「鳥」 安水稔和
鳥よ
花が咲いてもとっくに散って。
風が吹いてもとっくに止んで。
河が溢れてもとっくに涸れて。
水なく。風なく。花なく。枝なく。声なく。
声もなく土塊ゆっくりと宙に舞う野で。
声かける。
―鳥になれ。
鳥よ。
安水稔和さんはこの詩で人間の回復を訴えている。
鳥が鳥として容易には生きられないという認識がその裏にひそんでいます。だが、鳥は鳥として生きるしかないし、鳥は鳥としてこそ生きたいのだ。ありかたの全体が、人間の回復がここでは呼びかけられているのです。
あなたは今、自分が部分としての生き方を強いられていると強く感じはしないでしょうか。鳥は鳥でなければならぬ。あなたでなければならぬ。一度口にだしていってみてください。
さあ。
鳥になれ。
鳥よ。
鳥が鳥として生きられないのは、大気汚染・大気汚染・放射能汚染などの環境破壊を引き起こす人間の仕業だ。鳥が鳥として生きるためには、人間が人間として生きなければならない。人間が組織の一部として隷属的になれば、銭ゲバな機械人間や、空っぽなプラスティック人間に陥りやすい。人間が人間である為には、自然界に於ける人間という存在が、生態系の一部であるという視点に還らなければならない。
鳥をイメージする時に、大空を飛ぶ鳥や水辺に佇む鳥だけを想うのではなく、走っても走っても飛び立てない鳥、首を泥田に突っ込んで息絶えた鳥、首を大きな手で握られた鳥、太陽のなかへ飛び込む鳥、もはや鳥とはいいがたい鳥たちの悲しみを想う事だ。
さあ。
人間になれ。
人間よ。
参考文献:『鳥になれ 鳥よ』 安水稔和 花曜社