高田豊(たかだゆたか)1905〜1967
1905年、岐阜県の裕福な材木商の息子として生まれた高田豊は、青年期において詩作にかぶれ、生涯を文学にささげようと心ざした直後に、自分のやり方を曲げることを拒否。そのまま市井の中へと埋没していく。そして、軍政と直接関わる職場で見てはいけないものをたくさん見ていく。そして、敗戦後にすべてが大きく変わった中、壮年期を迎えてから共産主義にかぶれ、新しい思想をもって地域に貢献しようと試みるも、即座に現実を理解。早々に共産主義から遠ざかる。そして、郷里において妻を病で亡くした後は、4人の子供とともに、故郷を捨てて東京に出、すべての財産を処分して無一文でどん底の生活を開始する。しかし、貧困の中でも決して子供たちに惨めな思いをさせることなく、生きたいように生き、そして死んだ。
そのため、死の3年前に彼が唯一残した詩集には、そういった言葉にできない残り香がふんだんにまぶせられる。幸いなことに、彼は無能であったがために、才能ある先人たちがたどった道にたどり着く前に死んだ。1964年の12月に発刊された生涯でただ一冊の詩集「詭妄性詩集」には、彼が文学に目覚めた時代の作品が残されている。同詩集の「はしがき」にこんな一文を記している。
「この詩集の一篇一篇には、私にはいろいろな思い出がまつわりついています。私はこれと同じ時代に散文も書きました。そのいくつかは活字になったものもあります。だが、残念ながら私の名前で発表されたのではまりません。いわゆる代作です。私は金ほしさに私の作品を人に売ったのでした。あのころは、そういうことが往々にしておこなわれていた時代でした。ところが、私はこの詩だけは、一篇も誰にも売りませんでした。買ってもくれなかったでしょう。とにかく、そういうわけで、私はこの詩の原稿を四十年後の今日まで持ち歩いて生きてきました。」
「詭妄性詩集」高田豊(私家版/1964)
【車】(『多摩無名労働者詩集』に掲載)
車、車、車、車、車、
車、車、車、………
おれの窓の下を絶え間なく疾走する
無数の車
車のかたち
車の種類
車の色
車の新しさ、古さ
数えてみたら一分間に三十数台!
おれは これらの車の行く先を知らない
タクシーか自家用車かもよくわからない
トラックが何を積んでいるかも
梱包の荷物の中はわからない
はっきりわかる汚穢のトラックもあるが
【詩に与う詩】
これらの詩
書かれて四十年ぶりに
世に出るとは、
書いた私自身よりも
書きつけられた紙——
原稿用紙が
よっぽど
辛抱づよかっただろう
呵々
【火吹竹】
毎晩 夜通し起きていて
僕は 何もしてやしないのです
このあいだの晩 火吹竹を作りました
ぶぅ ぶぅ ぶぅ
火鉢いっぱいに 真っ赤な炭が
燃え上がって来る
炭はまたすぐ 減ってしまいます
ぶぅ ぶぅ ぶぅ
火吹竹の音を聴いていると
外は雪のように静かです
本当に夜通し僕は 何もしてやしないのです
ぶぅ ぶぅ ぶぅ
【砂漠の泥酔】
畑も倒され家も倒され
ボコボコの道だけ残っている
僕は酒に酔って町から帰るのだ
何故か遠い所にでも月が出ているんだろう
夢のような明るさだ
酔ってればこそかな
風のない夜の砂漠
オアシスの木の根で
鼻ッ垂らしの豚がなく
泥酔だ
だが、僕はまだ歩いてるよ
砂にまるかって眠るか
ああ、僕の体は
寒いのか暖かいのかわからない
飛び出した口笛
すぐ消えた
お星様さえ眠ってござる
いつまで歩いたっても
ボコボコの道だけが眠っている
僕の酔いはもう醒めてるんだよ
おい!この道の端れに
明日があるのかないのかい!
【無になってもいいと思っている】
寝返りを、
何度も何度も寝返りを打ち
それから
やっぱりまた元の仰向けになって
目を瞑るのです
ああ、都会の騒音は
夜廻りの声一つになる
詩人は眠る………
犬の遠吠え一つなる
皆んな一つになって消える
おお、淫売婦も眠れよ
静かに眠れよ、皆んな
墓石の如く静かに眠れよ
悪党よ、悪党よ、悪党よ………
………………………………………………………………
俺は明日の朝、
美しい旅に出ることに
なっているが
今、今、
この儘死ぬことをこばまない
幸福だ。嘘だ。
無になってもいいと思っている
【土方日記】
校正の古手じゃとても土方は出来る
そこで私は土方になった
土方らの話聞きつつ頭の中で
校正してもはじまらぬ
その実土方は親切だ
仕事のホラをききながら
土方にまけぬ土方になろうと
歯をくいしばり汗出した
いくらやってももう遅い
五十路をこえた土方では
そこでこちらとら考えた
なるべく楽な仕事した
顔は鬼でもこころは仏
出面はおなじ土方たち
帰りはニコニコ肩たたく
一日勝負じゃこりゃ楽だ
現場はあるぞいくつでも
とうとう五年も住みなれた
ここらでぼつぼつ宿がえりや
四人のガキが大きゆなり
せまくなったで左様なら
忘れやせんぞ仲間たち
みちで会ったら手をあげて
たまには呑もう手をとって
【巣立ち】(ノートに綴った詩文)
三つの寝顔
心ゆくまで楽しく
ながめる今夜
久し振りの今夜
丸八年振りの久し振り
それにしても病死した妻も
やれやれと何処かで
眺めていてくれるに違いない
もう一つの寝顔や如何に
四人息子の一人が巣立ったのだから
仕方がない
ほかの三人ももう
それぞれに巣だってゆく
準備の真っ最中らしい
ああ、三つの寝顔四つの寝顔