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弱者を見殺しにする国

 ネットニュースによると、埼玉県川口市内に住む高校1年の男子生徒が「教育委員会は大ウソつき」と書いたメモを残し自殺した。生徒は中学時代にいじめにあい、いじめを伝える手紙を何度も書いていたが、中学校側はそれまでSOSと受け止めていなかった。3回目の自殺未遂で後遺症で足に障害が残った。学校や市教委はようやく、いじめの重大事態として、調査委員会を設置した。ただし、生徒側にはそのことを伝えておらず、聞き取りもされていなかったという。
 彼は3回も自殺未遂をし、教育委員会にいじめを伝える手紙を何度も書いたにもかかわらず、学校や教育委員会は彼を見殺しにしたとしか思えない。すでに、学校や教育委員会は教育機関としての体をなしていない。
 いじめはいじめる人間が一番悪い。しかし、いじめ問題とは生徒を学校という強制収容所にも等しい地獄のような空間に閉じ込めて、群れて生きることを叩き込むことに原因がある。この学校制度を廃止しない限りいじめは無くなるわけがない。そして、いじめられている生徒が学校に相談しても解決するわけがない。
 学校はいじめ問題より自らの保身が大事であり、校長や教員にとって生徒は中学校・高校なら3年間でいなくなる存在であり、生徒よりも学校の校長や教員、教育委員会の「もちつもたれつ」の関係が大事なのである。市町村の教育委員会のトップでる委員長のほとんどが、校長経験者によって占められていて、学校でいじめが発生した場合、まず重要視されるのはいかにいじめを解決するかではなく、この「もちつもたれつ」の生温かい世界、居心地のいい人間関係をいかに維持するかだ。その世界が維持される限り、自分の生活も安泰ということになるからだ。
 この「教育ムラ」の人間たちは、どれだけの生徒を見殺しにしたら変わるのだろうか。

 学校のいじめ問題に限らず、今の日本社会は権力に迎合する人間や既得権者が優遇され、弱い人間が憂さを晴らすように自分より弱い立場の人間を攻撃する。
 2012年11月24日、東京・日比谷野外音楽堂で「安倍『救国』内閣樹立! 国民決起集会&国民大行進」が行われ、安倍首相もこれに参加した。そして「チャンネル桜もできたし、今、インターネットがあります。インターネットでみなさん、一緒に世論を変えていこうではありませんか。みなさん、ともに、日本のために戦っていきましょう」と聴衆に呼びかけた。この日以来、社会が右傾化への坂を転がり落ちていくように排外主義者によるヘイト・スピーチが各地で起きた。しかし、警察は排外主義者を逮捕するのではなくヘイト・スピーチを止めるカウンターたちを逮捕した。財務事務次官のパワハラ事件がを起こしても、安倍御用記者がレイプ事件を起こしても処罰されることはなかった。
 相模原障害者施設殺傷事件が起き、川崎殺傷事件が起き、電通社員過労自殺事件が起き、元自衛官によるカンボジアで強盗殺人事件が起き、いくつかの児童虐待死事件やいじめによる死亡事件起きた。数えればキリがないこのような事件のすべては弱者が被害者だ。
 安倍政権は大企業は優遇して、国民に負担を押し付けている。株式投資に失敗して国民の年金14兆円を損失させても知らん顔をしている。福祉は切り捨て、弱者を餓死や自殺へと追いやっている。日本では1日に5人が餓死し、1日に37.5人が自殺し、先進国30ヶ国中、貧困率が4番目に高い国に暮らしているのが私たちだ。
 国のリーダーが国民に間違ったメッセージを発すれば社会はどんどん病んでいく。狂っているのは、国のリーダーの頭の中だけではなく、それは「反対だ」と指摘しなかった国民の問題でもある。

「反対」 金子光晴

僕は少年の頃
学校に反対だった。
僕は、いままた
働くことに反対だ。

ぼくは第一、健康とか
正義とかがきらひなのだ。
健康で正しいほど
人間を無精にするものはない

むろん、やまと魂は反対だ
義理人情もへどが出る。
いつの政府にも反対であり、
文壇画壇にも尻を向けてゐる。

なにしに生まれてきたと問はるれば、
躊躇なく答えよう。反対しにと。
ぼくは、東にゐるときは、
西にゆきたいと思ひ、

きもの左前、靴は右左、
袴はうしろ前、馬には尻をむいて乗る。
人のいやがるものこそ、僕の好物。
とりわけ嫌ひは、気の揃ふといふことだ。
 
僕は信じる。反対こそ、人生で
唯一つ立派なことだと。
反対こそ、生きていることだ。
反対こそ、じぶんをつかむことだ。

 戦争中多くの文化人は戦争に協力する活動をした。しかし、金子光晴はたったひとり信念をつらぬいて反戦詩を書きつづけた。
 自分も金子光晴のように、反対といえる人間になりたい。ダメのものは絶対にダメなのである。
 彼ら彼女らの尊厳と名誉のためにも・・・。

(2019年10月15日)