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二人の「夏の果て」の物語

 優れたコラムは、人間行動学や人間性心理学のテキストだと思っている。
 コラムニストの小田嶋隆さんは、視点を左や下に少しずらし、人間社会の現象を分析する。
 多くの本を出している小田嶋さんであるが、二十代の後半の頃は半失業者のような苦しい生活だったという。そんな状況だったにも関わらずポジティブでいられたのは、高校・大学の同期生であり親友の岡康道さん(クリエイティブ・ディレクター)が、自分の事を評価してくれてたからだと語っている。

「夏の果て」 小田嶋隆

夏の雲が立ち上がるのを見上げていたぼくたちは、十六歳だった。
いいや、そんなのはウソだ。わかっている。
ぼくは十六歳ではなかった。
あらためて、記録に沿って数え直してみれば、おそらく、ぼくは十五歳だった。
それも、いまとなってはあやしい。
なぜなら、あの時、あの場所にいたかもしれない人間たちは、ひとり残らず、この世の者ではないからだ。

ぼくたちがよく知っていた夏に、ビーチ・ボーイズは鳴っていなかった。
当然の話だ。よくわかっている。
その代わりに、ぼくの目にうつっていたのは、灰色かかった砂と、その砂を濡らす不潔な出所不明の水流だった。
そこからやってくるのか、そのかぼそい流れは、砂浜を隠れるように逃げてまわり、最終的に波打ち際まで届いていた。彼方には、赤く錆びた色の缶と、そのまた向こう側に消えていく蟹の小さなハサミが揺れ動いていた。
どこからどう眺めても、美しい景色ではない。
それでも、日差しが一番激しい音を立てる時刻がやってくると、夏は比類のない季節である実感を残していった。

夏は、かたちどおりにやってくるものではない。
それは、いつだったか誰かが耳打ちしたとおり、本当のことだ。
でも、春夏秋冬と、四通りあるはずの道すじのうちで、夏に至る道程だけが、必ず、はるかに遠い高みで、特権的にわれわれを待ち構えていた。
どうして夏だけが、いつもあんなふうに、ウソそれ自体のまばゆさに満ちあふれながら、けっして手の届かない場所で輝いていることができるのだろう。
春・夏・秋………と、折り重なる季節の中で、夏だけが、どうしても手の届かないはるか彼方で輝いているその理由を。
もちろん、こんな話はウソだ。しかも間違っている。
夏だけが特別なわけではない。
すべての一日は等価で、しかも無意味だ。
これがぼくのたどりついた結論で、それを証明することがぼくの生活だった。
白色レグホンの無精卵みたいに等価で無意味な一日。そしてまた、おなじ一日。それらを無造作に積み上げて、積み上げたままに突き崩すのが、すなわちぼくの日々であり、義務でもあった。
でも、それにしても、どうしてあの夏の日々は、ありもしなかったことがはっきりとかわってしまったあとになっても、あんなに美しく輝いて見えたのだろうか。
同じように並べられ、繰り返される日々の退屈さと、それらの日々が本当に価値あるはずの時間をむしばんでゆく感覚に、ぼくたちは苦しめられていた。
それが若さだということに気づいた時、ぼくは、自分がもうなにも手に入れられないことをしみじみと知った。
ところが、なにも手に入れることができず、ひとつとして持ちきたえられていないのに、それでもにかを失うことだけはできた。
そして、それこそが、夏雲の向こう側にわれわれが仮定していたものの正体だった。
二度とかえってこないというそのことだけが、日々を特別な瞬間に変える魔法だったことを知った時、ぼくの時計は過ぎ去った時刻を指していた。そして、なんということだろう。きみの時計はゆっくりと動きを止めようとしていた。
「くだらない趣味だけどさ」
と、言い訳をしながら、見せてくれた雨水色の腕時計のことを、ときどき思い出す。
「こういう時計は、いったいどこの時間を指しているものなんだ?」
と、水を向けると
「ずっとむかしの、おまえが知らない時間だよ」
と言って笑った。
その時間に向かってぼくも歩きはじめている。また会おう。
はるかな、夏の果てに、待っているかもしれない、あの時間の中で。
(二〇二一年八月六日)

