廣津里香(ひろつりか)1938〜1967
東京渋谷に、のち明治大学教授(機械工学)で詩人の廣津萬里(1908-93、別名大川一帆)と松枝夫妻の子として生まれる。
1956年、金沢大学附属高等学校卒
1957年、津田塾大学中退
1962年、東京大学教育学部社会教育科卒業
1965年、早稲田大学大学院英文学修士課程終了
1967年、12月12日、油絵製作中にシンナー慢性中毒による悪性貧血のため死亡。
〈画集〉
『黒いミサ』広津里香(思潮社/1977)
『不在証明』広津里香(思潮社/1980)
〈詩集〉
『量られた太陽 広津里香詩集』広津里香(ポエットリー出版部/1970)
『広津里香詩集』広津里香(思潮社/1972)
『白壁の花』広津里香(思潮社/1979)
『蝶の町』広津里香(沖積舎/1987)
〈日記類〉
『死が美しいなんてだれが言った 思索する女子学生の遺書』広津里香(光文社カッパブックス/1977)
『生への手記』広津里香(思潮社/1983)
『不可能な儀式 生への手記第2冊』広津里香(思潮社/1984)
『私は優雅な反逆者 生への手記 Note de vivi』広津里香(創樹社/1989)
『蝶への変身 生の手記』広津里香(創樹社/1990)
『白茶の土 小説集』広津里香(創樹社/1991)
【鏡のむこうの少女】
鏡のむこうの少女
誰の理解も届かない
時に太陽がピンクに染める肌
一瞬生きて微笑む目
しかし彼女の理解も届かない
過去と未来から隔離されて
鏡のむこうの少女
透きとおり 透きとおり
ガラスが彼女を閉じこめる
優しい手を受けながら
優しい理解を拒絶する
期待と苦悩から隔離されて
鏡のむこうの少女
誰の理解も届かない
【そうなの】
花が咲いてるよ——“そうね”
外は青空だよ
太陽は照っている——“そうね”
此の世は美しく
生きる価値がある
そうじゃないか?——“そうなの?”
【疑問】
僕は生きているのが楽しい——どうして?
きれいな女の人が一杯いるから——“それが何の関係があって?”
働いて赤い車買って乗せるんだ—“それで”
それでって それだけ
君って変ってるね
私が生きたいわ——“何をするの?”
男の子に逢って結婚するのよ——“それで”
それでってそれだけ
貴女って 変った人ね
【消せないアデュユー】
消せないアデュユー
心で言ったアデュユー
肉体は甦えっても
心は死んでる
私はタンタロス
目の前に死があるのに
手をのばすと消えてしまう
いつ死ねるの?
【死神】
私の友達
のう貴方なんか救世主じゃない
裏切者の滑稽な友達
貴方と私
一緒になって 敗北した
頼みがいのない友達
貴方と私
これからくっついて一緒になって
生きていく
【私の人形】
私の人形 木彫りの黒人人形
笑わないの、生きてないから
泣かないの、生きてないから
でも 彼女は存在してる、どこか他の国に
私はバンビ、ぬいぐるみの子鹿
走らないの、生きてないから
跳びはねないの、生きてないから
でもバンビは存在してる、どこか他の国に
私の部屋 あるのはぬけがらだけ
バンビとお人形、他の国に生きている
私だけ どこにも生きていないのは
【私の不可知論】
(あらゆる数を否定する変数=存在するや否や?)
“反抗するのだ!”
“何に? 反抗する価値のあるものなんか何もない”
“反抗するのだ!”
“なぜ?”
“反抗するのだ、お前自身に価値があるなら”
“平行に立ってても価値は変わらない”
“存在してるわ”
“静止した像は《視覚的に存在する》だけだそれでは存在しないよ”
“私に壊せるものがあって?”
