谷口利男

谷口利男(たにぐちとしお)1947~1979

1947年1月30日に香川県大内町川東1254で出生した。
父は谷口忠、母は旧姓近藤文子。3つ違いの姉勝代がいた。
1953年に入学した大内町の誉水(よみず)小学校では成績は非常に優秀で、クラス委員を続けた。姉の勝代が外で遊ぶのを好んだのに対し、利男は家にこもりがちで、母親のそばで漫画本などを読んでいることが多かった。性格は几帳面で、学校の机の中は常にきとんと整頓されており、級友がそれにさわるとひどく怒ったという。
1959年に大内町立大川町中学校へ主席で入学。クラブ活動では音楽クラブに所属し、合唱を好んだ。
1962年に香川県立三本松高校へ進学したが、この時も成績は常にクラスで5番以内だった、音楽部でバリトンとして活躍するかたわら、文学にも関心を深め、文学部(サークル)にも籍を置いた。友人を家に連れてくることも多くなり、そのほとんどは文学関係の友人だった。高校3年の6月に、文学部の機関誌『くさび』に発表された、「月の明るかった夜に」と題された詩は彼の最も初期の1篇である。この頃から学生運動に共感を示し始め、民主青年同盟(民青)という日本共産党の青年組織に所属して活動するようになった。
1965年春、3つの大学を受験する。大阪市立大学、同志社大学、早稲田大学である。この内、早稲田大学は不合格だったので、大阪市立大学の法学部へ入学した。入学と同時に、社会主義学生同盟のシンパとして活動を開始する。同時の市大社学同には、後に「よど号事件」を惹起こす赤軍派の田宮高麿、連合赤軍を率いて逮捕後に獄中自殺をする森恒夫らがいて、指導的役割をはたしていた。谷口は森恒夫らの「現代詩研究会」の読書会に出入りするほど、彼等と親しく交流しながらも、終始一匹狼的立場を崩さなかったようである。大学1年時に、大学新聞会主催の懸賞文芸コンクール入選を果たす。以後、『ロジェ』『かいえ』などの同人誌に詩を発表する。
1968年10月21日、国際反戦デー集会(御堂筋)に参加し公務執行妨害で逮捕される。市大闘争は激化し卒業を保留する。
1969年4月の大阪市立大学全共闘結成と並行、法学部闘争委員会に所属する。この頃、社学同から当時上げ潮の中核派のシンパとなっていたが、会議よりもデモが好きという一匹狼的存在で、6月には法学部研究室に閉鎖をめぐり反対派と衝突、腕を負傷した。10月、「革命的日和見主義者同盟」なる、いかにも全共闘周縁部分らしいネーミングの集団による時計台占拠闘争に呼応、キャンパス周辺デモを闘った。
1970年10月21日、国際反戦デー集会(東京・日比谷野音)では赤軍に接触するが加入は果たせなかった。
1971年、全共闘は既に解体しており行動委(黒ヘル)に参加。しかし、学生共闘と名乗る民学同のテロに遭い骨折をした。
谷口にとって全共闘運動は、詩作の源泉であったといえるかもしれない。しかし、運動の退潮とともに表現の場も意欲も失い、詩はほとんど書かなくなった。
在学中から神田の書店、出版社、業界誌編集部、古書店員、新聞社員などを転々としているが卒業後も建売会社、図書信販会社(広島、名古屋、大阪勤務)、家業の縫製業手伝い、など腰が座っているとはいえない。また結婚生活は1年半で別居し、結局離婚している。こうした谷口が固執したのは、見果てぬコミューンの夢である。全共闘運動がそうであったようにコミューンこそ〈表現〉に生命を与え得る世界に違いなかった。谷口は死の直前まで、奈良の大倭紫陽花邑や三重の山岸会に強い関心を示していた。
政治と文学は本来、別物である。しかし谷口にとって両者は葛藤を孕みながらも切り離せない存在であった。谷口が政治と文学に駆り立てていったのは〈自我〉の力である。その〈自我〉はしかし純粋すぎた。あるいは幼かったともいえるかもしれない。〈自我〉は運動の昴揚期には社会や他者や秩序を撃つ武器であったが、退潮期には自分を傷つけずにはおかない危うさをもっていた。
1979年1月14日の深夜、飲酒の後、盗んだ車を猛スピードで走らせ、トラックと衝突して即死した。享年31歳。
警察の検死の結果は事故死に間違いない、という。しかし、後日のことであるが、谷口の姉の勝代はアパートに残された遺品の週刊誌『漫画ゴラク』1月18日号の中に、既にこの世にはいない父親(1976年死亡)と母親(1968年死亡)に呼びかけたとみられる「お父さん、お母さん、先だつ不幸をお許しください」という走り書きを発見した。(『蜂起には至らず』小嵐九八郎、『吉本隆明の方へ』谷口孝男より)

