高田渡

高田渡(たかだわたる)1949〜2005
1949年 1月1日に岐阜県に生まれる。四人兄弟の末っ子。父親は、詩人・活動家・元共産党員の高田豊。。
1962年 8の時に母親を亡くし、東京・深川に移り住む。13歳で三鷹に引っ越し、この頃から兄弟の影響で音楽を聴き始め、米国のファークシンガー、ウディ・ガスリーやピート・シーガーに興味を持つ。
1964年 中学卒業後、印刷会社で働く。仕事先でバンドに誘われ、ウクレレを改造して壊してしまう。念願のギターを買ったのは17歳のとき。
1967年 父親を亡くし佐賀の親戚のもとに預けられるが、すぐに帰京。新宿・若松町に住みアルバイトをしながら夜間高校に通う。詩人・山之口獏の詩と出合う。フォーク団体「アゴラ」を拠点に活動。
1968年 第3回フォークキャンプ(京都)で「自衛隊に入ろう」を唄って注目を集める。
1969年 高石音楽事務所に所属となり、京都に引っ越す。URCレコードより「高田渡/五つの赤い風船」でレコードデビュー。第1回全国フォークジャンボリーに出演。ミニコミ誌「ばとこいあ」の発行に携わる。2枚目のアルバムを出し、事務所を辞める。詩集『個人的理由』を自費出版。
1970年 第2回全国フォークジャンボリーに出演。
1971年 京都から東京・武蔵野に戻る。「武蔵野タンポポ団」を結成。第3回全国フォークジャンボリーに出演。
1972年 高田渡主演ドキュメンタリー映画『吉祥寺発赤い電車』が制作される。
1973年 息子・漣が生まれる。
1975年 アルバム録音ためにアメリカへ行く。
1977年 佐久間順平らと組んでいたバンドを「ヒルトップ・ストリングス・バンド」と命名。
1993年 CMソング『ホントはみんな』を唄う。
1998年 『さびしいといま』が映画『東京夜曲』(市川準監督)の主題歌になる。
1999年 アルバム『獏』を監修、ミュージシャンとしても参加。
2001年 テレビCMに出演。
2002年 NHK BS「世界・わが心の唄 ドイツ 僕と生きてきた詩」に出演。
2004年 「タカダワタ的」公開。
2005年 ツアー中の北海道で逝去。
2008年 タカダワタ的ゼロ」公開。

『個人的理由』高田渡(私家版/1969)
『個人的理由』高田渡(文遊社/1972)

【夕暮れ】
あんまりにも 夕暮れが美しかったので
荷物をおいて
追いかけるころにしました。
あんまりにも 夕暮れがささやくもんだから
鼓膜をおいて
追いかけることにしました。
〈夕暮れはそっと、ささやいてくれました〉
あんまりにも 夕暮れがささやくもんだから
瞳をおいて
追いかけることにしました。
〈夕暮れはそっと、ささやいてくれました〉
朱色と黒の世界
を。
ボクは停留所から停留所へと
夕暮れを追いつづけました。
風はそっと肩をゆすり
起こしてくれました。
停留所のそばに
アリと一緒に寝ている
ボクを。