辻潤

辻潤(つじじゅん)1884〜1944
1884年10月4日、東京市浅草区柳原町1丁目の祖父辻四郎三方で生まれる。父は市の下級官吏六次郎、母は備津、潤はその長男である。父方の姓は茂木(四郎三は養父)、母方の姓は田口(母方の実祖父は会津藩士の田口重義)。明治維新までは、浅草蔵前の札差しをしていたので、暮らし向きは贅沢をきわめた。1889年柳北女学校付属の柳北幼稚園に入る。この頃までは女中4、5人にかしずかれて育った。1895年、神田区淡路町の開成尋常中学校に入学、だが翌年、10月頃、開成中学校を退学。1899年、神田区錦町3丁目の国民英学会に入る。1902年、日本橋区呉服町にあった私塾会文学校で教鞭をとる。1903年日本橋区の千代田尋常小学校の代用教員になり、5年勤続、11月に幸徳秋水の『平民新聞』創刊、辻潤はその読者になる。1908年、浅草区の精華尋常高等小学校、翌年、下谷区桜木町の上野女学校の英語教師になる。かたわら、ロンブロオゾオの『天才論』の訳にかかる。1910年1月11日、父六次郎が死去する。4月、伊藤野枝が上野女学校の4年に入学してくる。この年大逆事件がおこる。翌年1月、大逆事件の幸徳秋水ら12名が処刑される。9月、『青踏』が創刊される。辻潤と伊藤野枝との恋愛関係がすでに生まれている。「教え子」の野枝との恋愛で、辻潤は上野女学校を追われる。そして巣鴨区上駒込411番地にて、野枝と同棲する。1913年、伊藤野枝の郷里、福岡県糸島郡今宿村にて、長男一(まこと)が生まれる。1914年、小石川区竹早町から同区指ヶ谷町に移る。『天才論』を出版、大反響をよび、20数版をかさねる。1915年1月、野枝は『青踏』の編集主力となり、「青踏を引き継ぐに就て」をのせる。8月10日、次男流二、生まれる。この頃から、野枝の心が大杉栄に傾く。1916年3月に『青踏』廃刊。4月伊藤野枝は流二をつれて家出、流二を千葉県御宿の網元若松の里子にやり、やがて大杉栄と同棲する。辻は上野寛永寺に身をひそめ、その後下谷区北穂荷町6番地に住み、本籍もここに移す。「英語、尺八、ヴァイオリン教授」の看板を出し、いわゆる浅草時代がはじまる。11月に武林無想庵の紹介で、比叡山に宿坊生活をつづけたが、年が明けて6月頃、宮崎資夫が滋賀県大津警察署の圧迫をうけてごたごたをおこしたので、辻潤もその巻添を食って下山、それから放浪生活がはじまる。1921年12月、マックス・スティルネルの『自我径』を改造社より出版する。1923年9月1日、川崎で大震災にある。その1週間後、名古屋から大阪へ赴き、滞在中の9月16日、大震災のどさくさに、大杉栄、伊藤野枝、甥の橘宗一の3人が、甘粕憲兵大尉に虐殺されたことを新聞の号外で知る。四国、九州の旅へ出る。11月1日、愛人、小島キヨ、辻潤の子秋生(1944年、フィリピン沖で戦死)を生む。虐殺された伊藤野枝について、辻潤は沈黙をまもる。1925年7月、ト部哲次郎、荒川畔村らと『虚無思想研究』を創刊。1928年1月、府下荏原郡棘衾(ひえぶすま)村大岡山38番地から、文学研究のため読売新聞社の第1回パリ文芸特派員として長男(まこと)を帯同、神戸港から「榛名丸」にて渡仏。