杉尾優衣(すぎおゆい)1973〜1988
杉尾優衣は1972年12月20日宮崎県生まれ、1988年11月18日逝去。
同級生の男子生徒と耶馬渓から投身自殺。
詩集は彼女の死後、1990年に父親によって出版された。
『南国の秋が私をさがしている 杉尾優衣詩集』杉尾優衣(花神社/1990)
『十五歳のアリア 夭折の天才詩人杉尾優衣の生涯』中原文也(日本文学館/2006)
【木がまぶしい】
私よりずっと 先に生まれた木が
蒼白て ざわざわと揺れている
私はここでやはり蒼白めて
ざわざわ揺れている
なぜ 木よ
そんなに体をくねらせる
風にふるえる
悲しくてそうしているなら
木よ
おまえは私と同じだ
私はおまえの後を歩いている
だから、だから、
わからぬ事が多すぎる
それでもこうして
おまえといっしょに揺れていれば
少しは
わかる事があるような気がする
木が揺れている
【夜】
重たい空気
光っている星の群れ
鋭く欠けた白い目
湿った土の上に手をあてると
何故か痛い
空は限りなく高い
手のとどかぬ遠くに
私に真実がある
かすかに花の香りがする
…キンモクセイが散るね…
…あの花はかわいいね…
ひとりでつぶやいて
後ろに手を組んで
あのかわいい小さな花を
ひとつひとつ残らず愛して
星空と自分の間を
行ったり来たりしてみる
どうしたらいいのか解らない時
夜を待つ
夜は何でも知っていて
すぐに教えてくれる
時々ゆれる木
鋭く欠けた白い月
いちばんいい速度で
ああ、きれいに夜が満ちる
…更けてきたからだね、夜はいいね…
…しずくの落ちそうな美しい日だね…
…いいね…いいね…
夜は動く
夜自身の鋭利な
夜の意思
大き過ぎる空をもてあまして
サラサラとゆれる草
未明の空の霧が泣いて
いとおしい風が吹く
夜の満ち欠け。夜の満ち欠け。
【永遠という時】
二人は夜の森でおちあう
幻想の川で髪を洗う
森の中で光りはじめる二人の時
果てしなく続く時を過ごす
今がすべて、今だけがすべて
明日もない、昨日もない
今とりあっている右と左の手がすべて
ささやき かわす声がすべて、
月の光もとどかなぬ 深い森は
最後の時を知っている。
夢をうばわれ
心をくだかれ
悲しいこんな打ちひしがれて
限界にきた今
燃えつきようとする時を
森は見ている
夜の空気は重たくて
哀しい味がする
二人はいつしか
森をさまよい
泉のほとりへ来る
白い月が映って
追い詰められた二人を誘う
黙りこくった泉の前で
心を確かめあう二人の背中に
刺さっている短剣。
もう何百年も昔から
ずっと二人は森の中にいる
若いままで時を超え
そしてこれからも、何百年でも何千年でもいる。
この世から別れてもなお
はなれることはなく
透き通って、木々の見える二人の体は冷たい
見つめ合う瞳の中に赤い炎が映っている。
二人の墓は、村の西と東の丘
古びた十字架の下の
そまつな死装束・金色の髪。
二人は時を超えて、
永遠という時の中に
閉じ込められている、
二人はおちあう
幻想の森の中
二人の最後の場所
永遠の場所。
【愛1】
この広い世界で
あなたと出逢えたことが
私には、優しい奇蹟です
何故出逢えたのか
それが不思議ですから
こうしてここに立って
大きな海を見ています
夏の日のなか海風ははるかむこうの
カタカナの国へたどりつくはず
足もとの貝がらは白く光って
海へ戻るのを待っている
この大きな海の上に
あなたの横顔が見えるのが
何よりも
私には胸のきしむような奇蹟です
【愛2】
人と人との出会いは
運命と運命のぶつかり合い
神がいるなら
この運命をあなたと生きよう
生命と生命との出会いは
可能性と可能性のぶつかり合い
夢を見て死んでゆけるなら
この生命を
あなたと生きよう
幸福が何なのか
愛とは何なのか
本当にわかるまで
生きられるのなら
私は輝きを放って、空に舞える——
