長谷江児

長谷江児(はせこうじ)1907〜1932
高知県高岡郡生まれ。本名寅松。一時大阪に出て百貨店などに勤務。ほどなく帰郷し地元での青年団活動のかたわら詩作に励む。当時盛んだった左翼運動や文学活動にもかかわるが、生来の激情的な性格の上に飲酒を好み周囲に背いて孤高を保ちながら好んで虚無的でロマンチックな詩を書いた。同人誌「椰子」「筆草」などに作品を発表。1932年 失恋と思想的行き詰まりから服毒自殺。

『虚無とロマン 長谷江児詩集』長谷江児(鏡草詩社/1933)

【ヴァガボンド】
世界のどこにも故郷をもたぬ。
僕には世界が故郷である。
ああ 故郷とは
生活と思想の安住する墓場である。

【透明な感傷】
薄い肩を抑える冷たい触手がある
貧血した心に想いをしいるわびしい瞳がある
秋の夜空を歩むことに
このニヒルは床しい危険を感ずるのだ。

【砂塔を積む】
河と空との涯を駈ける
怠惰な日の青ずいたねがい
レン レンと 海魔の息吹に胸をなびかせ
浜えんどうの花が可憐な白昼の夢をむつぶ処
ああ
私は専念に今日も崩るる砂塔を積んでいる。

【夜を生きる】
深くも考うる夜である。
深くも考うることのすきな僕である。
雑念を喜戯する者は近寄るな。
青白い空間の凝視を愛せざる方よ去れ。
     *
馬鹿となり、馬鹿と徹せよ。
サトリとなる。
だから僕は夜のハンガーを生きるのだ。

【秋】  ―蒼空と烏―
冷々とかがやける一筋の蒼空。
透明な興奮にいたむ快■(かいきょう)。
秋ははろるかな窮極にやどる。
追っても、追っても、追いつめることの出来ぬ。
ああ このイデアの白さ。
所詮
寂寥を空に撒く、われは
一羽の烏となるであろう。

【八月の詩】
     空
青い、青い、酸素の海
心臓のこおった月が白っぽく浮いている。
     山
海抜三千米
八月の意志は太陽への反逆である。
     街頭
平面化した四季の異彩
不景気とはこうも惨めなものか。
     海原
情熱をたかない詩人
誰がこのりょうりょうたる思想を否定しようぞ。

【虚無】
生きるとは何であるか。
意慾とは満腹でもあるのか。
明暗の裏に不断に使嗾する日輪はある。
だが、呼吸だけが凡てだったら
人生に絵具は捨てよう。
斯くて分時を惜しいとは思わぬ。
俺には墓場への準備もない。
「秋」

【河鏡】
穂芒が乱れ
茜の雲が散ってゆく
風は蒼々とたそがれを駈けり―
河岸
流転する青畳の表に刻まれた秋模様

【秋と私】
秋は
私を抽象的なニヒリストにする。
空虚な二十世紀の倦怠よ
私はすばらしい明日を欲求する。
秋は
私をペシミズムの詩人にする。
蒼い骸骨の様な想念よ
私は陰鬱な墓場の歌をうたう。

【孤独】
たった一人であることは
こんなにも快いものか
なにもかも洗い流して
れい れいと 秋空のあかるさ。
たった一人であることは
こんなにも侘しいものか
あれやこれやの懐想に深む
りょう りょうと 秋空のくまなさ。

【冷朗ないたみ】
秋空はオレの血を吸う。
日毎
オレの肉体が削られてゆく。
だが オレは
心臓のほそってゆく快感を悲しいとは思わない。
さわ、さわと
秋空はオレの憂鬱を流してくれる。

【わくらば】
わくらばはかなし
秋をくずるる
私の肉体のさだめか。
カサ カサと
かわいたおとずれと黄色いあきらめにねむる
わくらばの骸を
ああ 私は決して
私であるとは思いたくない。

【秋を蹴った男】
秋風がのぞみを浚ったので
男は虚空を泳いでいる。
腕をくんだまま、男は、だが
動けない自分を不思議に思わない。
     *
瞳をついばむ感傷的な色彩が
冷淡に秋を訣別する頃
非組織な叙情に浸ることをやめて
男は真面目に生活を考えるのである。
「五月の栞」

【五月の栞】
かおる風。
きらめく若葉。
躍動する想念。
女の体臭に―
健康なあけくれ。

【憂鬱のない街】
白い街。
新緑の中の高い天主をみたか
人々は
青い空をたべている。

【ヒヤク】
山は若人の感覚に躍り
そこには樹々の清冷な思想が燃えていた。
雨上がりのあした―
僕は
碧空をけたてて泳ぐ自分をみた。

【田園の秘密】
泥濘にまみれて立つ肥大な脚線
誰か、純情のとぼる焔のないと云うか。
蛙の交接にも昇騰する乙女の青春はある。
田園の真昼の美しい秘密。

【情交】
月夜の海原は凄滄な情慾に濡れていた。
打算のない愛に強烈な本能の杯をかかげた男と女であった。
翌日―
軽快な胸を張って女は其処に思い出を散歩した。
陽光のサンサンと降る五月―
去勢した瞳をあげて男は夕の女を愛執する。