『攻防 谷口利男遺稿集』谷口利男(七月堂/1980)

【月の明るかった夜に】

嘗て私は 付き明かり下で つかれたように
話し合ったことがあった
ひとりがひとりを 夢の宿りに思うことは……
彼らがのちに それを恥じることとは……

それはその初まりから 滅びゆくのを
知られていたのであろう
ひとりから またひとりから離れ
それは露にぬれた戸を開けて
もと来た道を 矢のように駆けてしまった
いささかの償いも与えられず 黙って

それが果して僕のこころを変えようか?
何の大した意味もなく ふたたびは
帰らない時を思うことは……

星は空に散らばり ほのかにまたたいていた
世界には 変わらぬ雲の影が流れていた
すべてがそして 物言わぬ僕の友だった
(高校3年6月)

【たまらない明日】

ルシフェル あるいはルシファー
これは懐しい言葉だ
晩年のサタンの笑いが昇華し
男根に世界の眼たちがえぐられる日に
おれたちおののいて聞く
魚族の怒りが頂点に達するぜ
太古の崖っぷちからダイヴィングする儒者の想いが
授られるとき
はじめての夜のようにルシフェルは点滅する
患者 つまり精神の間者(スパイ)たちを水に沈めよう
かかわることが犯すことなら断絶もまた犯しだ
明日という素敵な響きの持つ欲望は
そのままで

少女の足を下からながめ取って行く
不敵な陰謀を火にかけよう
おれたちの火は 所詮
炎にしか重なることが出来ない
水底にとばりを下して
業の火がタムタムを踊る
おれたちの振るう鞭に追われる血の女
螢の尾っぽにぶら下った無我夢中の愛
何かを断言することは何かを否定すること
愛を切望するのは死に飢えているから
全ての悲劇的な礼拝者をおがみ尽くしても
けれど おれたち生きている
間隙が闘争を恋しがっている
下着のようにしばしば現れるから
並列的な雲はステキ きみの胸は素晴らしい
はぜ返った柘榴を欲しがるぼくの家鴨に
きみは餌をやろうと思わないか

【瞑想と音楽】

よく晴れた日に手摺に凭れていると
失われた潮の香がせわしげに
見知らぬドアをたたく
旅人の吐く煙はいわば海であり
いまではまるで青そのものだ
屋根の体臭を掻集めようと
蛇は必死に時間の内部に潜り込み
移動し しゃくりあげながら
空には口紅がにじみ
星々あけくれ
ひめやかなためいき
を感じてヒナ掬は春を思い
知らぬ間にさしのべられた栄光の翼を夢見る
背後からそっとしのびよるのは幻
鼻をつくジンの臭いに
胸をはずませては
一人また一人と去ってゆく
ひたすらひとりで化粧しながら
ひとりでに裏表紙をめくり
鮮かなカルテをつくる
鳶色の叫びは
一直線に柱廊にひきつけ
あとには思いがけぬ歓びがよぎっていた

【何処にいるの きみは?】

見知らぬ世界のみしらんぬ声のなかで
あたえられた愁いの極みを数えつつ
神の高貴な樹液のことを想い
はるかな野辺の夕暮れに身をこがした

苦しさが遠い空よりこぼるつららのような朝
ひそかにおまえを狙う影深いまなざし
不思議の色が散りしいて としつき
よるべない歳月が流れ 亡骸のようにやせ細った
灌木の唄がみがかれた夢の扉をたたくのだ

やがて小さな冬がくる かかわりもなく選ばれて
定められた道をうつろいゆく影とともに歩み
こんなにもはやく去らねばならない
ひととびに飛び行く者のこのしあわせ!

