁ いいさ この女の化粧も同じようなもんだ
狼になりたい 狼になりたい ただ一度
向かいの席のおやじ見苦しいね
ひとりぼっちで見苦しいね
ビールをくださいビールをください 胸がやける
あんたも朝から忙しいんだろう がんばって稼ぎなよ
昼間・俺たち会ったら
お互いに「いらっしゃいませ」なんてな
人形みたいでもいいよな 笑える奴はいいよな
みんな、いいことしてやがんのにな
いいことしてやがんのにな
ビールはまだか
狼になりたい 狼になりたい ただ一度
俺のナナハンで行けるのは 町でも海でもどこでも
ねえ あんた 乗せてやろうか
どこまでもどこまでもどこまでもどこまでも
狼になりたい 狼になりたい ただ一度
狼になりたい 狼になりたい ただ一度
喪失感を埋めるのは、中島みゆきと吉野屋の牛丼が自分のルーティーンだ。
高本茂は『中島みゆきの世界』で「豊かな社会において、不遇は存在し、総中流社会においても脱落組は存在する。落ちこぼれ、取り残され、排除される側の人間の抗議や怒りや悲しみを、中島みゆきは代弁し続けた。彼女の数々の作品は、この世の全ての不幸な者たちへの子守歌なのだ」と語る。
そして「戦後日本社会への根本的な否認を申し立てているのだ。なぜなら戦後日本社会とは、勝者、生者、成功者の論理で出来上がっているのであり、敗者、死者、失格者を排除することで存立しているからだ。戦後日本社会に対してこれほど強い否認を突き続けたのは、中島みゆきただ一人だ」とも語る。
テレビが宝箱だった時代の1973年12月12日、広告という虚構の世界に夢をかけたCM作家の杉山登志が、意味深な言葉を遺して自宅マンションで首を吊って死んだ。朝日新聞はその死を「オイルショックによる経済的破綻が生んだ消費最前線の戦士の自滅」と位置づけ、当時の社会を象徴する出来事だと報じた。
リッチでないのに
リッチな世界などわかりません
ハッピーでないのに
ハッピーな世界などえがけません
「夢」がないのに
「夢」をうることなどは……とても
嘘をついてもばれるものです
広告の仕事はわからない。死の理由もわからない。しかし、この言葉だけがいつも頭の中で呪文のように聴こえる。
「嘘はばれる。嘘はばれる。嘘はばれる・・・」
当時、杉山登志の死に関して小林亜星は「死んだ時、笑った人もいました。笑ってはいけない、気の毒だといいながら……。私と彼とは立場が違うけれど、やはり彼の死については批判的ですね。CMというのはジョークでやっていないと、やっていけない部分があるわけです。それを真面目にやりすぎてしまった」と辛辣な意見を語った。おそらくその通りだろう。しかし、中学生時代から「死」を意識していたという杉山登志のニヒリズムは、現実世界など興味がなく、ただの邪魔ものであり、唯一かつ本物の現実世界はフィルムの中で起こっていることだけであっただろう。広告を創っているというよりも夢を創っているのであり、創ることでしか生きられなかったのが杉山登志なのだ。
ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ (「ファイト!」)
先日、上野で開催しているゴッホ展に行った。杉山登志と同じ37歳で自ら死んだゴッホの人生と杉山登志の人生を無理矢理に重ねる。ゴッホが現実の世界では生きられなくて、キャンバスの中でしか生きる場所は無かった。ゴッホの人生とは、才能に乏しいと自覚している人間が独学で自分の腕の足りなさを克服しようと、てんかんの発作に襲われながらもそのたびに立ち上がり悶え苦しみ努力することによって、自分で自分を創りあげ、10年間に約850点の油彩と約1000点の素描を描いた持続力がゴッホの人生だ。
杉山登志にとっても創ることが生きる証しであり、年間80本という過労死レベルの数のCMを創る持続力がるからこそ生きていけるのだ。しかし、CM作家という仕事の持続力とは、クライアントの受注を限りなく受けることであり、クライアントが求めるイメージの再現を果たし続けることである。
夢はいつかは覚めるもの。虚構の世界に立てこもった強さが想像力を掻き立て、自分で自分を創り上げたが、時代の変化は虚構の世界のリアリティへの信頼が次第に揺らぎ始めた。現実世界を捨てた杉山登志にはどこにも居場所が無くなったのだ。
杉山登志と同じ歳の横尾忠則はデザイナー時代に「デザインとは〈虚〉である。〈虚〉でしか通じない世の中でもある。本当のことをいうと通じない。またはっきりいうと損をする、しかし、私は今、損をしてもいいから、できうる限り、本当のことをいうデザインをしたい」と語り、本当のことをいうための組織を去っていった。杉山登志は、〈虚〉と格闘して組織の中で本当のことをいわずに死んだのだ。横尾忠則がいうように、現実の世界のウソは真実を隠すためのものであるが、虚構の世界のウソは真実を描くものなのである。
世の中はいつも変わっているから
頑固者だけが悲しい思いをする
変わらないものを何かにたとえて
その度崩れちゃ そいつのせいにする (「世情」)
杉山登志の死んだ時代とはどういう時代なのか。
坪内祐三の定義によれば、高度成長が終焉した1972年が、ひとつの時代の「はじまりのおわり」であり、「おわりのはじまり」だという。中東戦争によるオイルショックがあり、基地負担を押し付けられた沖縄返還があり、大衆運動の敗北した浅間山荘事件があり、ロックが形遺化し、日本列島改造論があり、街にチェーンが溢れ始めた時代であり、社会全体は夢から醒め、現実化(商業化)した時代である。こんな奇妙な開放感とその裏返しの閉塞感の中で、ひとつの時代の象徴として杉山登志は死んだのだ。
夢など見られない現代社会は、時間的にも空間的にも合理化され便利になったが、人や商品は単なる「モノ」でしかなく、煽り立てられて生きなければならなくなり、人は寛容さを忘れ下品になった。大手広告代理店は社員を過労死するまで働かせ、そこから仕事を請け負っている下請けや孫請け会社にいたっては言わずもがな。
それぞれ生き方は自由である。ジョークで生きようが、楽して生きようが。しかし、こんな時代だからこそ杉山登志の愚直なまでの精神性は多くのクリエイターからリスペクトされるのだ。
めぐるめぐるよ 時代はめぐる
別れと出会いを繰り返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ (「時代」)
「それにしても深夜だというのに街は明るすぎる・・・」
少しでもお金を使わせようとネオンがギラギラ怪しく光る。その上を月が負けじと輝いている。
♪ 狼になりたい〜
♪ 狼になりたい〜
(2020年1月11日)