林芙美子

林芙美子(はやしふみこ)1903〜1951
山口県下関市生まれ。複雑な家庭環境からいくつかの小学校を転々とし、1918年15歳の時、広島県尾道市立高女に入学。女工や女中などのアルバイトをしながら文学書を読み詩作を始めた。1923年、東京の大学生に婚約を破棄され、『放浪記』の原形となった歌日記を書くことで傷心を慰める一方、詩や童話を書いては雑誌社に売り歩いた。1924年、詩人で俳優の田辺若男を知り、彼を介してアナーキスト詩人・萩原恭次郎、壺井繁治、岡本潤、高橋新吉、辻潤らと知り合い大きな影響を受けた。同年、友谷静栄と詩誌「二人」を創刊。翌年、新進詩人の野村吉哉と同棲するが一年で別れ、その後画学生平塚緑敏と結ばれ、赤貧のうちにも幸福な日々を迎え、創作に打ち込めるようになる。1928年「女人芸術」に『放浪記』と副題のある散文を連載し始め、1929年それと関係深い詩集『蒼馬を見たり』を出版した。

『蒼馬を見たり』林芙美子(南宋書院/1930)hhttp://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1028280
『面影』林芙美子(文学クオタリイ社/1933)
『生活詩集』林芙美子(六芸社/1939)

【蒼馬を見たり】
古里の厩は遠く去つた
花が皆ひらいた月夜
港まで走りつゞけた私であつた
朧な月の光りと赤い放浪記よ
首にぐるぐる白い首巻きをまいて
汽船を恋ひした私だつた。
だけれど……
腕の痛む留置場の窓に
遠い古里の蒼い馬を見た私は
父よ
母よ
元気で生きて下さいと呼ぶ。
忘れかけた風景の中に
しほしほとして歩ゆむ
一匹の蒼馬よ!
おゝ私の視野から
今はあんなにも小さく消へかけた
蒼馬よ!
古里の厩は遠く去つた
そして今は
父の顔
母の顔が
まざまざと浮かんで来る
やつぱり私を愛してくれたのは
古里の風景の中に
細々と生きてゐる老いたる父母と
古ぼけた厩の
老いた蒼馬だつた。
めまぐるしい騒音よみな去れつ!
生長のない廃屋を囲む樹を縫つて
蒼馬と遊ぼうか!
豊かなノスタルヂヤの中に
馬鹿! 馬鹿! 馬鹿!
私は留置場の窓に
遠い厩の匂ひをかいだ。

【ランタンの蔭】
キングオブキングを十杯呑ませてくれたら
私は貴方に接吻を一ツ上げませう
おゝ哀れな給仕女
青い窓の外は雨のキリコダマ
さあ街も人間も××××も
ランタンの灯の下で
みんな酒になつてしまつた。
カクメイとは北方に吹く風か……
酒をぶちまけてしまつたんです
テーブルの酒の上に真紅な口を開いて
火を吐いたのです。
青いエプロンで舞ひませうか
金婚式! それともキヤラバン……
今晩の舞踊曲は――
さあまだあと三杯
しつかりしてゐるかつて
えゝ大丈夫よ。
私はおりこうな人なのに
ほんとにおりこうな人なのに
私は私の気持ちを
つまらない豚のやうな男達へ
おしげもなく切り花のやうに
ふりまいてゐるんです。
カクメイとは北方に吹く風か……

【お釈迦様】
私はお釈迦様に恋をしました
仄かに冷たい唇に接吻すれば
おゝもつたいない程の
痺れ心になりまする。
ピンからキリまで
もつたいなさに
なだらかな血潮が逆流しまする
蓮華に座した
心にくいまで落付きはらつた
その男ぶりに
すつかり私の魂はつられてしまひました。
お釈迦様
あんまりつれないではござりませぬか!
蜂の巣のやうにこわれた
私の心臓の中に
お釈迦様
ナムアミダブツの無情を悟すのが
能でもありますまいに
その男ぶりで炎の様な私の胸に
飛びこんで下さりませ
俗世に汚れた
この女の首を
死ぬ程抱き締めて下さりませ。
ナムアミダブツの
お釈迦様!

【帰郷】
古里の山や海を眺めて泣く私です
久々で訪れた古里の家
昔々子供の飯事に
私のオムコサンになつた子供は
小さな村いつぱいにツチの音をたてゝ
大きな風呂桶にタガを入れてゐる
もう大木のやうな若者だ。
崩れた土橋の上で
小指をつないだかのひとは
誰も知らない国へ行つてゐるつてことだが。
小高い蜜柑山の上から海を眺めて
オーイと呼んでみやうか
村の人が村のお友達が
みんなオーイと集つて来るでせう。

【苦しい唄】
隣人とか
肉親とか
恋人とか
それが何であらふ――
生活の中の食ふと言ふ事が満足でなかつたら
描いた愛らしい花はしぼんでしまふ
快活に働きたいものだと思つても
悪口雑言の中に
私はいじらしい程小さくしやがんでゐる。
両手を高くさし上げてもみるが
こんなにも可愛い女を裏切つて行く人間ばかりなのか!
いつまでも人形を抱いて沈黙つてゐる私ではない。
お腹がすいても
職がなくつても
ウヲオ! と叫んではならないんですよ
幸福な方が眉をおひそめになる。
血をふいて悶死したつて
ビクともする大地ではないんです
後から後から
彼等は健康な砲丸を用意してゐる。
陳列箱に
ふかしたてのパンがあるが
私の知らない世間は何とまあ
ピヤノのやうに軽やかに美しいのでせう。
そこで始めて
神様コンチクシヨウと吐鳴りたくなります。

【疲れた心】
その夜――
カフエーのテーブルの上に
盛花のやうな顔が泣いた
何のその
樹の上にカラスが鳴こうとて
夜は辛い――
両手に盛られた
わたしの顔は
みどり色のお白粉に疲れ
十二時の針をひつぱつてゐた。