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『Scenes Along the Road』 


 『Scenes Along the Road』はアン・チャーターという人の編集で、主としてギンズバーグの個人的アルバムから、ビート詩人、それも一九六九年に死んだジャック・ケルアックに焦点を合わせたスナップショットを集めた写真集で、ギンズバーグが写真にみじかい説明と三篇の詩をそえている。「この本をジャック・ケルアックに捧げる」とあるように、一九四四年から一九六〇年にかけての、若き日のビート詩人たち、つまり “孤独な天使たち” の生ま生ましい交わりの記録であり、これを手にしたとき、あの “書物との出逢いの戦慄” を全身に感じて、わたしは息を呑んだのであった。
 一九六九年十月二十一日、『路上』や『地下街の人びと』あるいは『ダルマ行者たち』で知られる、ジャック・ケルアックは、カリフォルニア州セント・ピータースブルクの病院で脳出血のために死んだ。
 このビートニックの旗手ケルアックの、早すぎる死。その晩年、彼は東洋的な悟りに似た静かさの中にあり、彼のそうした変容の過程は、綿密に研究してみる値いのある課題なのであるが、そのこととは別に、ケルアックの急死による彼の仲間たち、とりわけギンズバーグのかなしみは大きかったにちがいない。
 ギンズバーグの『吠える』は、かなり多くをケルアックに負っていたし、いまこの写真集を見ると、『路上』の主人公たちディーン・モリアティやサル・パラダイスそのままに、おたがいに旅の “途上” にあって、ときにめぐり合い、ときには追い求め、またときには見失う、といった状態をくりかえしながら詩や散文を書き、人生と詩に体当りしていたことがよくわかる。
 一九五三年当時のジャック・ケルアックのを写した写真がある。


 これはギンズバーグが写したものであるが、ギンズバーグの説明では、これはギンズバーグのアパートの非常階段で写した写真で、ケルアックのポケットに見える本は、ニール・キャサディがくれた『鉄道制動手ハンドブック』だという。
 当時、ケルアックは彼の『路上』を地でいっており、『路上』『地下街の人びと』『コーディの幻想』などを書いたり、あるいはさかんにそれらを構想中であったらしい。
 『路上』を地でいった。というのはほかでもない。当時ケルアックは、アメリカ各地を旅行する途中で、一時期カリフォルニアでは鉄道の制動手をして生計をたてていたからである。
 これは、ケルアックの作品を考える上での大きな手がかりのひとつとなることであるが、ギンズバーグの観察によると、ケルアックは一時期にせよ、急速に荒んでいった時期であったという。

みんな 天国へいくまえの
暗い地球でひとやすみさ
アメリカのビジョンよ
ヒッチハイクしている者たち
鉄道で働いている者たち
みんな アメリカに仕返ししているんだ

 ケルアックが本の余白に書きつけた言葉である。
 ケルアックの『路上』は一九五五年に、そしてギンズバーグの『吠える』は一九六五年それぞれ出版され、それ以後、一九六〇年にかけて脚光を浴びる彼らについては、その動きを知るための材料は比較的多い。
 だが、おそらく、彼らにとってもっとも重要な時期は『路上』以前、そして『吠える』以前にあるであろう。つまりそれは、家や教育や社会に反抗した彼らが、何かを求めて文字どおり “路上” にあった時期であったからである。
『路上』以前『吠える』以前の、彼らの意識や反抗の姿勢を十分にとらえ得るかといえばそうはいかない。
 わたしが『Scenes Along the Road』を手にして “ある種の戦慄” をおぼえたというのは、『路上』以前『吠える』以前の貴重な資料に出逢ったからばかりではなかった。
 その “ある種の戦慄” を、説明することはむずかしい。彼らビート詩人たちの、インフォーマルな写真があり、更にいってみれば、わたしが求めていた “孤独な天使たち” がまちがいなくそこにいたからである。(『ユリイカ』1971年VOL3「アメリカで出逢った書物」諏訪優より抜粋)

(2017年9月26日)

自然との共生 宮沢賢治の教え

 日本人は古来から、自然は単なる物質的、物理的な物体ではなく命を宿し、魂を宿していると考えられてきた。風には風の命があり、水には水の命があり、火にも火の命があると。自然現象は命の営みだからこそ、恩恵を与えてくれる神として敬ってきた。
 時として襲いかかる自然災害も神々との関わりの中で捉え、信仰に基づくさまざまな叡智を生み出してきた。自然災害とは神々の怒り・祟りと考えられており、神は「地域を守護する神」であるとともに「祟り神」としての性格の両義的存在だった。
 例えば、河川が氾濫した後は豊作になり、津波が豊漁をもたらし、地滑りの地の米はうまい…。など、自然災害は豊かさと裏腹であり、津波や、崖崩れや暴風も神なのだ。
 東日本大震災のあの大津波でさえも神の業なのである。神が怒るときは、人間が対抗したり押さえこんだりすることは不可能で、なだめ、いなすことができるだけだ。
 大震災は、「自然はやさしい」とばかり考え、自然=神への畏れを忘れてきた私たちに大きな反省を迫っている。私たちは自然の中から生み出された命の一粒なのである。今、求められていることは「自然との共生」という思想であり、”自然の神秘さや不思議さに目を見張る感性”を取り戻すことだ。 
 そこで、宮沢賢治の詩を読んでみよう。
    
【雲の信号】
あゝいゝな、せいせいするな
風が吹くし
農具はぴかぴか光つてゐるし
山はぼんやり
岩頸だつて岩鐘だつて
みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ
そのとき雲の信号は
もう青白い春の
禁慾のそら高く掲げられてゐた
山はぼんやり
きつと四本杉には
今夜は雁もおりてくる

【林と思想】
そら ね ごらん
むかふに霧にぬれてゐる
蕈(きのこ)のかたちのちひさな林があるだらう
あすこのとこへ
わたしのかんがへが
ずゐぶんはやく流れて行つて
みんな
溶け込んでゐるのだよ
こゝいらはふきの花でいつぱいだ

 賢治の創作の原点は、自然と人間の営みの中に「命の輝き」を見たことだ。賢治は野外を散策しながら、動物や植物・鉱物、風や雲や光、星や太陽といった森羅万象と語りあったり、交感しあったりした。賢治は、生き物はみな兄弟であり、生き物全体の幸せを求めなければ、個人のほんとうの幸福もありえないと考えていた。
 私たちは、賢治のたくさんの作品群から、自然に対する近代の人間に傲慢さを知り「自然との共生」の精神を学びたい。
(参考文献:『神道とは何か 自然の霊性を感じて生きる』鎌田東二)

(2017年7月31日)