河島英五を聴きながら(1)

風を探しに旧東海道を歩いた。iPodに詰め込んだ河島英五の唄を聴きながら・・・。
河島英五を1975年に「何かいいことないかな」でレコードデビュー以来ながいこと聴いている。
時流に流されず、群れをつくらず、本質を見失わず生きた河島英五が2001年4月に48歳で亡くなってからもう16年が経つ。

♪ そこの角を曲がったところから 旅が始まると
何気なく歩き始めて こんなに来てしまった
振り返るなんて いじけた話しだと
からかうのはよせよ ひなげしの花よ
立ち止まっているだけさ
空には風 大地を流れる河
生きてゆくかぎり 歩き続けるだけさ
(「生きる」より)

メアリー・フライの「Do not stand at my grave and weep」の詩を日本語に訳して話題になった新井満によると「ネイティブ・アメリカンの人々は、すごくあたりまえに、死んだら風になったり、星になったり、火や雨や雪や小川や山になったりすると言う、それは、なぜだろう。彼らが太古の昔から大地(地球)とつながって、そこから決してはなれないようにして生きてきたからだ。だから彼らは、大自然に対する畏敬の念を忘れないのだ。さらに、自分たちは今たまたま人間の姿をしているけれど、そのいのちとは、無数に共生しているいのちの中のワン・オブ・ゼアに過ぎないということもよくわかっている。だから、人間だからといっていばったりすることはない。生きものとしての分をわきまえて、ひたすらひかえめに生きるマナーを知っているのだ。」という。
河島英五の曲には風という歌詞が多い。「いのちの旅人たち」「うたたね」「仁醒」「青春旅情」「泣きぬれてひとり旅」「ほろ酔いで」「伝言」「風は旅人」「十二月の風に吹かれて」「風のわすれもの」「ポプラ」などだ。河島英五もネイティブ・アメリカンのように風になったに違いない・・・。

♪ 誰もがひとつずつ持っている
心の中に風車を
風が光るのを見ましたか
風が詩うのをききましたか
風が通り過ぎたのを見ましたか
風が話すのをききましたか
僕は風になろう 君の心の風車を
くるくる回す やさしい風になろう
(「君は風になれ」より)

「合理性」と「利便性」を追求する現代社会は、古いモノを取り壊して成長していく。旧東海道のどの町にもコンビニがあり自販機がスラリと並ぶ。そんな風景の中で時代に取り残されたように何体かの道祖神との出会いがあった。「道祖神さん、人は死んだら風になるのですか?」と尋ねたが道祖神は何も語らない。風化したその顔は微笑んでいるかのようで、へばったわたしの体を何度も生き返らせてくれた。
2回の夜をくぐり、2つの山を越えて50時間歩いてムダな力を出しきったら、少しだけ心の中に風が吹いた。
「変われない人間」は「変わらないモノ」だけ信じればいい。これからも風を探しに歩くだろう。河島英五の唄を聴きながら。ウフフ・・・。

♪ 山よ河よ雲よ空よ 風よ雨よ波よ星たちよ
大いなる大地よ はるかなる海よ
時を越える ものたちよ
あなた達に囲まれて 私達は生きてゆく
たった一度きりの ささやかな人生を
くり返し くり返し ただひたすらに
くり返し くり返し 伝えられてきたもの
くり返し くり返し 伝えてゆくんだ
くり返し くり返し 心から心へ
心から心へ 心から心へ
(「心から心へ」より)

(2017年8月21日)

河島英五を聴きながら(1)」への2件のフィードバック

    1. dada.sakai 投稿作成者

      コメントありがとうございます。
      同じ時代、同じ曲を聴いていたとは嬉しい限りです。

      返信

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