鈴木亮吉

鈴木亮吉(すずきりょうきち)1917〜1945
福島県東白川郡(現塙町)真名畑に生まれる。1930年、東京府立第5中学校入学。4年の時発病。この頃より詩、感想などを記し始める。1936年、第一高等学校理科乙類入学。医を志す。文芸部雑誌に作品を発表。病気再発して退学。1938年秋、病所好転し東京市中野療養所子供病舎の教師となる。子供病舎日記、詩、感想等を書く。1939年、同所を退所し中野区の兄宅にて療養。『時と貝』はこの頃の作品。1942年頃より郷里にて創作に精進。1945年3月病三度発し、9月歿す。

『花と心』鈴木亮吉(国民図書刊行会/1948)
『時と貝』鈴木亮吉(昭森社/1956)

詩一【六月の深夜の雨】
深夜 またも私はかうして眠れない
窓硝子はほのじろい夜空を映し
ゆらぎゐる雨は音をみだしてゐる
私は眠らうとはしない
雨空のそよぎにそのまま心をあたへてゐる
煙笛がなる
すると 私の幻想は暗い夜空を明るくぬりはじめる
煙突の廻りにもやはり雨が降ってゐる
晝の午後の空
やがて私の睡魔は無数のつめたい雨足と
あたたかい煙突の煙とのあひだに
ある 鈍い非融和を感覺する

詩二【神と子】
神よ あなたはこの子を奪った
未だ歩みをも言語をも知らない幼兒を
私は あなたのために小さい手を組まうとした
しかし やはらかい骨の手は指を組み合はせずにくづれた
神よ あなたは空の遠くに
光を含んだ雲につつまれた明るい位置に
この幼いもののために
歩みと言葉とを初めから一つ一つ教へねばならない
神よ 私はここにそれを見ることができる

詩三【雨と女と黒い藻】
硝子戸の内の女よ
坐りながら想像に窓の外の雨足を追へ
風にそうて雨足を追ふと
やがて 低い海に出る
海の底にゆれる黒藻は
水面にゆれる雨足を感じながら
想像に雨足を追うてかへる
さて やがて
同じ道に沿うて雨足を追ふと
硝子戸の内に
黒藻は 自分とおなじやうに濡れた
おまへの黒い髪を発見する

詩四【六方の白壁の中の私】
誰一人との連関もなく
それは曉のくも糸(光)のように一本一本と切れ
かへって無限の束縛ともいふべき六方の白壁が(拘束なき極端
 な抱束)私を囲まうとするとき
あゝ 私は誰に祈りを捧げようといふのか
神は結局あまりにも遠い
迫り来る無限の壁を四方にたたき
私が 何を絶叫したとしても
それが神の表情に何の変化を起し得よう
冷く腕をくんで立ってゐる神の心は
有限の白壁の中の讃美とのろひに
耳を傾けるには やはり
結局あまりにもひろすぎる

詩五【天國の午後】
午後 神は退屈してゐた
睡眠と靜かな散策と
その外は対象のない凝視とに
無限の時を送る神にも
そのやうな時があった
神の退屈した心は人間の宗教書を拾ひ上げた
しかし 五行と読まぬうちに神はそれをすてた
 これはあまりにも人間的であり過ぎる
 そして結局それは自然ではない
髪は幾何学の中に子供らしい興味を感じた
空間に円錐体や直方体を定立し
それを消しては書き書いては消していると
空間はそれぞれに不思議な歪みと型を産んだ
 これはわたしの趣味に耐へうると神はつぶやいた
 これは透明な立体感を持ってゐる
 不思議に人間臭が少い しかし人間はそれだけこの学問の価
  値を知り得ぬだらうと
やがて幾何学は神々のあひだの趣味となり
しばらくのあひだ
天國の午後の話題と発展した

