2022年も僕の日常はモノクロームだった。観納めに「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」へ行った。3回めの観覧は、ピカソの怒りの感情を落とし込みたくないので、クレーの展示コーナーへ直行した。少しだけ日常にカラフルな彩りを描けた想いだ。
この展覧会はピカソの絵画がメインだが、クレーの絵画が34点(1917年~1939年制作)も展示されている。
クレーの「R荘」に一目惚れしたのは、子どものころに見た一冊の画集だった・・・。
1920年前後の風景や建物の絵にクレーの傑作が多く、今回の展覧会でも1917年の「青の風景」や1922年の「小さな城 黄・赤・茶色」などが見ることができた。
この時代は、第一次世界大戦終結から第二次世界大戦勃発までの戦間期であり、第一次大戦は終結したものの敗戦国の経済は混乱し、戦勝国も戦争で受けた打撃から立ち直れずにいた。小さな戦争や軍事介入が頻発し、特に敗戦国で革命勢力と反革命勢力の激しい戦争が続いた時代であり、1933年にドイツでヒトラーが政権を握った事を考えると、ヨーロッパを泥沼の戦争に引きずり込む前の火種がくすぶる時代だったということになる。
戦争という不条理のためか絵画、文学、写真などの芸術家たちは、既存の価値観を否定し、それまでの西欧の芸術様式に逆らったキュビズムやダダ・シュルレアリスムなどの前衛芸術が開花した時代でもある。
ピカソは暴力に対する激しい憤りと反戦の意志だを明確にしたが、クレーは戦争をテーマにした作品を制作したものの、戦争に背をむけ純粋に創作に没頭したことを考えると、音楽の才能も豊かだったクレーという芸術家は神道者のようでもある。
晩年のクレーは戦争により美術学校の教授職を罷免され、進行性皮膚硬化症という生命を脅かす病の発病し、苦しい環境のなかで最後に描き続けたのが天使の絵だった。生と死の狭間にあったクレーが、自分自身と向き合うことによって現れたのが天使だったのかもしれない。天使と一緒に生きることにより、一番奥深いところに眠っている自己が怒りや悲しみを融かしてくれて、自分自身がやらなければならないことを理解したのだと思う。しかし、誰も前にも天使が現れるわけではない。ものごとの本質を感じ取る芸術的な感性を持っているかどうかが大事なのだと思う。
展覧会のクレーの風景がコロナ禍で今回も帰省を断念した僕の荒んだ怒りを静かに融かしてくれた。絵の具を一筆一筆重ねて美しい絵画が生まれるように、音符を一音一音並べて美しい音楽が生まれるように、小さな感動を数多く体験することで、僕のなかの天使が微笑んでくれる。日常に塗り残りがないように綺麗に描いていきたい。