檀一雄(だんかずお)1912〜1976
1912年2月3日、山梨県生まれ。少年期に母が若い学生と出奔、その傷心が文学への原点となる。東大経済学部在学中、同人誌『新人』を創刊し、処女作「此家の性格」を発表、瀧井孝作や林房雄らの賞賛を受け、尾崎一雄を紹介される。同年、太宰治、井伏鱒二の知遇を得、師と仰いだ佐藤春夫とも知る。古谷綱武と同人誌『鷭』を創刊するが二号で廃刊。太宰治、中原中也、森敦らと『青い花』を創刊、翌年、「日本浪曼派」に加わるも、従軍と中国放浪の約十年間を沈黙。1950年、『リツ子・その愛』『リツ子・その死』を上梓して文壇復帰。1951年、『真説石川五右衛門』で直木賞受賞。1970年11月より1972年2月までポルトガルのサンタ・クルスに滞在。1974年、福岡市能古島に自宅を購入し転居、月壺洞(げっこどう)と名づけた。死の前年まで二十年にわたって書き継がれた『火宅の人』を完成させ,昭和51年1月2日死去。没後、読売文学賞と日本文学大賞の両賞受賞。
『檀一雄詩集』檀一雄(五月書房/1975)
【波】
犬は 波に向かって 吠えるのですか?
いいえ 黙って うなだれるのです。
鴎(かもめ)は 沖に向かって 波を蹴るのですか?
いいえ 砂の陰に群がって 死んだ魚介をついばむのです。
砂は 何に向かって 鳴るのですか?
さあ アテなしの そらおそろしさに 自分で身ぶるいするのでしょう。
ああ 波の咆哮(ほうこう)よりほかにない 汀(なぎさ)では
私だって 立ちすくみ おののきながら
その鳴っている砂を踏みしめているだけなんです。
【落下】
その人は 汀をさすらっていた と云うのですか?
いいえ 丁度そこを 通り合わせていたのでしょう。
ええ こんなふうに、、、。 あっち向きに、、、。
どこからですか?
どこからだか そんなことが わかりそうなら 訊いてみたんですけどね。
アテなしの 実にどうでもいいような 歩きざまで
汀の崖の上を ヒョコ ヒョコ ヒョコ ヒョコ
千鳥の散らばってる方に向かって 歩いていったのです。
おや 崖? 汀じゃ なかったのですか?
ナギサなんて 云いましたかね?
ガケですよ。 百米のガケですよ。
ガケの上に 砂の浜があるのですか?
砂じゃ なかったですかね。 でも 奴さん 砂の上を踏んでるみたいに
ヒョコ ヒョコ ヒョコ ヒョコ 歩いていったんですよ。
千鳥が そんなガケの上に いるのですか?
千鳥でなかったとしたら ピンタ・シルゴだね。
そう ピンタの奴が 実に沢山 その人のまわりを
送り迎えでもするように 啼き交わしたり 翔び交わしたりして
ヒラヒラ と まるで もつれそうに
その人の足どりと にぎわい合ってる みたいなんですね、、、。
あなたは とめなかったの?
そっちは ガケだよ 行けないよ って 何度も云おうとしたんですけど
何しろ 先のことは チャンと心得ているような 足取りでしょう。
声をかける スキがありませんや。
そのまま 飛んだのかね?
いいえ まっすぐ 歩いていっちゃたって 云ってるでしょう。
抱きとめる ヒマは無かったの?
いいえ 南無 も 阿弥 も ありゃしませんや。
まるで 宇宙船みたいに フンワリ開いて 落ちていってさ
その落下が 無限を語るように
実に 長い長い 軌跡を曳いていっただけですよ。
酔っていたのでしょうね?
いいえ 酔った気配なんか ミジンも 感じられませんでした。
それとも 自殺?
冗談じゃない あんな自殺ってあるもんですか。
見事な水シブキが 音もなく その男のまわりに 口をあけただけでした。
あなたは 見たわけね? その男の 落ちてゆく姿を?
咄嗟に 私は泣いちゃった。 何が 悲しいって 云うんですかね?
あんなに キレイな 軌跡と 水シブキを 見たって 云うのにさ。
だから あの男は 死んでなんぞ いませんよ。
おや どうして?
どうしてって お日様を呑みこむようにしながら
ヒョコ ヒョコ ヒョコ 歩いていっただけですもの。
どこへ ですか?
さあ どこへって どこへでもいいようにさ。
あっち向きに さ。