活字離れが加速する時代で、あいかわらず詩ばかり読んでいる。詩的精神が通じる話し相手も減り、ますます詩が手放せなくなっている。
かつて、中桐雅夫さんは「詩とは何か」の問いに、こう答えている。
〈詩についてのいろいろな定義を読みながら、詩とはそんなに定義しにくいものかと、疑問に思われた人もいるでしょう。西脇順三郎氏は、その最初の評論集『超現実主義詩論』(一九二九)の冒頭で「詩を論ずるのは神様を論ずるに等しく危険である。試論はみんなドグマである」ち書いていますが、たしかに詩についての概念は、神様の概念にように多種多様です。その西脇氏も、戦後最初の綜合的な西脇詩論とされている「現代詩の意義」(『斜塔の迷信』一九五七年収刊録)では「ポエトリの真の世界というのは、どんな形態か説明が出来ないが、仮りに玄の世界として置く……詩の中枢は玄の精神である……玄は論理が破壊された世界である……異なった二つのものが1つのものに調和されている関係が詩である。これが玄の神秘である」、老子の玄ということばをかりて説明するようになりました。「考えをかくすもの」と題する論文では「詩はある種の美という観念であると思う……私は詩にかすかなおかしみと、かすかな哀愁を求めたい……哀愁を感じさせることによって詩は快感として存在を深くさせる。それで詩は一つの宗教ともなり、哲学ともなり、人間の憂鬱を救うものであろう……その哀愁には……一つのおかしみが伴なっている」と述べ、さらに「詩情」では、芸術作品の出来不出来を判断するときには、そのなかに含まれている「何かしら神秘的な淋しさ」の程度で定めるといっています。「淋しいものは美しい、美しいものは淋しい」というわけです。しかし、自分にはにぎやかな方が好きだ、勇ましいことの方が好きだという人がいるかもしれません。それはそれで結構です。ただ、いわば人間の存在そのもののもつ淋しさのことなのです。〉(『詩の読みかた詩の作りかた』 晶文社)
中桐さんが家で倒れているのを発見されたのは1983年、アルコール依存症による肝臓障害が死因だったそうだ。
80年代は大衆消費社会から記号的消費社会に変わろうとした時代であり、この時代の社会の有り様を代表するキーワードは「おいしい生活」だった。街には笑顔をふりまく広告が溢れ、ビルのネオンがギラギラ輝き、各地で大規模なイベントが開催され、企業は消費者に1円でも多く無駄カネを使わせることに躍起であり、消費者はモノに満ち溢れる幸福を味わうために1円でも多く無駄カネを使った。
中桐さんは晩年、「詩が書けない」と友人に語っていたという。もはやこの時代、戦後詩的な「死者と共に生きる」ような感性を受け入れられる隙間は残っていなかったかもしれない。中桐さんが言葉を発しても社会に届かない苛立が、当時の詩を読めば充分に伝わってくる。
「やせた心」 中桐雅夫
老い先が短くなると気も短くなる
このごろはすぐに腹が立つようになってきた
腕時計のバンドもゆるくなってしまった
おれの心がやせた証拠かもしれない
酒がやたらにあまくなった
学問にも商売にも品がなくなってきた
昔は資本家が労働者の首をしめたが
今はめいめいが自分の首をしめている
おのれだけが正しいと思っている若者が多い
学生に色目をつかう芸者のような教授も多い
美しいイジメを作っているだけの詩人でも
二流の評論家がせっせとほめてくれる
戦いと飢えで死ぬ人間がいる間は
おれは絶対風雅の道をゆかぬ
「こわされる心」 中桐雅夫
お百姓に「米を作るな」という。減反政策違反だから、
二千ヘクタール分の稲を踏みつぶせ、という、
まるで絵描きに「絵を描くな」というようなものだ、
キャンヴァスを踏みつぶせ、というようなものだ。
円高で販路を失った衣料会社の庭では、
従業員がミシンにハンマーを振るって自己規制だ、
全国で一万二千台がこわされるという、
ミシンのほしい家庭も少なくはないだろうに。
稲を作るものが稲を踏みつぶす、
ミシンを踏むものがミシンを打ちこわす、
そんな馬鹿な、そんな悲しい話があるものか、
どんな冷たい血がこんな命令を出したのか?
みんなが物を大切にしなくなって、
みんなの心がこわされる、みんなの心がこわされる。
「卑怯者」 中桐雅夫
おれたちはみな卑怯者だ、
百円の花を眺めて百万人の飢え死を忘れる、
強い者のまえでは伏し目になり、
弱い者のまえでは肩をそびやかす。
夢の階段をおりてもおれたちは疲れる、
朝の明るい薔薇色の指をおれたちは知らない、
とるに足りない不満を拡大鏡で見て、
正義と復習を混同する。
おれたちはひとりで立っていられないから、
どんな旗でもいい、旗ざおに寄りかかり、
たくさん集まって安心しようとする、
頭が軽いので重いヘルメットをかぶる。
卑怯者は目的の毛布で良心を包むのが上手だよ、
卑怯者の影は水にも映らないよ。
確かに「おいしい生活」は愉しいと思う。しかし、僕たちが「おいしい生活」をしようとする背景には、暴力を用いるような形の搾取があったり、ものすごい環境破壊が存在している。そもそも日本の敗戦後の高度経済成長は、朝鮮戦争とベトナム戦争の特需だったはずだ。アメリカが戦争に血眼になってる隙に、アメリカ市場に日本製品を売りさばいたことだったし、特にアメリカがベトナム人を殺しまくったナパーム弾の90%は日本製品だった。要するに日本人の手は、アジア人を殺した血で真っ赤に染まっていると言ってもいいすぎではないだろう。
1986年に「おいしい生活」はバブル経済になり、1991年にバブル経済はいともたやすく弾けた。そして、不良債権を抱えたまま、1995年に阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が起き、2022年に東日本大震災と福島第一原発事故が起き、日本は「失われた30年」とも言われる長期停滞からいまだに抜け出せていない。まるで敗戦後の日本と同じだ。むしろ、希望を持てないことを考えると敗戦後の日本より悪いかもしれない。誰もが不安を抱えている。今だからこそ、中桐雅夫さんのような詩が必要だと思う。
最近、最果タヒさんの詩を読んでいる。10代の頃にインターネットで発した言葉が若者を中心に共感されて詩人になった人だ。敗戦後は荒地派を初め多くの同人サークルが生まれ、詩を通して人と人が繋がっていたように、インターネットで発した言葉で人と人が繋がるのは素晴らしいことだ。