“自分を維持するためさ、順応したらお前は死ぬのだ”
【優しい矢】
黄金の矢は優しい
キューピットの矢だもの
鉛の矢も優しい
解放の矢だもの
【夜の森】
夜の森 喪失を知らぬ
悪魔のお気に入り
《私は何も持っていない夕日の他は
他の人の目は焼きつくす
私だけの赤い夕日
そのなかの影
いびつな形
こうもりの羽
デモンの音楽——》
夜の森は生きている
《梟の夢——それは昼間見るもの
梟が飲むには今日一人の男が
私のために流した涙
明日、彼は狼の餌食——》
夜の森は貧欲
生きるために餌を求める
昼の夢のために餌を貧る
【アジアの17才】
アジアの片隅で十七才になっても
何の意味もありはせぬ
重っ苦しい一日がまた増してくだけのこと
アジアの過去は拷問、抑圧された人間の歴史
毎日は絞首台への階段
アジアが水を欲すると
必ずどこかで血が流される
血の海に首を紐でくくられ
アジアの赤子は泣き叫ぶ
人間のいない地球の表面
手か足かせ獣の責め道具は揃っている
いずれ息の絶えるその日まで
首に紐を つけて十七才
紐はだんだんしまってくる
十七才——アジアでは死んでることに気づく年
アジアの片隅で女になっても
何の意味もありはせぬ
女までを閉じ込める数千年にくりこまれるだけのこと
一人の女は西洋の夢、アジアの断末魔
誕生は死刑の宣告
アジアは生を死にかえ続け
かえ続け、とうとう生を根絶した
孔子も釈迦も女性の牢獄作りはうまかった
湿った アジアの息
一吹き一吹き男たちを腐らせた
心に鉄輪くっつけて
アジアの獣はむち跡だらけ
地獄で息かなおできるとは、アジアの教え
十七才——アジアでは人間の生の呪いに
気づく年
【対話】
“ばかなことを考えているんじゃない
生きなさい”
“甘えっ子のくせに
自殺のまねごと
一体何を考えてるんだ!”
“貴方はだあれ!”
“どうなんだ、
呼吸してるのにも気がつかないのか?”
“だからいやなのよ!”
“そう言えるのも息をしているからさ”
“だからいやなのよ!”
“いずれは息をしなくていいようにしてやるよ”
“きっと私が生きたい時に”
“そんなこと考えているのか
このひねくれ娘”
“そんなこと考えているのよ
このひねくれ神様!”
【赤いバラ】
無邪気な中学生から神様が抜き出した
あの女の子、えくぼを店て笑ってる子
一つわしの実験に使ってやろう
人間どもが知らないでいる
いろんなもの、本当の意味を教えてやろう
神様の思いがかなって十三才の女の子は目をあけた
赤いバラを胸のつけて
ピンク色の頬をして
川を泳ぎまわってた子
夏は奪われた
仕様がない、とりもどせやしないんだもの
そして神様は代りにくれた
女の肉体
男達を喜ばせる為に
黒い蝶
女の子の頭に神様がいれた
羽ばたいて羽ばたいて
悪魔が嬉しい
神様は根っこを引き抜いて女の子を先づ宙に浮かして
同国人の男を愛せないように仕向け
それから六年
十九才もう……神様の実験は完成した
女の子は神様のいたずらが嫌い
悪魔が選んだ
私には選ぶ権利があるんだわ
黒い蝶は素敵
強いだものそれが羽ばたくと
醜いものは消える
青い手がはいって来て
心をつかみ血を吸いとった
乾いた心は悪魔の心と同じ
夕日は青い手を歓迎する
——私の心の血は夕日に吸いとられた——
蝶々は頭の中で舞って
女の子は悪魔の心に酔った
ピンク色の皮膚
酔うことだけが生の証明
二十二才でもう終った、神様の実験は
——死んだ私、美しい——
赤いバラは乾いて死んだ
【昨日砂のお城がくずれたの】
昨日砂のお城がくずれたの
今日も何かがくずれるわ
砂粒一杯手に持って
私は太陽みつめてる
貴女はなぜ照ってるの
昨日砂のお城がくずれたわ
貴女は何を照らしているの
トロイの勇士たち
砂地の上で戦って
砂地の上で死んでいった
死体は砂粒握ってた
エーゲ海の青波も
砂も一杯運んだだけ
私は切符を取り換えた
この砂粒と取り換えた
砂粒は指の間から
どんどんどん滑ってく
生きてる人は持たないものなの
手は決して
持たないものなの
クレオパトラのお城が
欲しくて
私は砂で壁こしらえた
でも記憶は一人でに
動き出したの
砂であった時代
光で満ちてたその時代に
私と砂を運んで行った
この砂粒は
私を明日に運ばない
砂粒一杯手に持って
私は太陽をみつめてる
昨日砂のお城がくずれたの
死んだ目だけは
太陽を剥げる
もう爪ははえないわ
昨日砂の城がくすれたの