寺島珠雄

寺島珠雄(てらしまたまお)1886〜1913
1925年 東京府北豊島郡西巣鴨町(現・豊島区)生まれ。本名、大木一治(かつはる)。
1940年 旧制中学中退。辻潤などを読む。詩集『道標のない地帯』刊。飛行機会社へ就職。
1941年 ハルピン市建設現場、大観堂書店出版部、北海道炭坑夫などを転々。
1942年 三菱造船横浜ドックに徴用されるも逃げ出し放浪、憲兵隊に留置される。
1943年〜1944年 横須賀第二海兵隊に入る。外出から帰らずに戦時逃亡罪で懲役1年8月の軍法会議判決、横須賀で海軍刑務所に服役。
1945年 全身衰弱症で入院。敗戦による第1次保釈で帰宅。小私鉄に就職。兄静雄とガリバン雑誌『ぶらつく—黒色或いは散策』創刊。職場で組合を結成、組合長に。
1946年 「じんみん新聞」「千葉新聞」「ダダ」などに寄稿。岡本潤、小川三男と親しむ。H映画社に入社。
1947年 結婚し百日余で破綻。仕事も放棄して闇市地帯放浪。「詩精神」「平民新聞」などに寄稿。「ぶらつく」は5号で終刊。
1948年 縫製工場で労働組合結成、工場占拠スト。鉄鋼メーカーに就職、労働組合書記に。
1950年〜1966年 転々を継続。神戸異人館街近く、東京山谷、大阪中津の飯場、2度めの山谷など。
1966年 釜ヶ崎暮らし、飯場暮らしのなかで詩作再開。
1970年 大阪万国博覧会労働現場。
1978年 居を尼崎に移す。
1995年 阪神大震災被災。
1999年 7月22日、肝臓および食道のガンにて没、享年73。

『道標のない地帯』寺島珠雄(私家版/1925)
『ぼうふらの歌』寺島珠雄(大木一治)(私家版/1948)
『釜ヶ崎通信別冊―まだ生きている』寺島珠雄(1969)
『どぶねずみの歌』寺島珠雄(三一書房刊/1970)
『わがテロル考』寺島珠雄(VAN書房/1976)
『状況と感傷』寺島珠雄(VAN書房/1978)
『あとでみる地図』寺島珠雄(VAN書房/1982)
『寺島珠雄詩集』石野覺編(私家版/1985)
『断景』寺島珠雄(浮游社/1986)
『酒色年表』寺島珠雄(浮游社/1987)
『神戸備忘記』寺島珠雄(『神戸備忘記』/1988)
『酒色年表第二』寺島珠雄(1990)
『片信録』寺島珠雄(1995)

神奈川県相模原市にある相模女子大学付属図書館内の「小田切文庫」から1948年発行の詩集、『ぼうふらのうた』が発見されました。この本の存在は生前、寺島さん本人も分からず、見てみたいと仰っていました。詩人、寺島珠雄の原点が詰まった詩集です。

【伝道】
ハタラクナ ハタラクナ
ハタラクナ
世ノタメ 人ノタメニハ ハタラクナ
酒 飲ミタイナラ ハタラケ
女 抱キタイナラ ハタラケ
メシ 食イタクテ ハタラケ
オノレ自身ノタメニ ハタラケ
ソシテオレノ自身ノタメニ ハタラクナ
理想ヤ正義ヤ真理ノタメニハ ハタラクナ
ソウイウモノガ
オノレヲ飢渇サセル時ニノミハタラケ
路傍ニ寝ヨ 糞タレロ
板塀破リ並木ヲ倒シテ焚火セヨ
煤ケタツラデ オメコト喚ケ
ワガ膝ニ頬ズリシテ泣ケ
オノレガ死ヌ時オノレノ涙ハ間ニアワヌ
ハタラクナ ハタラケ
ハタラケ ハタラクナ