二匹の野良ネコの出会いは、冷たい雨がやんだ高円寺の遊歩道だった。
一カ月前から一匹が消えた。
「おいで おいで」
「ミャ~ ミャ~」
今は、五十センチメートルが許してくれる距離らしい。
野良ネコが野良ネコのプライドを生きるのに、五十センチメートルがいい距離なのかもしれない。
吉原幸子に「猫」というの詩がある。
「猫」 吉原幸子
〈ゐない〉
ネコが死んで 半としもたってから
セーターをつくろった
幼いあの子が 背中をかけのぼり
船長のオウムのやうに肩にとまって
やはらかな爪をたててから
ずっとそのまま着てゐたのに
今になって
今になって——?
でも きっと
半としたったから やっとわかったのだ
もう セーターは
ほつれないのだ と
あの子をひいたくるま
亡がらのないお墓
(抜け毛と手紙を埋めただけの)
ほつれた糸を
一針一針 裏側へ押しこんで むすぶ
弔ってゐるやうでもあり
終らせてゐるやうでもある
あの子は もう ひっかかない
いちど 死んだから
もう二度と
死なない
〈ゐる〉
死んだネコについて書いたものを
ベッドで よみかへしてゐると
ドアが小さく開いて
誰か入ってきた
足音はきこえなかったから
風か
ふしぎなことに
メモが一枚 どうしても見当らない
サイドテーブルのうしろ
椅子の足もと
をかしいわね 今しがたまであったのに
思ひついて
ベッドの下に手をさしこむ
すると あ!
わたしの指は
柔い 毛ぶかいものに
たしかに さはったのだ
のぞきこむのはよさう
そこにゐるのは あの子にきまってゐる
でものぞいたら きっと
スリッパのふりをするだろうから
青びかりの瞳で 詩をよみ終へ
わたしのしほからい指をなめ終へたら
たましひよ
今夜はその暗がりで
おやすみ
子ども頃、十年くらいネコを飼っていた。
冷たい雨の日はネコの温かさを想いだす。
明日も冷たい雨だ。
(2018年12月26日)