6月、スティルネルの『唯一者とその所有』の訳書が『世界大思想全集』第29巻として春秋社から出版される。当時の円本ブームにのって版をかさねる。1929年1月、長男まこと、松村正俊の3人でシベリア経由で中旬頃、帰朝3年たって精神に異常をきたす。1932年3月、天狗になって屋根から飛び降り、各新聞のゴシップ記事となる。街頭をあらび歩くようになり、青山脳病院の斎藤茂吉博士の診察を受けて、しばらく入院する。辻潤後援会がができ、その売上げ金を「静養費」の一部としておくられ、6月、井村病院を退院、伊豆大島にて静養する。7月、伊勢、能登などを放浪する、また虚無僧姿となって、尺八の門付をする。1933年7月、名古屋市放浪中に警察に保護されて、東山寮病院の精神病室に収容される、まもなく警察の照会により、東京から急行した長男のまことに引き取られる。このとき、まことは「おやじは病院の庭で、雀を頭の上や肩に遊ばせていたが、こらホンモノの狂人だ」と感じたそうである。8月初旬、豊島郡石神井(現練馬区関町4丁目)の慈雲堂病院に入院する。11月、佐賀県嬉野の松尾とし子と知合う。1934年4月3日に慈雲堂病院を退院。宮城県石巻の松巌寺住職松山巌王に招かれて滞在する。6月、石巻から気仙沼の菅野青顔をたよって、同町の観音寺に滞在、10月、母美津死去。1935年4月まで、神奈川県小田原在中に住む。その後、東京の大森区馬込東2の1071番地のまこと方に同居、松尾とし子と同棲、11月頃錯乱状月、東京を出て、放浪の旅に出る。伊勢の津から比叡山へ向かい法然堂に滞在中の武林無想庵と同居、一月ばかり後、京都におりる。この頃、辻潤と逢った人のはなしによると、文士というよりも、むしろ坊さんの感じがしたという。1936年2月の中旬頃から、鳥取県東伯郡西郷村の極楽寺、その後兵庫、岡山、呉、広島あたりを流寓、4月から大阪の友人宅をたずねて宿を乞う。6月、京都の西陣署に保護され、京都市外の大倉病院に収容される。8月頃、東京に帰る。1937年、一管の尺八、管笠、頭陀袋での放浪の旅が続く、その次の年も「一所不住」の放浪がつづく。静岡、京都、大阪、鳥取とつづくが、京都では嵯峨野在住の岡本潤を訪れて、「生きたって、あんまりおもしろくもねえな。大きな声で天皇陛下バンザイでも唱えて、高いビルの屋上からでも飛びおりて見せてやるか……」とこんな話しをしたという。1940年、京都で新年を迎えるが、9月頃、東京に帰り、豊島区駒込3丁目362番地の5月堂に住む。1941年12月5日、宮城県気仙沼に菅野青顔をたよって、同地に遊ぶ。同月、8日の“真珠湾奇襲”その大勝利のバンザイの声をききながら、暗然として「日本必敗」を予言する。1942年、1943年、放浪の旅がつづく。1944年7月、放浪の旅に終止符を打ち、東京へ舞戻り、淀橋区上落合1丁目328番地の静怡寮(小田原の桑原国治経営のアパート)に居候。。11月24日、そのアパートの一室で看取る者もなく死去(長男まことは出征中)、“餓死”であった。染井(現豊島区駒込6丁目11番4号)の西福寺に葬られる。