ふりしきる糠雨が少女の幼い肩を抱く
錘鉛の軽さを知らせるために
《あれはたまさかの憩いであったのか》と

【SOUVENIR】

あの樹木の芳醇醇な香りを掠めて去ったのは誰か
サンザシの蔭からふしあわせな眼がのぞいている
北方の夜 不機嫌に背を丸め
外套の襟を立てて足早に過ぎてゆくこころ
賢明なひとびとの横で泣き叫ぶことの憐れさ
奇妙なめぐりあわせ
街灯に照らされた無垢な魂と華奢な鶇が唱う
山茶花は落ちてもう響きも見えない
泡だつ海にのまれる蒼ざめた予感 そして夕べの静寂
きらびやかな欲望をたずさえて春の浜辺に温もりを見つけた
束の間の歓喜に酔ったおまえ
異郷の町になぜおまえは立っているのだろう
さわがしい夏の気配を背に受けて冷たい石のうえに跪く
ゆたかな言葉のような愛
どうしておまえの名を告げずにいられよう
もしも完璧な陽の光が得られるなら
もう黒い比喩にはさよならだ
いつしかたくましい季節が
ひそやかに閉じられて終焉の涙を流す
風とともに浄められ
厚い舌でうずくまる死をながめながら
薄明のなかをさすらっているおまえ
おまえの瞳はどこへ向けられているのか
麗しい忘却のときよ
眠りは小さな川のようにゆっくりと過ぎてゆく
ひともとの茨を踏みながら
古びた社のほとりにたたずんでいるのは
何という生涯のよろこびだろう
川向こうぬにはすでに虹が輝きはじめた
かすかな驟雨のあとのいじらしさ

【魂の平和】

死んだ者がまるで太陽のように青い
ぼくたちも辿ろう 鳶色をした空虚な山あいの村々を
静まりかえった路上の青銅の人の温和な眼差が注がれる
魂の真昼時
灰色の憂愁がひとりたたずまっている
柔らかにほぐれてゆく安らぎのそばで小刻みに
打ち震えているよろこび
塀のそばで驚きが生まれる
束の間の親しさ
こんな夜に羽ばたくのは人間
それも選ばれた人の

神秘がテラスのうえで舞っている ある朝
ぼくたちはお祈りを捧げた
薔薇色の光が声をあげてぼくたちを見凝めている
過ぎ去った少女たちの夏
秋めいた森にこぼれる霧のきらめき
黒い垣根のほとりを罌粟にお花が豪奢に飾りたてている
いたましい笛の声

明りがゆらゆらと思い出のように立ち昇った
ひとびとの額をよぎる柔和な微笑
部屋にまで立ちこめる麦と煙草の香り
かすかに聞かれるのは夕べ死に絶えた獣の叫び

遠くまで狩人がさすらっている
一匹の病んだ野獣の悲しみ
いともやすらかな影たちのたわむれ

【〈幻視の街〉にて】

ぼくたちが跳びのいて
触れようとしなかったがために
遠のいてしまった意識がある
黙りこくって死んで行った兵士のように
影はひとりでに
キャンパスの上に長い姿をひきずっている
哀れなぼくたちの魂よ
真っ青な旗をなびかせて
〈暗さ〉がいま見慣れた広場を歩もうとしている
はかどらない計画のあとに
記された覚え書きを捨てて街へ出よう
と思ったのだが
かすんだ世界の有様はここでも
一日の全てを支配してやまないのだ

かつて明らかだった出来事のひとつひとつに
静かな侮蔑を投げかけながら
冷ややかな情熱のことを考えていた
きゅうくつな生と死の間で
時の飾り窓にささやかなお祈りを捧げている
心弱いひとびとの群
まるで何処かに恢復するあてでもあるかのように
おまえはいつまでも
彼らの行方を見凝めてしまう
果たしておまえの眼は闇に引き裂かれた
地平の色を読みとることができるだろうか
気まぐれな六月の光りだけが
すべての笑いや悲しみをのりこえて
いたる所にとりどりのしあわせな影をつくっていた

ふと愛がぼくをよぎり
なぜかしら小刻みな嗚咽がわきおこって
止まらずにそのままきりきり流れてゆき
誰もが鮮かに死ねるためには
何食わぬ顔でいつもの地平を歩まねばならない
そして何よりも
失われた日々のことを教えてはならない
まるで鳥肌のように苦しげな思いが
慌しくひとびとの間をくぐり抜け
たちまちいっぽんの刃と化してしまう
おまえの心は今日にいたるまでも
安らぎを感じようとはしないのか
過ぎ去った隊列のむこうから
ゆっくりと姿を現わす非人間的な明日
朝はもうきびしさとやさしさを照らしだし
すでに習わしとなった〈孤立〉の上には
死に絶えた者のあえぎが重ねられ
けんめいに束の間の平和をむさぼっている