 この詩は、小田嶋さんが岡さんに贈った鎮魂詩だ。
 岡康道さんが二〇一三年に発表した自伝的小説『夏の果て』を、後年に小田嶋さんが読んで呼応するかたちで発表したものだ。
 岡さんの小説『夏の果て』に登場する「若松」が小田嶋さんの事である。
〈若松は、コンピューター関連のカタログや入門書や翻訳を膨大にこなしていた。その合間に、鋭いエッセイを書いた。これが面白い。同世代の書き手の中でも、僕は依怙贔屓を差し引いても若松が断然トップだと思った。しかし、書き続ける日々は、若松に次第にダメージを負わせた。あるいは、若松は本当に書きたいものを書いてはいなかったかもしれない。九〇年代に入るとアルコールに依存するようになった。生活が荒れ始め、雑誌で資本主義そのものを鋭く批判する。九一年のソ連邦崩壊によって共産主義の非現実性が露になり、バブルがはじけた日本では、これから先何を目指せばいいのか、みんなわからなくなっていった。若松の資本主義批判も次第に説得性を失っていった。若松は僕の作ったCM制作者の名前入りでこき下ろし、広告すべてを軽蔑する文章を発表した。弟の温は、それを偶然見つけた。「アタマに来るかもしれないけど、若松さんが言ってることは、今まで彼が批判していた視点から見れば当然のことだ。兄貴は怒ったらだめだよ」と僕を諭すように言った。しかし、僕は人からその掲載雑誌を見せられ、激怒し、若松と縁を切った。〉(『夏の果て』岡康道 小学館 P315より)
 二人が絶交していた期間は一〇年くらいだったと言う。僕はこの時代の小田嶋さんの本を読んだことが無く、思想・信条はわからない。執筆の勉強のためパクるように読み始めたのは、二人の共書を含め今から一〇年くらい前からという事になる。
 近年の日本社会は歴史修正主義者によって歴史が改竄されている。権力を私物化した為政者に対し忖度、迎合するヨイショ本ばかりが巷に溢れている。誰もが物事の本質を重層的に考えようとしない反知性主義者も多い。小田嶋さんは「政治や社会を鋭く批評したコラムニス」と言われているが、当たり前の事を言っているにすぎない。優れたコラムは、人間行動学や人間性心理学のテキストだと書いたが、小田嶋さんが亡き後に改めて書物を読み直してみると、小田嶋さんが遺したコラムは現代歴史学のテキストだとも言えるかもしれない。
 岡さんは二〇二〇年に亡くなり、小田嶋さんは後を追うかのように二〇二二年に亡くなった。二人は僕より少し上の世代にあたる。まだまだ若い。当たり前の事が当たり前でない社会の中で、真っ当な表現者が亡くなってしまった事は残念である。

Do it oneself !

 キュビズムは時間と空間をぶっ壊した。
 岡本太郎の言葉は、過去の封建的な時間と現代の閉塞的な空間をぶっ壊してくれる。
〈「お互いに」とか、「みんなでやろう」とは、言わないようにしなければいけません。「だれかが」ではなく「自分が」であり、また「いまはダメだけれども、いつかはきっとそうなる」「徐々に」という、一見誠実そうなもの、ゴマカシです。この瞬間に徹底する。「自分が、現在、すでにそうである」と言わなければらないのです。現在にないものは永久にない、というのが私の哲学です。逆に言えば、将来あるものなら、かならず現在ある。だからこそ私の将来のことでも、現在全責任をもつのです。〉
 去年、東京都美術館開催された「展覧会 岡本太郎」には多くの若者が訪れていた。歴代の日本画の巨匠たちが展覧会を開催しても多くの若者が訪れる事はないだろう。それは、画壇の権威によって位置づけられた芸術家に魅力を感じないからだ。
 真っ逆さまに落ちていく日本経済。現政権は「未来」に向かうのではなく、ひたすら失敗した「過去」に戻ろうとしている。未来を描けない時代にあって、自分の未来を描く為には、封建的・既得権益的な不平等の壁をぶっ壊して前に進まなければならない。ぶっ壊したその先に見えるものこそ本質である。
 岡本太郎は常に「瞬間」を生きろと言う。その瞬間の純粋な気持ちが大事であり時間がたてば打算的になる。純粋な気持ちこそが自分自身が持っている形而上的なエネルギーなのだ。
 
 
いつ死んでも悔いはない。他人におべっかなんて使わない。 岡本太郎
ぼくはいつ命がなくなってもかまわない。
たったいま死んでも悔いのない、瞬間瞬間を生きてきたつもりだ。
火山が猛烈にふき出して、あとは静かになってしまうような、命がの燃焼が大切なんだ。
他人におべっかなんか使わない。
自分のプライドに納得のいく生き方を選ぼうと思う。

瞬間瞬間を運命にかける。 岡本太郎
健康法なんか考えないことが、いちばんの健康法だ。
よく人間ドックに入って、自分のからだの悪い部分を調べる人がいるけど、
あれはムリして病気を探しているようなものだね。
自分自身を信頼していない証拠だ。
そんなことはいっさい考えないし、気にしない。
健康、不健康なんて条件を問題にしないで、瞬間瞬間を運命にかける。
肉体、精神ともにつらぬいて生きているという自信が、まず、大切だ。
ぼくはいつでも絶対的に生きている。

人間は瞬間瞬間に、いのちを捨てるために生きている。 岡本太郎
人間は瞬間瞬間に、いのちを捨てるために生きている。
思春期には未知の人生への感動として、
なまなましくその実感がある。
しかし中年以降、とかくその意気込みがにぶり、
いのちが惜しくなってくる。
堕落である、つまらなさだ。