『浮浪漫語』辻潤(下出書店/1922) http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/965090
『ですぺら』辻潤(新作社/1924) http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/982451
『どうすればいゝのか?』辻潤(昭光堂文芸部/1929)
『絶望の書』辻潤 (万里閣書房/1930)
『癡人の独語』辻潤 (書物展望社/1935) 
『〔ボウフラ〕以前』辻潤(昭森社/1936)
『辻潤集(全2巻)』辻潤(現代社/1954)
『辻潤著作集 (全6巻別巻1)』( オリオン出版社/1969-70)
『辻潤選集』玉川信明編 (五月書房/1981)
『辻潤全集 全8巻別巻1』( 五月書房/1982)
『ダダイスト・辻潤 書画集』( 『虚無思想研究』編集委員会/1994)
『辻潤…孤独な旅人』玉川信明編(五月書房/1996)
『絶望の書 ですぺら 辻潤エッセイ選』 (講談社文芸文庫/1999)

【闇汁】
というものは食べたことがありませんが、
多分こんなものだと思っています。
昔ギリシアの子供達が、燕が初めて飛んでくる時に
町の中を戸毎に唄って歩いたという歌でも御紹介いたしましょうか?

おいで、おいで、燕さん
美しい春がやって来ましたね
燕ときれいなお天気が一緒に来ます
燕さんの胸が白くって、あとはみんな
真っ黒け
僕らにお菓子を投げて下さい
あなたの家のおくらから
燕さんのために御報謝
お酒はフラスコの中
チーズはバスケットの中
小麦のパンと烏麦のパン
燕さんが嬉しがりますよ

さあ、あなた方が下さるか、僕らが
先へ行くか?
なぜ、そんなにグズグズしているの?
イヤならイヤでよござんす
この戸を外して持ってゆきますよ
そんなことはズイブンやさしい
家の中のおかみさんがチビだから
さあ、サッサとお出しなさい
燕のために戸を開けろ
僕らは子供で
おじいちゃんじゃないのだよ
次はアーサー・シモンズの詩
題は
漂泊者の歌

俺は女達にも倦き倦きしたし
恋愛もかなり沢山になった
だが、陸(おか)が待ってる、海が待ってる
そして、夜と昼とがタップリある
ながい白い道と、灰色をした
広々とした海とが欲しいもんだ
風も吹かず、鳥も啼かず
心の痛みもやむだろう

俺はなぜ悲しみを求めたり
黄金を闘争に代えなければならないのか?
俺は随分愛しもしたし、泣きもした
だが、涙と愛とは生命じゃない
草が俺の心を、水堰が俺の血潮を
招いて叫んでいるな
日が輝き、道が照り
酒がコップに満ち溢れている

俺はかなりな智慧を蓄え
ずいぶん愉快な思いもした
だが、道は一ツ、終りも一ツ
地の涯もスグトやって来る
それから、こんどはおやすみなさい
寝床で踵と胸が痛もとままよ
ねついたら最後、長いやすらかな
ねむりだ――
醒めるにしてはあんまり深い――
寄席に五もくというものがあり、
長崎にシッポクという食い物があります。
しかし、それをダダ詩と早合点しては困ります。
牛肉とクサヤのヒモノを一緒に食ってうまいかまずいか、
たいてい見当がつきそうなものです。
ブル―プロ=0
で、算盤の珠の天地を弾けば
空間そのものが出現します
そこで、淋しすぎるから、
夜店でもブラつきましょう
――無限連続

【彼の墓地を選挙するための歌】
――わりあちおん――
(1)
三年の間、彼の時代とイスカの嘴で
死んだ詩の芸術を蘇生させようと務めた
旧い意味での「崇厳」を維持するために
全体スタアトからまちがっているのだ――

時代外れで、しかも半分野蛮な国へ
生まれて来たことに辛うじてお気がついて
クルミから薔薇の花を絞り出そうと
堅い決心で努力した
カバネウス 人工の餌にひッかかッた鱈

プラトンのイディヤの黒焼きをナマスにして食べたら、その晩スグとへどを吐いた
それからツンボが聴こえる夢を見た
万石に小さい風圧の穴をあけろ
刻まれた風浪が彼を押えて離さなかった

彼のほんとうのペネロープはフロクベルだッた
彼は頑固な島々で釣りをした
日時計の座右銘よりも遥かに優雅な
サイケの毛髪を観察した

「時件の進行」には無頓着に
人間の記憶から三千年程忘却されていた
勿論ミュズの王冠にブラ下がるような代物じゃないのだ

(2)
時代は何を要求したか
加速度なシクメツラを
近代的舞台にはお誂えの代物
といって屋根裏のオシャレではないでは?
――内側の向けられた凝視の朦朧とした幻想か?――でもない

