宮野尾文平(みやのおぶんぺい)1923〜1945
長野県に生れる。1942年、京都の旧姓三高(現京都大学)の文芸部に入部。機関紙「嶽水」に詩作品『錯覚』その他3篇を投稿。当時の「嶽水」編集者の平井啓之氏に感銘を与え、氏に’…いかなる先人のものでもない、作者一個の個性というより外はない独特の感受性の質があらわれていることを、私は一読して直感した’と書かしめている。同年8月の軍部による高等学校卒業年限繰り上げ措置により平井啓之が卒業。編集を宮野尾が引き継ぎ文芸部のキャプテンとなる。1943年2月刊行の「嶽水」に『20
歳の冬』他3篇の詩と小説『時期』を発表。同年9月に「学生の徴兵猶予停止」が発令され、12月の学徒出陣で長野の歩兵連隊に入隊。その後1944年秋から年末まで水戸航空通信学校で訓練を受け、教育期間の終了を経て九州大刀洗飛行基地に配属される。1945年3月末~4月初め、「米機の空襲下に爆撃機を退避させようとして行動中、直撃弾を食って、地上にありながらその肉体は虚空に吹きとび、おそらく一片の遺骨もかえらなかったのではないか」という。
『わだつみの詩 従軍詩集・浩平詩集・星一つ』田辺利宏, 池田浩平, 宮野尾文平(日本図書センター/1992)
【錯覚】
背光る とかげ
蒼苔の 石の高垣に
はらばふ 白昼(まひる)の
かなしい 幻影
あはれ 冷たき
愛撫にてもあるか
さらぬ日の さらぬ願ひ
夢とのみにあらず
さ云へ
銀青の とかげはふ日は
日蔭濃く
こころ忘れた網膜に
こころ忘れた心象が
【思慕】
膚(はだ)遠き
想ひひそめつ
山椿
うすかげに眠る
ほのかなる
思慕の中に
これは
ゆれる花片か
一つ一つの濡れた感触
やがて落つ
心は知らず
只今といふ日
そこにある
息吹のかそけさ
【今宵】
今宵
遠き街の灯
閃く
電車のスパークは
夜空にとび散る
あの青い感傷
流れては
それも白けた残滓に
ふとめざめて
おろかしと云ひぬ
【20歳の冬】
広い野つ原で
枯木が泪を忘れてゐた
――無愛想で
このぎくしやくな道に
石ころが並んでゐるよ
梢の先にちいさな空が
空に佇む灰色の女たち
低い山脈(なみ)は鐘の音も聞える
――イメーヂの群が
人目に立たずに死んでゐる
行きくれたにほひは残つて
風もない
子供つぽい日であつた野つ原
薄い人影の此方で
いつかのやうに
犬がないてゐる
【秋】
こゝ別れ路なる御影石
と絶えたる想念(おもひ)はかへる
そのほの白きたゝづまひ
垣々に風はわたりぬ
風よ
かの跡を追はむや
新しき落葉を踏みて去りしをみな
二つ 三つ
どんぐりの実の落ちころがりて
昔来て呼ぶ そのあたり
ひそやかに
こゝろ棄てし
――やさしさよ
打ちふるふ葉脈 童子(わらべ)のあぎと
あをき あをき 流れ 秋なり
【衷心の日】
――鋭い光線だ
背中だけを灼いて
風はどこでも旋つてゐる
――言葉を失くした蒼い瞳(め)だ
焼け落ちるお城が見える
母か 雲か
悼みはしない
この旅のひとごころ
滅落の同じ日数をふんで
――すがりつくものは嫌になつた
【遠日】
――前だけを見てゐたんです
色彩は風に吹かれてみんな捨てた
無色の風景に
電信柱が一本立つてゐる
あの頃は
まだ廃家(くずれや)も美しかつた
あれから毎日歩いて来た
――随分と遠い道
蒼空がまるい
向日葵がまはる
約束はもう駄目になつた
肩に重たい同じ言葉が
――遠い道なんだきつと
今ははや
廃屋の柱も傾き
いつか
おぼつかない足もとになつた
けふ日も過ぎれば
石廊はうつろに響く
ほろほろと
ろんろんと
階段をもう下りてしまつた――
【衷心を痛んで】
丘の下の海が
黒い、不潔な波で
この岸を洗つてゐる
足もとから
吹きすさぶ風に
頬が痛い
手が
一生懸命
草につかまつて
――あゝ
我の我儘は
このまゝ
犬になつちまふ
それよ
精一杯の
はつたりで
私は
こゝに立つてゐると言ふに
風が
こんなに強く吹くと
