服部つや

服部つや(はっとりつや)1906〜1925
岐阜県養老町出身の薄明の詩人。大垣高等女學院在學中既に詩才を正富汪洋、生田春月両氏等に認められ、正富汪洋氏の「新進詩人」外各誌に作品を発表した。1925年6月発行「婦人グラフ」には 堂々肖像写真入りにて、四六四倍版一頁に亘り作品を紹介された。20歳の秋、1925年長逝。

『天の乳』服部つや(服部つや詩集刊 行會刊/1929) 

【忘るまい】
よしや
わすれなぐさの押し花が
醜く 色褪せてしまつても
學び舎の 丘の上に
四ツ葉のクローヴアを
尋ねる日は なくとも
それを そのまゝ
私の心が 干乾びてしまつたとは
人々よ
なんといふ悲しさだらう
人形の顔に しみが出來
首がぐらぐら 動かうとも
嘗ての日の なつかしい夢が
次第々々に 遠のかうとも
いつまでも 私の永劫に
あの頃の心を失ふまい
水晶のやうにすきとほつた
明るい心に
四ツ葉を求め
あどけない思ひに
勿忘草を秘めて
人形を愛する 心もちを
あゝ ほんとうにいつまでも

【天の乳】
ひそひそと しめやかに
それでゐて まあ
なんと喜こばしげな
春雨のうた聲だらう
大地は 靜かに扉を押して
黒々と満ち足つた微笑を投げ
木々の枝は 音もなく
冬の衣を脱ぎ捨てて
萌え出でた
靑い小さい生命よ
飽くこともない おつぱいに
瞳 輝やかせて
何といふ雄々しさで
身の成長を急ぐことか
おゝ 天地をこめての
うるはしさは やさしい
あの唄聲と共に
惠まるゝ 味よき乳をもて
華やかに匂ひわたらうもの

【病院の朝】
朝だ!
闇を離れ行く地上の
如何に嬉しき極みか?
寝苦しき夜を唯にうめきて
ひとすぢに朝を待ちつゝ
おゝ今し薄白の光りを見ぬ
夜をとほしてのみとりに
疲れきつた看護人のほゝにも
よろこびの色の仄見えて
おゝなべてのものゝよみがへる朝けよ
押しかゝつた夜の重苦しさは
明放たれた窓より去り
ひやゝけき朝の大氣は
さめきらぬ額をさする
おゝ朝よ、朝!
そはいたつきの身に
限り知られぬ戀人である

【去年の記憶】
なやましいまでの靜けさが
地上のすべてを支配してゐる今宵
蒼白い月の光に照された秋海棠の
仄かなさゆらぎの中に
私はなつかしい去年の記憶を甦へらした
つゝましいうす桃色の花びらの
いとほしく甦へつた去年の夢
あゝ 限りなき愛情は
わがこゝろにみちみつ
かたみに若き心を交しつ
胸の糸掻き鳴らすほどの幸よ
ゆかしくも夢美しう綻びし
友情の花は
涙のつゆにしとゞに濡れて
おゝ 色あせぬ むなしく
あゝ そは若き日の夢よ
返へすによしなきそのかみの日の思ひ出よ

【旅人】
歩みつかれた
旅人は
頭うなだれ
とぼとぼと
山の端近くゆきました
たつた獨りと
つぶやいて
まつげ伏せつゝ
旅人は
西のみ山に
沈みます
ひとたび逝きては
歸りこぬ
今日といふ日の
旅人を
私は靜かに
送りませう

【落葉】
林の中で
サラサラと
白銀(ぎん)のピアノが
鳴つてゐた
森の奥でも
サラサラと
黄金(きん)のピアノが
鳴つてゐた
風吹くたびに
サラサラと
誰かゞ唄を
うたつてた