ゴッホが好きだ
ゴッホ展/上野の森美術館

〈ゴッホが好きだ〉――といってもゴッホの自画像と対峙すれば、「君は私の本当のことは何もわからない」と拒絶されてしまう。
浜田マハの『ゴッホのあしあと』によれば、ゴッホの遺作は「木と根の幹」ということらしい。ゴッホが最後に描きたかったのは、故郷のオランダ北部ズンデルトでテオと一緒に散歩の途中にいつも夢中で見ていた、この地方特有の自然の厳しさを耐えぬいてきた小コブだらけのまがった樹木の脈動する魂の姿を想い出していたのかもしれない。
ゴッホ展では、ゴッホの原点というべきオランダ時代作品が多く展示されている。中でも一番見たかったのは、初期の傑作の一つである「馬鈴薯を食べる人たち」だ。残念ながら今回のゴッホ展では、ゴッホ美術館所蔵の油絵ではなく、ハーグ美術館所蔵のリトグラフである。いつか必ず油絵の方も見たいと思う。
ゴッホが「馬鈴薯を食べる人たち」で表現したかったことは、テオへ送った手紙に詳しく書かれている。

「僕はランプの光のもとで馬鈴薯をたべている人たちが、いま皿に延ばしているその手で、土を握ったのだということをはっきり示そうとした。だから、この絵は《手の労働》を語っているのであり、いかに彼らが正直に自分たちの糧をかせいだかを語っているのだ。
僕はわれわれ文明化した連中とはまったく違った生活方式の印象を描きあらわしたかったのだ。だから、僕はだれもがすぐにこの絵を好きになってほめてくれるようになることを望んでいるわけでは毛頭ない。
この冬のあいだじゅう、僕はこの糸をいじって、決定的な模様を探し求めてきた。これはごわごわした粗野な感じの織りになったけれども、しかし、糸は一定の法則に従って注意深く選ばれたのだ。そして、これが真の百姓の絵であることをやがて世間は悟るようになるだろう。……僕は百姓の絵にある種の紋切型の流暢さを与えることはまちがいだと思う。もし、百姓の絵にベーコンや煙や馬鈴薯の湯気のにおいがしたら、しめたものだ。そいつは不健全じゃない。廐にこやしのにおいがしたら、しめたものだ—まさしくそれは本物の廐だ」
「馬鈴薯を食べる人たちの絵で僕が描きあらわそうとしたことを、君は読みとってくれるものと思う……。しかし、あの絵は実に暗い。たとえば、白いところにも、ほとんど白を使わなかった。ただ中間色を使った。……だから、色彩自体はかなり暗い灰色だ。しかし、絵の中では白く見えるのだ。
なぜ、僕がこういうやろ方をしたかを語ろう。ここでの主題は小さなランプに照らされた灰色の室内だ。汚れたリネンの食卓掛け、すすけた壁、女たちが畠で働くときにかぶる汚れた帽子。ランプの明かりのなかで、目を細めてみると、これらすべてが実に暗い灰色であることがわかる」

「馬鈴薯を食べる人たち」は尊敬するミレーの影響を受けた作品であり、こお絵に対する苦労と自信のほどが手紙ににじみ出ているのがわかる。
〈やはりゴッホが好きだ〉――ゴッホは耳を切り落とし、精神病院に入り、狂ってピストル自殺した狂気の画家のイメージがあるかもしれない。しかし、人間ゴッホとはオランダ時代に貧しい農民や労働者を描き続けたように、まなざしは常に弱者に向けられている。画家になる前の伝道の仕事をしていた時には、自分の持ち物をすべて貧しい者に与え、食事もとらず、眠りもせず、絶えず祈り、絶えず働いた。自殺に関しても、完治することのない病気のことを悟り、これ以上テオにお迷惑をかけたくないので、潔く見から死んだのだと思う。
『智恵子抄』の「あどけない話」で、「智恵子は東京に空が無いという/阿多多羅山の山の上に/毎日出ている青い空が/智恵子のほんとの空だという」。ゴッホの空はどこにあるのだろう。太陽を求めて自分の居場所を探し求めたゴッホの空は、ズンデルト、パリ、アルル、サンレミ、オーヴェルではなく絵の中にあるのだ。最後にテオに宛てた手紙には、「僕の絵に対して僕は命をかけ、僕の理性はそのために半ばこわれてしまった」と書いた。命をかけたゴッホの魂は今でも絵の中で生き続けている。正直に生きていれば人生は苦しいことが多い、しかし、「人生は命をかけるに値する」とゴッホは教えてくれる。だから誰もがゴッホに会いにいくのだ。