カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの〈夕日の前に立つ女性〉
自然と人のダイアローグ展

 国立西洋美術館リニューアルオープン記念「自然と人のダイアローグ展」で、ドイツ・ロマン主義を代表するカスパー・ダーヴィト・フリードリヒの〈夕日の前に立つ女性〉 を観れたのは幸せな事だった。
 〈夕日の前に立つ女性〉 は、この展覧会の象徴的な作品の一つでもある。そこには自然の風景に置きかえられた宗教的な感情や信仰、そして描かれた樫の木や人物の古風な装いにドイツへの愛国的な思いも読み取られてきた。天と地の間で、空を覆う光に向かって手を広げる女性の姿には、現実としての単なる風景というよりは、自然の力に対して人間が抱く普遍的な感動や憧憬が見てとれる。

〈夕日の前に立つ女性〉 油彩 22cm✕30cm フォルクヴァンク美術館
女性は「オランス」という祈りのポーズをとっているとする解釈の他に、女性は死の脅威と対峙しているとする解釈がある。

 ドイツでのロマン主義絵画の時代とは、1800年頃からのほぼ40年間と言われている。大きく前期と後期に分けられ、後期はナザレ派やデュッセルドルフ派などイタリア絵画の影響下に身を置いた画家たちで占められていった。ドレスデンからはじまった前期ロマン主義のなかで、フリードリヒが注目された初期ロマン主義絵画の時代はたったの数年である。その間もさまざまな流派が混在し、のちに初期ドイツ・ロマン主義絵画とよぶようになった枠組みは、当時はかたちをなすものでなかった。後期ロマン主義絵画を担うナザレ派が現れるまで、ドイツにはロマン派として一括りにできるような絵画集団はない。
 ロマン主義とは、ロマンティックなという意味合いの言葉だが、たとえば新古典主義や表現主義などのように、ある時代の一定の絵画形式をさすものでなく、広義でいえばどの時代にも現れる性格だといえる。したがって19世紀初頭のほぼ同時期に、ヨーロッパ各国で起こったロマン主義が、たとえばフランスとドイツでは正反対の局面がみられということも起こりうる。
 過去の社会や価値観を土台からくつがえす解放革命を背景にして生まれたフランスと、元来、内面から誘発されるものを重んじる気質で国家建設を目指し、芸術のうえにも国の未来像を描こうとしていたドイツでは、まったく異なるロマン主義となった。自己の内と向かいあう姿勢や、感情の深さ、空想力、純真さなどによって、祖国をかたどるような新しい芸術を目指したのが、ドイツ・ロマン主義だった。

 自然とは本来美の対象ではなく、宇宙や世界や生物を構成する不可侵の脅威であり、人を簡単に悲劇へと導く可能性に満ちた存在なのだ。自然の脅威に人間は、無力さを思い知らされてきた。同時に恐怖によって心をとらえられ、人間にはおよばない力に畏敬の念をもってきた。
 フリードリヒの作品には元来タイトルがないし、画面に自分のサインも入れていない。彼は、いつ誰が何を描いたかを主張しないといことで、自分の生きる姿勢を表明したのだ。絵のなかにだけ、描いたものの内容も、描いたものの内容も、描いた者の印も、描き込まれていると言いたかったのかもしれない。描き手と鑑賞者の目は異なるという思いの表明だったのかもしれない。あるいは彼の絵は、自然と人間との宗教的な交信であって、どんな画家のいつの作品であるかは問題ではないと言いたかったのかもしれない。
 
 自然と向き合う姿勢がその人間の生き方に反映されるものだ。
 現代社会は自然からの声ではなく、金銭の声、技術の声、その他の欲望からの声に耳を傾けている。多くの芸術家は早い段階から「自然からの声」に耳を澄まて自己の内面を磨いてきた。フリードリヒは「もう一度本来の人間の状態に戻ることが大事だ」と教えてくれる。

参考文献:『フリードリヒへの旅』小笠原洋子 角川学芸出版