オランダ時代のモノクロームの素描画から、フランス時代のパリ、アルル、サン=レミのカラフルな油彩画へと時代順に展示され、ゴッホのこころの風景を巡っていく展覧会だった。
アルル時代の「種まく人」が〈生〉ならば、サン=レミ時代の「夜のプロヴァンスの田舎道」は〈死〉をイメージさせる。この2つの油彩画を同時に観ることが出来るのは貴重な体験だ。
糸杉という樹は、西洋では古代以来の伝統で〈死〉と結びついているという。古代世界において冥界の王ハデースに捧げられた樹であり、キリストが磔刑に処されたときの十字架は糸杉で作られたと言われている。糸杉という樹はひとたび伐り倒されると、2度とその根から芽を出すことがないことも理由の1つ。
ゴッホが最後に選んだモチーフが糸杉であり、サン=レミ時代に数点描いた中の最後の作品が「夜のプロヴァンスの田舎道」。この作品について、ゴーギャンに宛てた手紙で次のように書いている。
「僕はあちらでやった最後の試みである糸杉と星の絵を今も持っている。ー夜空には、輝きのない月、細い三日月がかかり、地球の投げかける不透明な影から、ようやく少しその姿を現している。ウリトラマリンの空には雲が飛び、さらにどぎついほどの輝きの星、バラ色と緑のいわば優しい輝きを持った星がひとつある。下の方には、両側に黄色い、高いよしたけの並んだ道があり、その後の方に、青い、低いアルピーヌの山脈が見え、窓にオレンジの灯のともった古い宿屋が1軒と、そして、非常に背の高い糸杉が1本、真直ぐに、黒々と立ってる」
「夜のプロヴァンスの田舎道」には月と太陽が同時に描かれている。西欧の伝統的図像において。月と太陽が同時に登場するのは、創世記の日月星辰の創造の時を別にすれば、黙示録のマリアと、もうひとつ、キリストの磔刑の場面だけである。ゴッホの画面で、〈死〉のイメージである糸杉が「真直ぐに、黒々と」中央に立っているところを見れば、ここで暗示されているのは、まさしくキリストの〈死〉である。画面のほぼ中央を走っている地平線と垂直に伸びる糸杉は十字架を表して、ゴッホがここで、糸杉に託して磔刑図を思い浮かべているのである。
そしてゴッホは、「夜のプロヴァンスの田舎道」を描いた2ヶ月後にパリ近郊の村、オーベル・シュル・オワーズで37年の短い人生を描き切った。
参考文献:『ゴッホの眼』 高階秀彌 青土社