あなたとわたしの出会いは
未知と未知とのぶつかり合い
知ることは美しいのなら
このすべてを
あなたと生きよう
【真夏の日の下】
風がそおっと通りすぎてゆく
見えないけれど
何か大切なものを抱いている
ああ、
かすかな風でさえ何か秘めている
泣くこと——戻ること
うつむくこと——がまんすること
笑うこと——身をけずること
感じること——苦しむこと
すべてを抱いて
真夏の日の下で
さまよう命のかげが見えた
【いたみ】
すべてのものにささげたことばを
とりもどせるなら
かわりにおくろう
もっとかんがえたことばを
もっとやさしいことばを
くるしいことばかりあふれて
あたたかさをなくしたことばを
どのくらいくちにだしたかを
おおきくなって
せいかつでていったいになって
いろんなつまらないことをしって
それをあたりまえにおもって
わすれてしまわないうちに
きづかなくなってしまわないうちに
すべてのものにささげたことばを
とりもどせるなら
かわりにおくろう
もっとすなおなことばを
もっとあいのこもったことばを
ひとをしあわせにする
せいじつなことばを
【孤独さということ】
夏の陽の中
まわりはすべて透明の緑
わたしの中に風が吹いて
また、季節はすぎてゆく
外も夕暮れの風を抱いて
暑い夏が去ろうとしている
わたしは一人
ここに残って
遠くの山の閉ざされた淋しさを
朝も夕べも
見つめて立っている
その後ろ姿に残していく最後の言葉
選ばなくとも
もう夏は知っている
夏の日の終わり
まわりはすべてはかない空気
わたしの中で
命が燃えて
季節は大きくすぎてゆく
【遠い真実】
真実なんて私には遠すぎる
知らない事の多さに
胸が苦しくなる
遠くからあの人が歩いてくる
早足で
しっかりした足どりで
夏の日の中をまっすぐ私の方へ
笑いながら手をふったら
もっと早足になった
それなのに
この恋は
もしかしたらうその恋かもしれない
そう思うたび
私の中で何かがくずれ落ちていく
遠すぎる
真実なんて本当は無いのかもしれない
あの人が歩いてくる
リズムに乗って
私に向かって歩いてくる
それさえも夢かと思うほど
私の中の何かは
傷つきやすく もろい
そしてその何かは
まだ若すぎる
【私はまだ何も知らずに】
私はまだ何も知らない。
この大きな世の中は、命とか人間とか、
そんな大事なものを、何も知らない。
この大きな世の中を、どう生きればいいだろう
明るい空の下で、跳ねまわっている人間と、
私の中の小さな夢も同じかもしれない。
私はまだ何も知らない。
どうしても大人の扉にたどりつけない
この複雑な世の中を、どう詩的に生きればいいのだろう
私のまわりのすべての秋に
お早うございます、お早うございます、
何でもいいから心に弾みがほしい、
大声で叫びました、お早うございます、
心をこめて、お早うございます。
【神よ】
神よ——
私は十五年生きました
そして世の人々はあなたなどいないといいます。
しかし神よ私は十五年生きました
そして何かしら楽しい思いもし——
そして何かしら苦しい思いもし——
そうです今、私は命を使って生きている。
神よ——
私は十五年生きました
そしてあなたなどいないと言いきってしまうのは
悲しい事だと思うようになりました
しかし神よ私は十五年しか生きていない
あなたが確かにこの世にいると思えることは
この若すぎる手の中には
何ひとつとしてありません。
しかし神よ——
信じる事は生きる力だと思うのです
神という形の無いものにこの心という、
やはり形のないものをもたせかける……
そうです私は十五年しか生きていないから
信じようとする事も
若く苦しい今を乗りこえる力だとも思うのです。
神よ私は苦しい今に
あなたを作り出さずにはいられない
たとえ
それがそっくり私の無意識
——もう一人の自分だった——
としても
神よ——