あの古着屋さんはきっといい人だろうと思う。
毎年、近くの古着店の軒下にツバメが巣作りをする。今年も無事に数羽の小さなツバメが巣立っていった。
ツバメは人間が危害を与えないと信用しているから、あえて人間の近くに巣をつくることで天敵から身を守っている。
しかし、近ごろでは落ちた糞が汚いといい軒下のツバメの巣を叩き落とす家もあるという。
日本人は自然が好きで、自然をよく生活に取り入れているのに、どうして今日のようにひどい自然破壊が行われるのか。
日本人は、自然というものを自分たちの対象として客観化してとれてはいないからである。
日本人は自然と一体化しているが、それは自分勝手な意思で自然を取り入れているだけで、植物や昆虫の区別、名称などということには、ほとんど興味をもっていない。
人と自然は未分化の世界を形成しているのだから、人の欲望によってどういうことにもなりうるのである。自然を家の中に取り入れることも、自然を自分の欲望実現のために破壊してしまうことも、両者は同じ観点の異なる表現にすぎない。自然破壊に対する自然保護の叫びは、自然を客体として、どう扱うべきかという発想からではなく、保守的なセンチメンタリズムに裏付けられているのが特色で、両者は相対立する格好をとっているが、同じレベルにおける保守と進歩、あるいは好み、利害の相違の問題であるために、問題解決のきめ手をいずれも出すことができず、結局、どちらか強いほうの力におされていく、ということになってしまう。
「つばめ」 金子みすゞ
つういと燕がとんだので、
つられてみたよ、夕空を。
そしてお空にみつけたよ、
くちべにほどの、夕やけを。
そしてそれから思つたよ、
町へつばめが來たことを。
かつて石牟礼道子さんは都心のビル群は「近代の卒塔婆」といった。現在の都心は卒塔婆と補助金欲しさに造られてた緑化施設が点在している。そして、駅前の風景は赤や黄色のチェーン店だらけでどこも同じ顔をしている。
自然破壊とは街を破壊することだけではなく、人間のこころも破壊することである。
また来年、優しい古着屋さんの軒下にやってくるツバメが楽しみである。
(2019年8月3日)