城米彦造(じょうまいひこぞう)1904〜2006
1904年5月4日京都市に誕生。
1929年、武者小路実篤に師事。「新しき村」の会員になる。
1933年『城米彦造詩集』を、活字と小型印刷機を買い、自分で印刷、出版(50部限定版)。
1948年6月より「月刊城米彦造詩集」を独力刊行。これは約10年続き、第139号で終刊。この謄写版刷り自作詩集刊行の期間、国鉄有楽町駅でこれを立売りする。
1951年2月、朝日新聞京都版詩と画「京の町で」を一週間連載。
1951年7月より1961年5月まで、月刊「都政人」に詩と画「東京都二十三区めぐり」を連載完結。
1960年6月より1966年9月まで、株式会社明治屋のPR誌、季刊「嗜好」に詩と画「東京漫歩」を連載。
1965年2月より、1966年2月まで、日本印刷新聞に、詩と画「諸印刷会社めぐり」を連載。
1966年1月、三菱地所株式会社社長渡辺武次郎氏の委託を受け、資料「丸の内・有楽町」を詩と画で描き、1969年8月〜9月、同社の富士の裾野に在る諸施設を詩と画で描く。
2006年5月、102歳にて没。
『城米彦造詩集』城米彦造(新しき村東京支部/1933)
詩集『足音』城米彦造(日向書館/1950)
詩集『花束』城米彦造(私家版/1951)
『街頭の人生』城米彦造(ダヴィッド社/1958)
『望郷 – 城米彦造自選詩集』城米彦造(白凰社/1969)
『遍歴 – 城米彦造自選詩集』城米彦造(白凰社/1969)
詩画集『東海道五十三次』城米彦造(永田書房/1973)
『城米彦造詩画集 京都』城米彦造(白凰社/1977)
『わが詩わが旅 – 城米彦造自選詩集』城米彦造(白凰社/1982)
【ある朝】
髪を結う妻の後ろ姿が淋しかった
僕はその時、死の事を考えていた
この歳まで二人が死なないで来られたことを不思議なことのように思っていた
共に生きる喜びを受けているのが勿体ない気さえした
幸福すぎると思った
恵まれた、静かな
落ち着いたこの喜びの中で
「死」に就いて思わずにいられないのは堪られない気がした
僕は鏡の中の妻を見た
妻は、頬笑んでいた
【寒い風の吹く】
お母さんはどこへいったのか
うそ寒い風の吹く
初冬の夕暮方の町を
私は、子守婆さんの背中で
泣きながら母を呼んでいる
町から町を
婆さんは、私をあやしながら小走りで行く
お母さんはどこへ行ったのか
私は母を慕って泣くのだ
お母さんはお使いに行った
私を家に置いて
私を伴れて行けない所へ
遠い所へ
それで、私は泣くのだ
私は泣くのだ
子守の婆さんは背中を揺すりながら
「うーが、そばくて……」を歌いながら
小走りで行くのだ
うそ寒い風の吹く
初冬の夕暮方の町を行くのだ
やがて、私は
泣きじゃくりながら
眠ってしまうのだ
【どこへ行っても】
どこへ行っても
どこに在っても
自己を失わず
生き生きとしていたいものだ
生き生きとして
生き生きとして
陽のよく当る路ばたで
マリをつく幼な子のように
生き生きとしていたいものだ
【日が暮れて】
日が暮れて
荷物の重さが肩にしみ始めた時
行く手にノッと月が出た
大きな円い月だった
美しく優しい月だった
今頃
家では皆が夕食の膳に着いているだとうと思ったら
私は不思議に元気を取戻した
雲が出て、すっかり月をかくした時にも
私の取戻した元気さは
少しも無くなりはsなかった
私は美しく優しい月に
心の底まで元気づけられ
その元気さで
また、先を歩き続けた
【大の虫、小の虫】
「大の虫を生かす為には
小の虫を犠牲にするのも詮ないこと」
僕は、昔、父からこのように言われた
継母に楯つく僕が小の虫だった。
親に反き、僕は、家に居られなかった
様々の苦を嘗めたのも親を捨てた罰からだ
ああ、がだ、小の虫は、生き抜いた
だが、しかし、今も尚、僕たちは小の虫
小の虫が生き抜く為には
余程の決心が必要だ
満員バスのぶら下がり
やっとの事、身体だけ運んでいる
僕たりちだけが小かと思ったら
生れ育ったこの国自身も、どうやら小の虫
大の大の大の虫の、暴走バスのステップで
明日の命も知れぬ、しがらみ着いてる、危なさ
【主張】
私に、頭を下げる習慣を植えたのは誰です
まだ高い、もっと低く、もっとお下げと
明けても暮れても、厳しく、うるさく……
商人の家に生まれた、これが宿命と思っても
昻然と、一度は頭を抬げても見たかったのです
だが、今となっては、浸みついた
この習慣からは抜け出せない
私の腰の低さも、この愛想笑いも嫌いです
昻然と、一度は頭を抬げ、主張も貫きたい
少年のよう、頬を紅潮させ
真理と共に闊歩したいのです
「頭をお下げ、まだ高い、もっともっと……」
若しも、幽界から父母が出て来て言うならば
「一度でも、頭を抬げ、胸張って
僕にも、この道、行かせて下さいな」
今こそ、期する処あり気に、このよう言い放つ
【なまえ】
夜空に、今日も瞬く星よ
私は、お前の名前を知りたいとは思わない
だが、身を削るばかり
あの人の名を知りたいのだ
優しく、意味ありげに瞬く星よ
お前の名前を知りたくなれば
私には、わけなく知る事が出来よう
だが、あの人の名は、そうは知り得ない
あの人が、私の側を通る時
私の口は、こわばってしまう
あの人が笑みかけるのは
私の心を見抜いての事であろうに
瞬き交わす夜空の星よ、名は知らなくても
お前とは、いつでも会っている
あの人と笑み交わす日に
あの人の、せめて、名を刻みたい、私の上に
【『母』の活字に寄せて】
今日もまた私は指先を黒くして
活字を組んだりほどいたりしている
思い出や、夢の詩を、組んだりほどいたり
いくつも、いくつも『母』の活字が出て来る
母、母、母。
何と言う、優しく温かい活字だろう
自由な自然な奮起心を起こさせる眼で
涙ぐんで、慈愛に溢れ、見守っていて下さる
何という魅力のある懐かしい活字だろう
だが、また何だか、近より難く、極まり悪く
他処々々しくさえ感じるのは何故だろう
母は余りに早く、この世を去って了われた
愛撫の懐から、余りに早く隔てられた私
神秘な文字、母への思いを掻き立てる大切な活字
【月夜】
まん円く
清らかに澄んだ月の傍らを
薄く、手切れた雲が
矢のような速さで流れて行く
こんなに美しい月夜なのに
間もなく台風が
この空に襲いかかって来るという
信じられない、美しい月夜
ああ、誰が一体
この平和な空と
悪魔の空とを置き換えるのか
まん円い月よ、平和な月よ
お前は、よくもそんな平気な顔をして
手切れ雲の中へ、時々、隠れてみたり茶目なことが出来るのだ
【全力で】
全力で打っつかって行こう
全力で
だが
誰にも
そんな力んだ顔や姿を見られたくない
自分は
そういう、おしゃれなのだ