生きるときに生き、ひらくべきときにひらけ。 岡本太郎
くりかえしていう。
人間の運命は。その文化の素晴らしさは、
それが猛烈におこり、また滅びる、いわば瞬間瞬間に情熱的にひらき、
そして悲劇のなかに、栄光のなかに崩れ失われてゆくとこにある。
性急な語調にように、またため息のように、
透明で太いリズムで流れ、ひろがってゆく美しさなのだ。
生きるときに生き、ひらくべきときにひらく。
その瞬間に、純粋に生きる。
壊れるな壊れてもいい、と心をきめた方がさわやかではないか。

結果なんて考えない。 岡本太郎
結果にこだわるからなにもできなくなる。
もしこうしたら、こうなるんじゃないかと、あれやこれや自分がやろうとする前に、結果を考えてしまう。
誠実に、その瞬間瞬間にベストをつくしたんなら、結果なんていっさい考える必要なし。
大切なのは、運命をつらぬいて生きることだ。

いくつになったら、なんて考えるな。 岡本太郎
男は四十になったら自分に顔に責任をもて。
よくもったいぶってそんなことを説教する奴がいる。
四十になったら自分の顔に責任をもて、とはつまり、その歳になったら一人前の人格をもて、というわけだ。
ぼくはそれを聞くと腹が立つ。じゃあ、それまでは顔に責任をもたないのか? 人格がなくていいのか?
人間はどんなに未熟でも、全宇宙を背負って生きてるんだ。
自分の顔に責任をもって生きるとは、
この瞬間瞬間において、若さとか、老年とかいう条件を越えて、
未熟なら未熟なり、成熟したら成熟したなりの顔をもって、
精いっぱいに挑み、生きていくということだ。
いくつになったら、という考え方が人間を堕落させるんだよ。

死ぬのもよし、生きるもよし、すべて無目的、無条件。 岡本太郎
この世の中で自分を純粋につらぬこうとしたら、生きがいに賭けようとすれば、かならず絶望的な危険をともなう。「死」が現前する。
惰性的にすごせば、死の危機感は遠ざかるだろう。だがむなしい。
死を畏れて引っ込んでしまっては、生きがいはなくなる。
今日、ほとんどの人が純粋な生と死の問題を回避している。
だから虚脱状態になるのだ。
個人財産、利害得矢だけにこだわり、ひたすらマイホームの無事安全を願う、現代人のケチくささ。卑しい。
人間本来の生き方は無目的、無条件であるべきだと思う。
死ぬのもよし、生きるもよし。それが誇りだ。
ただし、その瞬間にベストをつくすことだ。

眼の前に瞬間があるだけ  岡本太郎
眼の前にはいつも、なんにもない。
ただ前に向かって身心をぶつけて挑む、瞬間、瞬間があるだけ。
頭のいいやつは、ちゃんとはるか先までの道を見とおしてしまう。
いつもできている道、そこを賢くたどって進んでいくのだ。
つまらないだろうなと思う。
うまくやっていればいるほど、道の方が先に仕上がっている。
こちらは逆に、前途いつもお先真暗なのだ。
ナマ身でぶつかり、転げていく。
幼い時から、ずっとそうだった。
空しさに耐えながら、逆にうれしく、やってきた。

引き裂かれる  岡本太郎
私自身の生命的実感として、いま、なまなましく引き裂かれながら生きている。
「正」の内にまた相対立する「反」が共存しており、激しく相克する。
「反」の内にまたと闘争する「正」がゆるぎなくある。
その矛盾した両極は互いに激烈に挑みあい、反発する。
人間存在はこの引き裂かれたままの運命を背負っている。
対極は、瞬間だ。
だから私は「合」を拒否する。
現在の瞬間、瞬間に、血だらけになって対極のなかに引き裂かれてあることが絶対なのだ。
 
 
 岡本太郎のように、自分自身に妥協せず誇り高く生きることは出来ないだろう。しかし、太郎は教えてくれる。「弱くてもいい、失敗してもいい、かっこ悪くてもいい、負けたっていい。君は君のままでいい。弱いなら弱いまま、たったひとりの自分をつらぬいて生きる。それでいいじゃないか。誇り高く生きてみろよ!」と。
 岡本太郎は18歳で渡仏した。絵画だけでなくパリ大学で哲学を学び、ニーチェから強い影響を受けている。もしかしたら、多くの言葉は負けそうな自分と向き合った中から生まれたものかもしれない。生涯をかけて語った多くの言葉は、僕たちに「今やらなければならない事」を教えてくれる。
 美術館に行けば多くの作品と出会う事が出来るし、書店に行けば多くの言葉と出会う事が出来る。それよりも、瞬間を生きれば岡本太郎の声が聞こえてくるのだ。瞬間という永遠を岡本太郎と共存する事が出来るのだ。
 
 
ぼくはきみの心のなかに生きている。 岡本太郎
ぼくはきみの心のなかに生きている。
心のなかの岡本太郎と出会いたいときに出会えばいい。
そのときのぼくがどんな顔をしているかは、きみ次第だ。
ぼくはきみの心のなかに実存している。
疑う必要はいっさいないさ。
そうだろ?

参考文献
『孤独がきみを強くする』 岡本太郎 興陽館
『強くなる本』 岡本太郎 興陽館
『自分の中に毒を持て』 岡本太郎 青春出版社