黴の生えた古典の餅を御丁寧に
パラフレーズするよりも
真っ赤なウソのツケ焼きの方が遥かにましだ――

時代は主として石膏の土饅頭を要求した
転んでもロハでは起きるな
それは慥(たし)かに雪花石(アラバスタア)で出来た散文のキネマではない
また韻律の彫刻でもない

茶薔薇、茶がウン、えとせとら
コスのモスリンはコッパイだ
ピヤノラがサッフォのバルビトスの代理を務める

クリストがディオニソスに続く
ふわりツくアンドあんぶろじある
侵入侵害 侵ショクのお通りだ――
カリバンが火の番を投げ倒す

万物一切がお流れだ、と
聖者ヘラクリトス様がおッしゃいます
だが、俺達の時代を支配しているのは
安ッポイ金ぴかりなのだ

牧羊神の肉もなければ、聖者の霊
聖者の霊覚もない
ウェーファのジャアナリズム
カルヤキのブルジョアジイ
万人が平等だ、自由だ、平等だ――
いかにも!?
では、一ツ己れ達の支配者に
悪漢か、宦官を選挙しよう

おお神様、人間様、英雄諸君!
みんな、錫か、鉛か、ブリキで出来た
お人形様では助からない――

【どうおなりでしょう】
あなたはどうなさいましたか
ほのおとつゆの両眼の上に
金のかつらのかんむりをつけた しとやかなエルフィンの瞳
あなたのかおには不可思議な音楽
いままではなされなかった 一つのせいしん
あなたはどんなに おなりでしょう

あなたは かたく 年をおとりになるでしょう
うすい口唇にしわがよって
めにはクミチンキをおだきになって
かなしいキヲクの遺産
あなたの消え失せたオレフュ
はずかしいこっけいなものではないでしょう

たぶん 平凡な運命
結婚と出産と死

あなたののぞみのない灰色のご境遇
人生はぬすむようにすぎてゆきます

つぐなわれない空虚
むからむへ

【あぶさるど】
転覆、逆上、生命の捩じれ
度外れた哄笑、娼婦の白血球
駱駝の鈍感……豹の電流を注射しろ

バットの吸殻を拾う……ボロボロボ
赤練ガを焼いて■■■■におつっけろ
呼吸器械の喘ぎ……開かれた■

三百代言の首を■■■!!
狂人の真っ蒼に爛れた舌
麻痺した神経を硫酸で焼き尽せ
■■した犬の苦笑
接点は接点だ……
無限に楕円を描け、無限に転回しろ
生命の浪費は涎を垂らしている

ポコ ポコ ポコ ポコ
凹凸 凸凹 凸ボコ ボコ
ピストンの欠伸に触れるな
ブリキ板の方がお前の胸より柔らかい
血が青白く流れて、滴っている
ポタリ ポタリ……タリ タリ……

月が赤く笑っている
狂犬の死体を咬るスタカト
梟の眼は黒曜石よりも素晴らしい
逆さにつるされた胴体
風の残酷なフリュウトがきこえてきた
闇……大きなうつろな穴

【タンカ】
雲を喰らい、霞を呑んでいるとでも
大方思っていやがるのだろう
ゴミのような雑誌に
ロハで原稿を書かせやがって
往復ハガキさえよこせば
キット返事をよこすものだと
思っていやがる ヒョットコメ!!
おれは毎日水をガブガブと呑んで
その辺の野原から雑草をひきぬいて
ナマでムシャムシャ食っているのだが
――別段クタバリもしない
一度や二度飯が食えないと
もうふるえあがりやがって
黄色いシナビタ声を張りあげやがって
ナンダカンダと抜かしやがる
スットコドッコイのトンチキ野郎の
ヒョットコメ!!
ガツガツと、物欲しそうなそのツラは
全体なんというざまだ!!
いい気になってつけあがりやがって
やれ、ムサンケイキュウだの
ブルジョアだのと
阿保の一つ覚えみていなよまいごとを
よくあきもせず、性コリもなく
ツベコベツベコベと饒舌りやがる
デクの棒の、アヤツリ人形の
猿真似の、賤民野郎め!!

【無題詩】
赤ん坊よ
もっと泣け泣け
小守よ
もっと疳癪をおこせ
こわれかかった塀
つるんだトンボ

赤っ面の煙草屋の婆さん
丁寧に
十銭紙幣の皺をのばしている
五銭銅貨は五銭
十銭銅貨は十銭
梅干で酒がのめるか

破れた障子から
秋風がそよふく
バットの空箱が
アクビをかみしめる

【無題】
港は暮れてルンペンの
のぼせ上がったたくらみは
藁で縛った乾しがれい
犬に喰わせて酒を呑む