南条あや(なんじょう あや)1980〜1999
3歳の頃に両親が離婚、母親は名古屋で再婚し、一度母親に引き取られ義父らと暮すが、折り合いの悪さもあって後にイタリアンレストランを経営する父親・鈴木健司に引き取られ、都内のアパートで父子二人だけの環境で育つ。小学校を卒業するまでにいじめと不登校を経験。小学校時代の同級生からのいじめから逃れるために、地元の中学校へは行かず、私立中学校に進学したが、そこでもいじめを受けた。やがて中学1年生の頃からはリストカットをするようになり、晩年まで慢性化していた。高校3年生の時に大学附属病院精神科の閉鎖病棟へ1998年7月27日から1998年10月2日まで入院する。南条は自身の学校の制服を非常に気に入っており大切にしていた。自身のホームページでもそのセーラー服姿を公開している。
『卒業式まで死にません』南条あや(新潮社/2004)
【名前なんかいらない】
起きなくてはいけない時間に起きて
しなくてはならない仕事をして
名前を呼ばれるなら
誰にも名前を呼ばれたくない
何もかもを放棄したい
そして私は永遠に眠るために今
沢山の薬を飲んで
サヨウナラをするのです
誰も私の名前を呼ぶことがなくなることが
私の最後の望み
【終止符】
私はいつでも追いかけられている
この世の中の喧噪とか
義務なんてチンケなものじゃなくて
自分自身に
誰も助けてくれない
助けられない
私の現在は錯乱している
きっと未来も
ならば
終止符をうとう
解放という名の終止符を