詩六【哲学と詩と】
梅雨は陽炎のやうに空にかへり
彼方から新しい一つの夏が生れようとしてゐる
若い者よ 夏とともにおまへも蘇るだらう
哲学が今まで そしてこの梅雨のあひだことさらに
おまへの頭を曇らしてゐた
おまへは官能を眠らせ
文字の障壁を築きながら
その中に人生の抽象を探さうとしてゐた
何といふ当然な試みだらう
しかし忘れてはいけない
哲学がどのやうにおまへを分岐の鉱脈につれ
懐疑と分析によって無限の宝石をのぞかせようと
その選択はおまへの意志のみだらうといふことを
おまへの意志 それはどこから生れて来るのだらう
もうそれはおまへの心にかかつてゐるのではないか
さうだ
それはもう 一つの力となっておまへの胸の中にうち立てられ
 てゐる
若い者よ おまへは絶えず今のおまへにかへるだらう
恐れぬがいい そして常に叫ぶがいい
論理(ロゴス)は人間の恣意であったと

詩七【颱風の過ぎ果てし空】
颱風の過ぎ去りし時刻(とき)は
私の眠りのうちに果てた
目を開けたとき
かすかに颱風が
その尾を螺旋のやうに巻きながら
夜空を去る響が聞かれた
空間ははるか彼方に
渦のやうにどよめきをつづけてゐるのだらう
しかし
窓を開ければ私の庭園(には)には
深夜の靜寂がたれてゐた
それは 濕りを帯びどこかなまあたたかい安堵を吐息してゐた
木々は疲れた葉ををさめ 低くうなだれて朝まで短い眠りには
 いらうとしてゐた
けれども
ほど遠からぬ空にもはや朝が用意されてゐた
かなたの空のかそけき白曉が
忘れられることなき
平安な朝の口口をもの語ってゐた
白い曉を波のやうにひたひたとうちよせてゐた
木立よ
この夜
おまへ等の眠りはどのやうに短いことだらう

詩八【女は誰のものだらう】
女が
おゝ一人の女が
その夫のものだといふことが
どうしてあらう
女は夫の前に身を投げる
けれども
女はその時も
やはり夫のものではない
女が絶えず
そのあけやすい夢に
何かをあこがれてゐるのだとしたら
女は誰のものなのだらう
私は夜そのことを知った
すべての女は
孤独な未婚者のもの
未婚者は
黙したまま多くの美しい瞳をはかる
そこに失はれた處女の驚きを求める
そして己もまた驚きにうちふるへる
女がその夫のものであり得なく
   夫はこの目を知らない
そして私のものだとは
何といふ悲しむべき寓話(テール)だらうと

詩九【真夜中のホームに立つと】
真夜中のホームに立つと
私の頭は昼の炎暑を忘れ
もっとも靜かな心と清浄な耳とを意識する
瞳は数少い人達の顔を親しげに見つめる
私は今もっともよい言葉でその人達に話しかけたい
曲り階段に人が上って来てまがると 影も身体をふってまがった
男の影は物音もなく左から右へと廻る
女の影のゆるやかに細く交替する
その影の交叉に深夜が靜かに自分を語ってゐる

詩10【ある女の横顔】
私は知らなかった
人生がなぜ尊いのかを
この一時にどのやうな謎も隠されてゐないことを
少年にしてすでに信じてゐた
その時からこっそり一つの仮定が生れてゐた
その背景にそうて
時が規則正しく律動(リズム)をうつこなたに
人達は花のやうに無意味に身体をゆすぶつてゐた
懶(ものう)いポーズそしてあきあきするほどながい独白
少年の 夢が今崩れようとするとき
私は窓に腰をおろしてゐた
野は流れゆく雲の影を追ひ
光は雑草の群に金光をふりそそいでゐた
そして雲の影はながい私の夢のやうに遠のいた
若い者よ
手に持ったカルタを裏返すがよい
なぜ おまへは
その蔭に 金光に箔づけられた
女王(クヰーン)に微笑まうとしなかったのか