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河島英五を聴きながら(2)

「ノウダラ峠」 河島英五

こんもりと繁った大木の 木陰に腰をおろしている
山の方から気持ちのいい 風が吹いてくる
幾頭かの馬の列が背中に荷物を背負って
鈴を鳴らしながら通り過ぎて行く
幾つもの山を越えてきた ノウダラ

ワラぶき屋根とドロ壁の家 笑い声をあげる子供たち
谷川の水を水瓶につめて 山を上って来る娘たち
太陽に照りつけられて流れる汗と土にまみれ
生きものたちに囲まれて生きてゆく人々よ
幾つもの山を越えてきた ノウダラ

何かを求めて旅に出た 僕にとっては この村が
ただの通りすがりではなく 何かを感じさせた人もいれば
何かを捨てて旅に出ることを 願う人もいるだろう
幾つもの山を越えてきた ノウダラ
幾つもの山を越えてきた ノウダラ

「ノウダラ峠」は河島英五が1980年にリリースしたアルバムの『文明 I』に収録されている。『文明Ⅰ』から『文明Ⅲ』のシリーズは、世界中を旅した際の心緒を唄ったアルバムであり、旅を通して自分の在り方を綴った記録でもある。
1980年代といえば僕は完全に落ちこぼれていた。僕の周辺に生きていた者たちもみんな落ちこぼれていた。僕たち落ちこぼれは先を競うようにインドやネパールへ「自分を探し」の旅をした。
「ノウダラ峠」はネパールのポカラからダンプスに向かうトレッキングコースの途中にある。ダンプスはトレッキングビザが必要のない手軽に行くことが出来るトレッキングコースだ。ダンプス、ノウダラは生活圏で、笑い声をあげる子供たちや山を上って来る娘たちとの出会いがある。
思えば20歳代は世界を放浪ばかりしていた。僕が中高を過ごした70年代後半は、「管理教育」や「体罰」などの抑圧的な指導が恒常化されていた時代だった。管理社会の中で強く抗がえば落ちこぼれてしまう。挫折感、劣等感を身に纏い、矮小な自分を大きく見せることが放浪することだったのかもしれない。自分を探しに〈此処ではない何処か〉にたどり着いても、其処は単なる〈場所〉でしかなく、また違う〈此処ではない何処か〉を探しに行く事の繰り返し・・・。自分が変わらなければ何も変わる事がないと気づいたのは、フリーランスとして仕事を始めた29歳の時だった。
この時間が無駄だったとは思わない。生きものたちに囲まれて生きてゆく人々たちの、人間的なものに触れる事によってやさぐれていた心を溶かしてくれた。頭で考えるよりもクタクタになるまで歩き、足で感じた思考は唯一信頼できるものだったのだ。
今は毎週にように5時間くらいモノであふれた東京の街を歩いている。
クタクタになれば景色が変わってくる。
笑い声をあげる子供たちや山を上って来る娘たちが瞼に浮かぶのだ。ウフフ・・・。

♪ 山よ河よ雲よ空よ
風よ雨よ波よ星たちよ
大いなる大地よ はるかなる海よ
時を越える ものたちよ
あなた達に囲まれて 私達は生きてゆく
たった一度きりの ささやかな人生を
くり返し くり返し ただひたすらに
くり返し くり返し 伝えられてきたもの
くり返し くり返し 伝えてゆくんだ
くり返し くり返し 心から心へ
心から心へ 心から心へ
(『文明Ⅲ』「心から心へ」より)

酒井英行 2

1987年頃のノウダラにて(撮影:酒井英行)


酒井英行 1

1987年頃のカトマンズにて(撮影:酒井英行)


酒井英行 3

1987年頃のポカラにて(撮影:酒井英行)