山之口貘(やまのくちばく)1903〜1963
1903年9月11日 沖縄県那覇区東町大門前に生る。本名山口重三郎。父、重珍、母、カマトの三男として生まれる。童名は、さんるー。
1910年 那覇甲辰小学校入学。長兄重慶に絵の指導を受ける。
1916年 甲辰小学校6年修了。沖縄県立第一中学校入試失敗。那覇尋常高等小学校高等科入学。
1917年 沖縄県立第一中学校に入学。2年の頃図画教師樋渡留太郎の指導にもと同好の生徒と作画に熱をあげ二葉会、フロレンス協会などに作品を出品する。3年に進級した頃、失恋などでなやみ鉛筆のかたわらに詩作にはいる。ウォルト・ホイットマン、島崎藤村、室生犀星の詩を読んだ。また大杉栄の影響を受けた。
1920年 学校では標準語を用いる様に指導されたが反発してわざと琉球語を用いた。沖縄朝日新聞、沖縄タイムス、琉球新報に詩を発表していたが、たまたま琉球新報に掲載された抗議詩「石炭」が学校で問題になる。父が事業に失敗し自宅も売却されて、家族は離散。失恋の痛み等が原因して中学4年で中退する。
1922年 秋に上京して日本美術学校に入学。1か月後に退学。
1923年 東京の生活は厳しく学費や生活費に窮しているところに9月1日に関東大震災にあい友人湖城(某)と九段の尚家(旧琉球藩士)に逃げ込む。後罹災者恩典で帰郷。山城正忠(明星派歌人)主唱の琉球歌人聯盟に上里春生らと幹事となる。山中一の提案で泊汐渡橋近くに民家を借りて洗濯部を置き、そこに起居す。この頃地方に在る歌人とも交遊する一方、美術団体である丹青協会や二葉会に静物や自画像などリアルな作品を出品。
1924年 詩稿を抱いて2度目の上京したが関東大震災で焼野ケ原になっていた東京には職もなく、間もなく帰郷。沖縄本島の親戚や友人間、また一時父母のいう八重山を転々とする。
1927年 3度目の上京。詩人赤松月船やサトウ・ハチロウ等を知る。しかし定職得られず放浪生活にはいる。書籍問屋の荷造人、暖房屋、お灸屋、隅田川のダルマ船の鉄屑運搬助手、ニキビ・ソバカス薬の通信販売や汲取屋などさまざまな職業に就きながら、寄る辺ない貧乏生活の中で詩を書き続ける。その頃より山之口獏の名を用いる。佐藤春夫に才能と人柄を愛されて、しばしば生活の支援をうける。佐藤から高橋新吉を紹介される。1929年から東京鍼灸医学研究所の事務員になる。1930年に知人宅に住まわせて貰う。
1931年 佐藤春夫の紹介で初めて雑誌『改造』に「夢の後」「発声」を発表、以後『文藝』『中央公論』『新潮』『むらさき』『人間』『文芸春秋』その他に発表の機会を持つ。
1932年 金子光晴を南千住の泡盛屋国吉眞善の店で知り親交を結ぶ。
1933年 貘をモデルとした佐藤春夫の小説『放浪三昧』が脱稿される。1936年に鍼灸医学研究所を辞職。半年ほど隅田川のダルマ船に乗る。
1937年 金子光晴夫妻の仲人で茨城県結城郡の小学校校長の娘安田静江と結婚。万端仲人の世話になり新宿弁天町のアパートに新生活をはじめる。
1938年 第一詩集『思弁の苑』を厳松堂むらさき出版部より刊行。佐藤春夫、金子光晴が序文を付する。
1939年 東京府職業紹介所に勤める。
1941年 6月、長男重也出生。同年7月重也死亡。
1944年 3月、長女出生「泉」と命名する。同年12月、妻静江の実家茨城へ疎開。1948(昭和23)年3月に紹介所を辞職し以降は執筆活動に専念。同年に火野葦平と知り合う。
1958年 『定本山之口貘詩集』あ原書房より刊行。同年11年、34ぶりに故郷へ旅立つ。滞在中「僕の半世記」を沖縄タイムス紙上に10日にわたり連載する。母校をふり出しに各高校に乞われて講演行脚する。
1959年 『定本山之口貘詩集』で第2回高村光太郎賞を受賞。1959年1月6日に東京の自宅に帰る。
1963年 3月14日に胃も変調を覚え東京新宿区大同病院に入院。4ヵ月の闘病生活の末同病院にて同年7月16日に59歳で永眠。直前沖縄タイムス文化賞を受賞する。
1964年 『鮪に鰯』を原書房より刊行。
1975年 1月28日、山之口獏詩碑建立期成会発足、募金運動スタート。7月23日、那覇市与儀公園に建立、その除幕式。9月6日、山之口獏詩碑建立期成会解散総会。山之口獏記念会発足。
『思弁の苑』山之口貘(巌松堂書店むらさき出版部/1938)
『山之口貘詩集』山之口貘(山雅房/1944)
『定本山之口貘詩集』山之口貘(原書房/1958)
『鮪に鰯』山之口貘(原書房/1964)
『山之口貘全集(全4巻)』山之口貘(思潮社/1975)
【座布団】
土の上には床がある
床の上には畳がある
畳の上にあるのが座蒲団でその上にあるのが楽といふ
楽の上にはなんにもないのであらうか
どうぞおしきなさいとすゝめられて
楽に坐ったさびしさよ
土の世界をはるかにみおろしてゐるやうに
住み馴れぬ世界がさびしいよ
【生活の柄】
歩き疲れては
夜空と陸との隙間にもぐり込んで寝たのである
草に埋もれて寝たのである
ところ構わず寝たのである
寝たのであるが
ねむれたのでもあったのか!
このごろはねむれない
陸を敷いてはねむれない
夜空の下ではねむれない
揺り起されてはねむれない
この生活の柄が夏むきなのか!
寝たかとおもうと冷気にからかわれて
秋は 浮浪人のままではねむれない
【鮪に鰯】
鮪の刺身を食いたくなったと
人間みたいなことを女房が言った
言われてみるとついぼくも人間めいて
鮪の刺身を夢みかけるのだが
死んでもよければ勝手に食えと
ぼくは腹立ちまぎれに言ったのだ
女房はぷいと横をむいてしまったのだが
亭主も女房も互に鮪なのであって
地球の上はみんな鮪なのだ
鮪は原爆を憎み
水爆にはまた脅かされて
腹立ちまぎれに現代を生きているのだ
ある日ぼくは食膳をのぞいて
ビキニの灰をかぶっていると言った
女房は箸を逆さに持ちかえると
焦げた鰯のその頭をこづいて
火鉢の灰だとつぶやいたのだ