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僕の居場所などあるのかい?

 僕はあまりにも歳を重ねてしまったようだ。
「僕の居場所などあるのかい?」という萩原慎一郎さんの切実さを、若い頃の自分に重ね合わせることをしてしまう。乗り越えてもいないし、強くもなってもいない。ましてや未だに居場所を見つけた訳でもない。強いて言うなら自分の時間との折り合いを付けただけにすぎないだろう。
 萩原さんは「非正規の歌人」という、嬉しくないような呼ばれ方をしている。
 1990年代前半、転がせるものは何でも転したバブルのドス黒い欲望は瞬く間に崩壊した。負債を抱えた企業が求人を控えたために、多くの若者は就職することが出来なかった。閉塞した社会の中で、規制緩和利権の政商たちが合理化を目的に推し進めたのがネオリベ社会だった。誰もが負けると分かっている競争をさせられ、自己責任の名のもとで犠牲になったのが多くの若者だった。この時代の若者たちのことを「就職氷河期世代」や「ロスジェネ世代」と呼んでいる。
 大人社会の出来事は、子ども社会においても必ず投影される。「いじめ」「ひきこもり」「メンタルヘルス」「ネット心中」など、多くの子どもの「生きづらさ」を表す悲しいワードが大きな社会問題になったのがこの時代だった。
 ロスジェネ世代の雨宮処凛さんは当時を振り返り語っている。
「団塊ジュニアとか貧乏くじ世代とか就職氷河期世代とかロストジェネレーションだとかいろいろな呼び方があるが、どれもロクなものではない。また、学生時代はベビーブームで子どもが多いことから苛酷な受験戦争を戦わされ、管理教育のなかで教師からの体罰などを当たり前に経験し、時代的に校内暴力の嵐が去ってイジメが蔓延していた、という書けば書くほどいいことがない世代だ。おまけに自らが社会に出る頃にはキレイさっぱリバブルが終わり、長い長い不況に突入したにだからたまらない」
 同じ世代の萩原さんも中学校から高校と長期間に渡っていじめを受け、大学在学中はいじめによる後遺症に悩まさた。大学卒業後は非正規で働きながら表現活動をしていたという。

ぼくも非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼を食べる   萩原慎一郎
非正規という受け入れがたき現状を受け入れながら生きているのだ   萩原慎一郎
逃げるわけにもいかなくて平日の午後六時までここにいるのだ   萩原慎一郎

 バブル崩壊もネオリベも外圧によるものだった。米国に従属して転がされ続ける日本社会の始まりであり、卑屈に生きさせられてる日本人を意味するものだった。誰もが犠牲者であり共闘しなければならないのに、一部の支配層によって職場や学校などの社会の中で、競わされ、分断させられた。誰もが自分を守るために弱い者を探して攻撃するような排他的な社会へと変り果ててしまった。一九九八年から十四年連続して日本の自殺者数は三万人を超えている。〇三年の自殺者は三万四四二七人で統計史上最多だった。〇二年から、二〇代、三〇代の死因の一位は、現在に至るまでずっと自殺である。
 萩原さんは「生きづらさ」から抜け出すために必死に何者かになって自分を変えようとした。自分が解放され認められる「居場所」が、短歌という表現の世界だった。萩原さんの何者かなろうとする切実さは痛いほどわかる。しかし、周りが自分を受け入れてくれような「居場所」に過剰に依存しすぎれば、その「居場所」を失わない為に無理をしてでも必死に守らなければならない。それは同時に、自ら命を絶った多くの表現者たちのように「殉教の死」を意味するものでもある。萩原は時代の犠牲者だったかもしれなが決して敗者ではない。強いて言うならば敗者とは卑屈な社会であり、卑屈に生きている者たちだろう。
 バブル崩壊から経済が回復しないまま「失われた30年」を迎えている。日本が従属し続けるのであれば「生きづらさ」はまだまだ続くだろう。近年のコロナ禍ではセーフティネットの脆弱さが露呈するように、女性と小中高生の自殺者が急増した。これは「生きづらさ」を表す日本社会を象徴しているものだろう。そして、これからの労働環境はAIの急速な進歩によって、今ある仕事の半分は無くなると言われている。若者たちは、生き残りを賭けた椅子取りゲームを競わされることになる。卑屈な社会の中で、卑屈に生きないためには、他人を攻撃するような内向する無軌道な怒りのエネルギーを、しっかりと自分の言葉として外に向けて表現するように社会を変革しなければならない。
 萩原さんが遺した『歌集 滑走路』は決して絶望の物語りではない。苦しみや悲しみを乗り越え、新しい何かを見つけ出そうと格闘した物語りなのだと思う。

冬空の下で切なくなったりもするよな それを乗り越えてゆけ   萩原慎一郎
真夜中の暗い部屋からこころからきみはもう一度走り出せばいい   萩原慎一郎
きみのため用意されたる滑走路きみは翼を手にすればいい   萩原慎一郎

参考文献:『歌集 滑走路』 萩原慎一郎 KADOKAWA