山の端で
太陽までが
真赤なんだ
まるで
空が切れるやうだ
高い雲――
私の伸びた首から
眼がとび出すよ
黒い海の
白い帆だね
【遠視】
放浪はいためつけられ
生れ出る風景はをののいた
――唯徒労の季節の中で
首(かうべ)の回(めぐら)すゆくては
鈍(にび)色の光が貫く
過ぎ去つた「時」の視野
きのふ
この童顔に涙ながした
心親しい裏切りよ
幸福は
めくるめきの一瞬に
眼(まなこ)離れた
女の素足か
―白
透き徹る香気の翳
耐へもせず
花開く北の方
立ちつくす木立と人と
新しき懈怠に沈む
いま
唖のやうなメルヘエンの
稚子がいつくしんだ
たそがれ――
膝組めば
果知らぬ
山の辺の薄明に
聖母の乳房が
おゝ
遠のいてゆく
幻のふりじや
【昔はものを】
雨や 雪や 霰や
そんなものばかりが毎日のやうに降る国に来て
泥土に汚れる白い靴下を毎日洗つて
青空が
青空が と思つてゐる中に
段々他の事を忘れて 願はなくなつて
ふと 昔はものを……
そんな句が浮ぶと
昔はものを……昔はものを……と
意味もなく繰返し 呟き 腸(はらわた)の中で
ああ
雨や 雪や 霰や
そんなものばかりが毎日の様に降る国に来て
泥土に汚れる白い靴下を毎日洗つて――
【星一つ Ⅶ】
死ぬつてことが重荷になるなんて
今夜に限つて
こりや一体どうしたことだ
重荷と云ふんじやなくつて
何と云ふか
とつても嫌らしいんだ
それとも
そんなことばつかり考えてゐたことが
全く愚かしいやら しをらしいやら
そうぢやなく
そうぢやなくつて嫌らしいんだ
ぐうつと背筋の方から這ひのぼつてくる悪感を
これは少しもて余し気味だ
俺は今ではかへつて一途な程信じてゐる
俺の知つてゐる限りの人は また限りなく好もしい心を与えてくれる
昔の誰かれの顔が ほんとに美しく俺を迎へてくれる
この間は胸苦しい迄やさしく母を見送つた
遠い知つた人々からは
いづれもほのぼのと懐かしい便りも貰つた
今朝 洗面所のあたり
梅もどきが ま新しい色艶で立つてゐた
俺はその時 媚びてゐるな とそんな風に思つた
戦友が その梅もどきの歌を詠んだ
それを見せて貰つて それから
俺は友人に久し振りで便りを出した
俺は今 何があつても何をしても それで充分の様な気がした
そして それを俺は満足げに承諾した
梅もどきと うめもどきと 快い語呂をもてあそびながら
死ぬつてことが
いや 今夜に限つて
こりや 一体どうしたことだ
【星一つ Ⅷ】
これやこの
ものぐさ
頬を
つねつてみれば
切ない
いろんな
ものがある
錆びた
シヤベルの
冷つこさ
とんがり帽子の
秋の空
錆びた
シヤベルは
何処から来たか
とんがり帽子を
かぶつたは
何処のどのよな
人だつたか
もとより
知れよう筈はない
知れた所で
どうして
俺に
それが
なんだと
云へようか
云ひたければ
云ふがよい
ものぐさ
長い年月は
色あせ
ものぐさ
この頬は
つねつてみるが
これでも
二十才と云ふ間
なんとはなしに
生きてきた
心の塵も古びたが
明かさにやならぬ
ものもない
唯生きてきた
その間
この頬つぺたの
触つてきたは
どこの気まぐれ
奴つこだろ
秋の空に
かぶつたは
とんがり帽子で
あつたろに
何が哀しい
この世に生きて
何が切ない
とんがり帽子
さて
それぢや
俺は一体
今何を
云つたらよいのか
さて
それぢや
錆びたシヤベルは
冷つこい
シヤベルは
どうして
錆びたのか
錆びれば
どうして
冷たいか
冷い錆びた
肌ざはり
そんなこんなも
みなこの頬が
吸つてみてきた
娑婆の色
空気は湿れば
重つたい
人の温みや
心のさわぎ
お天気よい日は
笑つたり
雪の降る夜は
寒さうな
気まぐれ
我儘一杯の
これよ
この頬
しづかに
さすりや
何か
頬つぺた
云ひたいか
ことさら
明かす
ものもない
とんがり帽子に
赤シヤベル
生れてからの
年月は
少々芥や埃など――